椅子こん!
足元に散らばった「愛してる」が乾いた景色となって、私を見下している。
その最低な存在を否定するような言葉は───時間が止まったような部屋の中に唯一動いている時間を象徴する。
唯一、全てを破壊する言葉だ。
愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる…………
『だからなんなのか?』
という純粋な問いすら、許されない好意の言葉は、人を呪うにはあまりにも充分だ。
『それが、なんなのか?』
それさえ問いかけられたなら────
それが、一体、自分になんの関係があるのかと、 強く叫ぶことが出来たなら。
一体どれだけの魂が救われたんだろう。
どれだけ私の時間が救われたんだろう。
だから、改めておもう。
だから、なんなのか?
私に。
「貴方なんて、要らない!」
貴方なんて要らない。
貴方なんて要らない貴方なんて要らない
貴方なんて要らない貴方なんて要らない
貴方なんて要らない貴方なんて要らない
貴方なんて要らない貴方なんて要らない
貴方なんて要らない貴方なんて要らない
貴方なんて要らない貴方なんて要らない。
頭が痛い。ときめきが酷くなる。
動悸と共に言葉が止まらなくなる。
「勝手に死ねー! 勝手にいじめられろー! いい加減にまとわりつくな! 他人を好きになれるやつが生きられるところで、他人を好きになれば良い!!
それを他人に強引に向けて、どれだけ良い気分? 他人を好きになれたから勝ちました、それでいいでしょう?
私と、あなたの気持ちに、なんの関係があるの!!!無いわよ!!!
邪魔なの、みんな、みんな邪魔なの!!
みんなみんな、邪魔なの!! あなたが邪魔なの!!
どうしてわざわざ、此処まできて、
こんなところまで来て!!あなたの気持ちごときに!!
あなたがいなければ、あなたの気持ちなんて邪魔が無いのに!!あなたが居なければ、あなたの気持ちなんて邪魔が無いのに!!」
こんな部屋で、わざわざ生まれてくる怪物。そして『それと同じ言葉』を発する、人間だった物。彼がどこまで本心でスキダを発動したのか。
そもそも本心でなければ扱えないのかすらもわからないけれど、どちらにしろ、誰も来ないはずだったこの部屋で、微量でも反応を示した。怪物に取り込まれた。
わざわざ、皮肉のように全てを否定したのだ。
わざわざ、此処で、此処まで来て、
避けてきたことを、わざわざ再現された。
わざわざ、そこまでして他人を好きになるなんて、なんという嫌味なのだろう。
そこまでして、私でなくても良いじゃないか?
酷すぎる。酷すぎる。酷すぎる。酷すぎる。
やりすぎだ。
「どうして────!!」
意識が、漂って落ち着かない。
ふわふわと浮いて、あまり感覚がない。ナイフがコリゴリだった、怪物の顔面を抉る。肉と油の重みを感じた。サングラスが床に転がる。
「関係無いのに! 関係無いのに!! 関係無いのに! 関係、無いのに…………」
固かった怪物の皮膚が徐々に部分的に弛緩し始めた。
なぜだか怪物が弱るよりも家具が汚れることの方が、私の為に停止する時間と空間に、この不純物が混ざることの方が、ずっと胸が痛んだ。
スライムもそうだ。私『しか』見えないのだ。勝手に他人を壊れたことにし、勝手に孤独にする。勝手に好意を押し付けることでマウントを取りたがる、汚い人間。
彼はネガティブに言えば、詰まるところヒモだ。ただの観察屋だ。同情しなくていい。あちこちで見張って標的を殺すために合図を送るだけのスパイなんだ。
でもわざわざ、目の前で会うことも今までは起こらなかった。今までは。
コリゴリが目を見開く。
私はすかさず叫んだ。
「告白っ、告白、告白っ────!!」
「嫌ぁ、嫌、嫌、嫌あぁーー!!! ごめんなさい、ごめんなさああああーい」
固いけれど何度も叩くとなかなか戻らない。
でも、一点に集中することになるし、固さの為にどうにか空く穴が狭い。
「貴方なんて要らない」
怪物が身を捩る。なかなか刺さらないが、繰り返して言うと、少しずつ絶望の表情を見せるような気がした。
「貴方なんて要らない。私に貴方なんて要らない。貴方なんて要らない。貴方なんて要らない」
椅子さんからも、触手のようなものが蠢き、スキダが入った腹部に触れていた。
「見下して、勝ち誇ってきた側が──わざわざ、好意ごみを増やしに来ないで。
上級国民にだけ特別に与えられた感情なんて、理解出来るわけがないじゃない! そんなことも考えないの?」
ナイフが強く輝いて、顔から出てくる魚───スキダの目をもう一度抉り始める。
「貴方なんて要らない!!!
あなたのおもりをするために生きてるわけじゃないの!! 上級国民の遊び道具になんかならない」
─ギャアアアア!!スキダアアアア
アア!!?
スキダが喚く。
「どうして解らないの? どうして『この部屋を』見ても、それが有害な言葉だって解らないの? ねぇ!!!
此処で、わざわざ、スキダなんて見せて、どうして解らないの?」
──スキダアアアアアアアア!!
ゴメンナサアアアアアアアアイ!
ゴメンナサアアアアアアアアイ!
「そうだ! ずっと詫びてろ────!!! 悪魔に同情なんか求めるな!!!」
ナイフを引き抜き、脳天に向かって突き刺す。腕が重たい。からだが、重たい。
ときめきが酷くなる。汗で視界が滲む。
触手が足や喉に絡まる。まだ、うまくほどけていないようだ。
コリゴリが跳び跳ねようにもそれによって阻まれていた。
手が震える。刃についたスキダが滑る。
「悪魔と呼んできたものに、天使を求めるな!!! 卑怯者!!
一生詫びてろ!!! 声が小さい!!」
「ゴメン……ナサア……アアアアア…」
少しずつ顔が崩れるコリゴリが掠れた声を出す。
ふらつくなかで椅子さんからのびた触手のひとつが、私に向かってきた。
その触手の先から、小さな丸い形の銃が現れる。
椅子さんがなにかを言った。
私は小さく頷いた。
「ゴミは、捨てなくちゃ────」
部屋と、コリゴリ(ごみ)が数回、発砲に合わせて振動する。なにかが跳ねる音、火薬と煙のようなにおい。なぜだか笑いが込み上げてきて、私は笑っていた。
「アハハハハハ!!!アハハハハ!!!!
あぁ、おかしい! 私は悪魔なんでしょう? 期待しても感情なんか何も無いのに。 空をずっと駆け巡って撮影してれば良かったんだ。アハハハハハ!!!」
コリゴリは目を見開いたまま、床に転がっている。さっきまでは人間だった。
悪魔を好きになるまでは、人間だった。
スキダを食べても感情を抱かなければ良いだけなのだ。簡単じゃないか。
上級国民なのに、そんなことも出来なかったんだ。
「アハハハハハ!! また死んだー!
悪魔には関係ないけれど────どうしようかな……ねぇ」
────とりあえず、捨てたら良いんじゃないかな。
椅子さんが、淡々と答える。
「うん……そうだよね、ねぇ、私悪魔なんだよね、私に価値が無いのにすり寄って来たら、それって単に嫌味だよね? なんでわからないかなぁ。悪魔に詫びても面白がるだけなのに」
椅子さんが、腹に触手を突き刺すと、内臓と共に、小さなスキダが溢れるように出てきた。まるで赤ずきんの狼の腹に詰められた石みたいだ。
「うわ、気持ち悪い」
────キムは……簡単には死なない
「椅子さんでも、そう思う?」
────……
椅子さんの体が私の手から銃を取り込んで行く。
触手が元に戻る。椅子さんに抱き付いた。
ごわごわした木の感触が優しく肌に触れ
る。
世界の何よりも安心した。
「───スキダにも、キライダにもなれなかった命から生れた者。
まるで…………私みたい……」
頭が酷く痛み、体がだるい。
ゆっくりと目を閉じる。
「この時間が────誰からも好かれずに、椅子さんだけが居る時間が──続けば良いのに」