椅子こん!
「え──」
 思わず顔を上げる。椅子さんに言ったのにスキダは嬉しそうにもじもじしている。脳は主語を理解できない、なんて言葉があったけれど、もしかして勝手に思い込んで攻撃をやめてくれるの?
わけがわからなかった。
 攻撃なら攻撃すればいい、倒すなら早く倒せばいい。
それなのにこんな中途半端なことが。
だけど、もしかしたら────

 と、突如外でチャイムが鳴る。
「もしかしてアサヒたちかな?」
しかしだったら入ってくればいいのに、チャイムがただ鳴らされるだけだった。
「誰?」
玄関のドアの方を見ながら、私は問いかける。返事はなく、ただチャイムが鳴る。かと思いきや突如電話のそばのインターホンからノイズがかかったような声が聞こえた。
「かわいいピエロ……」

「え?」

「好きになりなさいよ」

──なんだって?

「好きに、なりなさいよ」

──なにを、たしか、かわいい

「かわいいピエロ」

心臓が暴れだす。胸が苦しい。

「好きに、なりなさいよ。好きに、なりなさいよ、好きに、なりなさいよ…………かわいいピエロ、かわいいピエロ、かわいいピエロ、ラブストーリーが、やっていたでしょう? ラブストーリーが、やっていた、でしょう? ほら、今、やっていた、でしょう?」

「な───に」

今やっていたかどうか、なぜ外から確認しているのだろう。

「受信──受信───受信──受信──」

「……っ」
 何気なく足元の「愛してる」が羅列された紙の残りを眺める。いくつか燃やしたから、ちょっと足元の床が見えるようになってきていた。
そういえば、この近くに居た小さなスキダたちの姿が見えない。

「ワァーーイ!! ワァーーイ!!」

 振り向くと、少し成長し、ピエロの姿になった集団のスキダが──大音量で流されるラブストーリーの……テレビの前に集まっていた。背中に嫌な汗が流れる。慎重にテーブルの下に腕を伸ばしてコリゴリを揺さぶる。
「あの、起きて──ください」

無視している合間にもインターホンがしゃべり続ける。けれど気にしては居られない。
「早く、ここから逃げましょう……」

 何回か声をかけていると、コリゴリはうっすらと目を覚ます。具合が良くないのかもしれないが此処で寝ていられても私にできることは少ない。

 ドアを叩く音がして、男とも女ともつかない声が続く。
「スキダを受信しに来ました───!」
ドンドンドンドン、激しいノックの後
再びその声は繰り返す。
「スキダを受信しに来ました───!」

 外、に逃げても平気なのか?
でも家の中も今荒れに荒れている。
スキダは、受信しに来るものなの?

「……クラスター、か」
 コリゴリが小さな声でぼそっと零したので、私は思わず聞き返す。
コリゴリはそれ以上は言わず、疲れた表情でぼーっとしていた。
 私は倒れた雑貨を避けながらも慎重に奥の部屋を目指した。スライムのときとは違い、家の中というのはそれはそれで心が痛む。物が。私の長年大事にしてきた数々が、こんな風にスキダに蹂躙され
ているんだから。
 部屋を進み、ドアを開け、ローテーブルに置かれたテレビのリモコンを手に──しようとしているのだが、ピエロがわらわら群がって来る。
 今はとにかくまずテレビを消さなきゃ、と思うのに、なかなかたどり着くことが出来ない。
「うぅ、遠い……」

 脳裏で、かわいいピエロ、好きになりなさいよが再生される。どうかわいくても私にはむかない。代わりにスキダが私に引き付けられて余計邪魔する。
 家で、大人数に囲まれるなんて経験、そう無いと思う。無いほうがいい。
 椅子さんを抱き締める。
私が唯一信じられるのは、物だ。


 ちらりと視界に映す大きなスキダは攻撃を止めてただそこにいる今だが……この状態でまた動きだしたら更に大変だ。

「あらぁああっ!!?」
 コリゴリが急に立ち上がる。そして吸い寄せられるようにテレビに向かっていく。
「あーん、もう! みなみちゃんじゃない!? あぁん、かわいいー!」

 驚異のジャンプ力で、部屋を跨ぐと、くねくねしながら、スキダをものともせず、テレビの前に向かう。
画面では女優と俳優が映って一緒にひつまぶしを食べていた。

「えっ」
 ふわっ、とコリゴリの胸からクリスタルが輝き始める。クリスタルはテレビ画面に溶けていき、すぐに画面の中から、ピエロではないスキダが這い出てきた。
 目の前に現れた目は曇っているがみなみちゃん、そっくりな人型のなにかに、コリゴリは興奮する。
「うわぁっ、やだー!」
 みなみちゃんそっくりなそれは他の小さなスキダの興奮も高めた。私の周りから離れてそちらに向かっていく。しかしこのみなみちゃん、小さなスキダをひとつ手にすると、口にほうりこんだ。

「えっ──」

 スキダが、食べられた?
それを期に彼女?の周りにいるスキダだけを、バリバリと音を立てながらみなみちゃん?が飲み込んでいく。
ただ、すぐに満腹感を得たようで、テレビのなかに戻っていった。

「なん、だったのホォ……」
 クリスタルが、ぽんとテレビから飛び出して床に着地する。コリゴリはそれを拾い上げてフッと寂しそうに笑った。
スキダを投げても世界が違う。

「突き合うことは出来なくて、中途半端なスキダだわハァ……」 恋愛をして戦えば世界が変わるかもしれないのに、という響きを含む、さみしい言葉だった。
私にはよくわからない。そんなことがなにか、変えるのだろうか。
 うろついていたスキダが減ったので私はどうにかテーブルからリモコンを手にし、電源を切る。恐怖でぎこちなかった空気が、さっきのことで散らされたスキダを目の当たりにして和らいでいる。

「ありがとうございます」
私が言うと、コリゴリは気まずそうに苦笑いする。クリスタルは少し成長しているみたいにやや大きくなっていた。さっき食べたから?

「にしてもこの部屋、急に寒いんだけどホォ……なんなのなんなの?」

 私とコリゴリが話した途端、叫び声が背後から上がった。

イウナアアアアアアアアアアア───!!

 椅子さんやテレビのみなみちゃんと話をする自体には反応しないのに、近くの人間と話すとそれが引き金になるらしい。玄関の向こうから同時にまたドアを叩く音がする。
「スキダを受信しにきました──!」
近所のおばさんのような声が「あら、逃げたの──?」と笑いながら響く。
「ラブストーリーは終わらないのに」
ハッハッハッハッ!
と数人が笑う賑やかな声。

「なかなかクラスターが散らないみたいね……たぶん家の外、囲まれてるわハァ」

「クラスターって、なんですか?」

コリゴリはしばらく考えていたが、あなたになら、話していいかもしれないと言い、此方を向いた。

「恋愛総合化学会が──ううん、そのバックアップで当選している今の市長も──恋愛至上主義者の国にするために放った、洗脳活動家、工作員、観察屋も、もとはその一環だった」
< 42 / 224 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop