椅子こん!
『きょうせいれんあいじょうれい、がかけつされると、みんなが誰か 好きにならなくてはいけない』
去年からたまに、しょうらいのゆめ、とかでお絵描きする課題があったけれど、その年からは好きな人、も描かなくてはならなくなった。
数人は家族や友だち、自分の顔を描いていたけれど、私は真っ白。
「好きな人って、ことは、嫌いな人がバレてしまう」
選ばれない人を、皆の前で選んでしまうんだ。
呼吸が急に速まって、速まって、目の前が真っ白になる。動悸がする。もし、好きな人を適当に描いて嫌いな人がバレたら…………
心臓がばくばくうるさい。
目の前がチカチカする。体温が、すっとなくなり、冷えていく。からだが震える。
幼い日々。
誰かの影が、耳を引っ張りながら、頭のなかに捩じ込むように罵声を吹き込んでいるのがフラッシュバックする。
「どうして私を選ばなかった? 可笑しいじゃないか! 私を選ばないと可笑しいじゃないか! え? 私を選ばないなら私が可愛がる責任がないじゃないか!」
……好き。
それだけで、他人を傷つける。
……好き。
それだけで、他人が目の色をかえる。
「好かれないなんて絶対に赦さない」
「選ばれないなんて絶対に許さない」
好き、嫌い、それは理屈じゃない。
理屈よりも悲惨で凄惨な、引き金。
「許さない」「許さない」「許さない」
「許さない」「許さない」「許さない」
好きを選べば、嫌いを選ぶ。頭のなかに入ってくる地獄のような光景に耳を塞ぐ。
選ばなかった相手がどのような行動に出るのだろうか?
それをみんなの前で展示して、果たして選ばなかった相手が、どのように残虐な化けものに変貌するのだろう。
「嫌いな人がバレてしまう……!」
ぎゅっと目を瞑っても、嫌いな人も、目の前の白紙も無くなりはしない。
そう、これは夢や希望をきいてるんじゃない。
誰を敵に回すかという、アンケート。
誰かを認めれば誰かは省かれる。
善人みたいな口調で、偉そうに平等なんか語る恋愛至上主義者の身勝手な薄っぺらさは、もはや偽善者であり、詐欺師のそれだ。
なにが幸せを願いますだ。
希望なんか無いくせに。
幸せなんか無い。
ただ、誰と戦うかという選択肢を決めているだけ。
『なぜ私を選べないんだ!?』
脳裏で罵声が響いている。
身体が浮き上がり、畳に叩きつけられる
感覚、血が流れる感覚。首を絞められる感覚。
総てが他人が選ばれなかった痛み。
『他人を選ぶ』
生きるか、戦うか(好きか、嫌いか)
。
生きるか、戦うか。
「…………ん」
ぼーっとしたまま目を覚ます。
何故かわからないがアサヒの背中に居た。
何故かわからないが。
……何故? えーっと。
キョロキョロと辺りを見渡す。
アサヒはというと何かと話しているのか前を向いており、こちらを向く様子はない。
「お姉ちゃんは?」
確か、みんなで春巻きを食べようと思って居たような気がする。
それで、お風呂に入って……
おかしいな。
空を見る間でもなく、夜だ。
暗くなって来ている。
お姉ちゃん、おともだちが怪物になったと
か、戦ったとか言ってたけれど……
──少し考えたところで胃が収縮し、小さく空腹を訴えた。
「そういえば夕飯まだだったな」
そのタイミングでアサヒがこちらを振り向く。
「うん……」
「よく眠れたか?」
アサヒは淡々と、しかしどこか上の空で聞いてくる。
「うん」
ぼんやりと思い出してくる声。
そして、あの化け物。
『ワカッテ……スキナンダヨ……』
恐ろしい怪物だった。
ふとアサヒが何か見ているのか気になって視線を追って、『それ』をすぐに理解した。
ヘリコプターだ。それが独りでに動き、
家に向かっている。
「何───あれ?」
「コリゴリが証拠隠滅の爆撃に使う予定だったヘリらしいな。何か設定されていたのか、それとも何か命令を受信出来るのか……」
「アサヒも観察屋でしょう! なんて呑気なこと」
ヘリコプターはそのまま中へ進もうとしている。
どうしよう、と二人で慌てて居たときだった。
黒い仮面……ではなく、工事用ヘルメットを付け、腕にクリーニング用品会社のレジ袋を提げた男性が、二人の背後から歩いてきた。
みし、みし、と重みのある音で地面を踏みしめながら彼は家の中へ向かって行く。
「──お姉ちゃんの家に、何の用?」
咄嗟に身体からクリスタルが浮き上がり、
車に融合すると、男性の方に向かって飛んでいく。
男は、一瞬こちらを向き、じろっとにらむようにする。
そして牙をむいたミニカーを見ても驚きもせずに、片手ではね除けようとして──すぐその車が急に巨大化したことなどで彼を轢こうとすることを知った。
避けても間に合わない。
……だが男はやや面倒そうに不思議なバリアを目の前に展開すると、スキダごと車を弾き飛ばして階段を上っていく。
「油の人だ……」
彼女は直感的に思った。
やばい。
お姉ちゃん、の日記を思い出す。
悪魔、のお姉ちゃんと接触する相手は死んでいく。
しかしあとを付けてみると、悪魔の仲間と判断した相手に誰かがこっそり油をかけていた……
それが彼かはわからない。わからないが、何故かそんな風に感じてしまう。
どうやって判断したしたか?
観察屋のことも、観察していたに決まっている。
「油の人?」
アサヒが不思議そうに呟いた。
「ハクナかもしれない」
脅迫、恐喝専門部隊。
恋愛総合化学会の専門部所。
かつては恋愛に関した論文の差し止めとストーカーまがいの脅迫、不都合のある出版の妨害、活動家への圧力などが知られている。
アサヒはハクナと聞いた瞬間に一瞬だけ目の色を変えた気がしたが、すぐに無表情になった。
「わからない、だが──もしかしたらコリゴリが、死ぬか何かしたのかもしれないな。
証拠隠滅が出来ないことすら証拠を隠滅しなくてはならない。俺たちがやるのは限りなく黒なグレー行為なんだから」
アサヒが独り言を呟く。
なんとなく苦しそうな声だった。
「ざっと空を見たところ、44街への上空監視をしている他のやつらも来ていない。
他とは交信してないみたいだ……
そいつらじゃなく直接始末しに来たとなると恐らくは本当に極秘の──」
私は背中から降りると、アサヒを引っ張って階段に向かっていく。
「今は! 助けるの!」
「助けるっつったって……」
アサヒは戸惑いならよろよろとついてくる。
「あれはなんかヤバそうなやつだったぞ」
「わかってるけど!」
注意をそらすくらいなら、もしかしたら出来るかもしれないじゃないか。
そう思ってみるけれど、しかし本当は少し足が震えている。行かなくては。
彼女はあのなかに居る。
ずっと自分よりも、恐ろしい中に────
急な立ち眩みで景色が歪む。
ときめきが凄い、胸が苦しい。
あそこは「愛してる」に満ちた部屋。
見えない何かで拘束されているかのように、目に見えるものだけではない、あちこちから見張られている。
もはやあの部屋から聞く愛してるは、ただ、生々しい呪詛であり、なにかを食らって這いずり回る化け物だ。
「う……」
階段にかけた足が、そのまま地面に転がりそうになる。どうにか手すりをつかまえるが、ひどくだるい。
まだ万全じゃないらしい。
「どうした?」
アサヒが聞いてくる。
「実は、ママも私も、恋愛性ショックがあるの。重たい『好き』に触れると、意識がなくなったり身体が勝手に暴れたりする難病……」
「そ、そうか──」
アサヒは驚きというよりも真顔で、しかも何故か少し泣きそうになっている気がした。
「普段は発作が無いんだけど、この家は、なんだか嫌な感じが充満していたからか、久しぶりにちょっと疲れた……」
「なるほど」
「たぶん薬、中に置いたままだった」
「わかった」
アサヒの目付きが変わる。
何かあったんだろうか?
「そういうことなら、俺が役に立つかはわからないが、一緒に行くよ。これも運命かもしれないしな」
「え?」
「何でもない」