椅子こん!
天才とは、他人を好きになる能力のこと





「どうやって可愛がってあげましょう?」
 あぁ……可愛い私の柴犬ちゃん。
彼女はひきつったように笑い、私を見下ろす。




 他人を好きになる才能に恵まれなかった。
他人を好きになる才能は努力や理屈じゃ身に付かない特別な能力だ。他人を好きになる才能に恵まれない子どもたちには、当然現実に居場所などなく──
生まれたときから敗北が決まって居た。
生まれたときから愛想笑いをし、適当に空気に馴染むふりをしてこそこそと生きねばならないことが決まって居た。

他人を好きになる才能がある、特別な人間になれない。


 そんな私に声をかけてきたのが、同じクラスの教室で後ろの席の彼女だ。

「ねぇ、面白いもの見つけたんだけど、あなたもやらない?」
 彼女はいわゆるサイコパスで良心など感じない。
趣味は生き物の虐待。
前は猫、今度は犬を縛り上げて、小屋に監禁したらしい。

「服新品だし、血で汚れるからいいや」

私は笑った。
 彼女の良心など全く無い、というところが私のお気に入りだった。恋とかそういうのではなくて優しさなどまるで期待出来ないところが、優しくされる屈辱、他人と仲良くしてへらへらすることを義務づけられる痛みから切り離してくれる。

「じゃあ、見ていく?」

 彼女は、今可愛がっている柴犬を、領地の倉庫にいるそれを見ていくか聞く。
その、微塵もない良心からの、薄っぺらいノリの優しさは、周りの仲良しこよしな空気で荒んだ心の慰めだった。

「うーん……ちょっとだけ」

 他人を好きになれないなら、他人を痛め付けても良いわけじゃないことくらいは私にもわかっている。
 けれど私には人間を好きになるのは才能だが、柴犬を可愛がりましょうは才能ではなくて──もっと、常識、愛護法、そういう、自分のなかからは切り離された決まりごとでしかない。

 決まりごとという、セーフティを持った、好きになるごっこ。
これならば、私たちにも、抵抗なくわかる。人間どうしのコミュニケーション、で常識を問いただされ、才能を見下されて
「あなたは良心などない、あなたは他人を好きになる才能が人間のくせに欠如している」なんて聞かされて心がズタズタになることもない。

 学校では性教育しか行われないけど、恋愛という電気信号の誕生を、間近で擬似的に体感出来るのだ。
これは強制的な恋愛に賛成する空気が年々増している中で、救いのような画期的な実験、革命的な遊び。
私たちだって人間だ。
私たちに他人を好きになる能力がなくたって私たちは人間だ。

他人を好きになれないくらいで、なぜ見下されなくちゃならないんだ。
 理不尽だった。


才能がある人が世界を牛耳るなら、私たちの居場所は何処にある?

そんなに偉いか?
他人を好きになれれば、そんなに偉いのか?


 『好きになるごっこ』の延長が犬を虐待することなら、それも恋なのかもしれない。
──いわば、恋を、してみたのだ。

人間に、なってみたのだ。


倉庫の犬を縛り上げ、恋をしてみる。
友達がする恋を、私はわかってあげる。
なんて、普通の青春みたいなんだろう。
 寂しいが、埋まっていく。

どこにもない居場所。強制される感情。誰にも向かない感情。
全部のやり場が、そこにある。
見つけられたらきっと私も彼女も、輪の一員になれる日が来るかもしれない。
だからこそ、彼女を止められない。
私も、止められない。

だって、恋愛は特別な才能なんだ。
見下したような恋愛漫画とか、自尊心を問われるだとか、誰かが付き合うかを聞かされ続けるとか、性格が悪いのではと否定や心配されるだとか。
 そんななかで特別な才能の無いものが何を出来るだろう?

冷たい、ひどい、それしか言わないんだ。
優しい、暖かい、そんなもの、どこにも無い幻想なのに。


「でもあまりひどくしたら、柴犬が死んじゃうんじゃないの?」

 ゴミ箱に投げ捨てられた靴を拾い、教室で体操服に着替えながら私は聞いた。
彼女は背中まである金髪の髪をぐしぐしとかきみだし、そしてひとつに結びながら、平気だよと、冷たい声で言う。

「意外とあいつら、頑丈なのよね、叩いてるのに、どこか愛情を待ってるような顔するの、ウケるのよ」

 彼女は本当に満足そうに笑う。
切れ長の目が細められ、宝石みたいに鋭く輝いた。

「愛情ってなんなのかね? そんなに電気信号が欲しいなら、向精神薬でも餌に混ぜてあげようかしら? きっと笑顔になる……」
彼女はしあわせそうに言う。嘘や冗談には見えない。なのにちょっと寂しそうな声。
はぁ、と彼女がため息をつく。
「恋って切ないのね」

 なんて言うけど、きっと本気で思って居ることを、冷たい、と頭ごなしに否定されたことがあるのだろう。

愛情や恋が信号から結び付く刺激を体に統合したシステムならば、別に彼女の言葉が冷たい、ということもないけれど、世間一般的に見ると「見えもしない感覚」だとか「熱に浮かされた曖昧ではっきりしない高揚感」だとかを、ことさら特別なもののように語り、暖かい、しあわせだと言って集団で持ち上げる姿勢が根強くある。

「混ぜてみたら? でも、人間用のって、犬には合うのかわからないよ」

「そうよねぇ……お医者さんに聞いてみた方が良いのかしら、犬用のがあるかもしれないし」

 みんなが更衣室で着替える中、本当はいけない、教室で体操服を着てるのは私たちだけ。普段みんながいる教室。
二人しかいない教室。

 私たちに『先生』はおらず、私たちはちょっとだけグレたふりをしながら、自主性を育む。ゴミ箱に投げ捨てられたジャージのほこりを払い、着ながら「完了だよ」と私は言う。
先に着替えていた彼女は嬉しそうに首肯く。

「まさか、ラストが体育なんてね」

「ねぇー、体育、運動部しか得しない」

・・・・・・・・・・・・・・・



 はっと目を覚ましたとき、私は会長室
の扉の前に居た。
「失礼しまーす……万本屋マモトヤ・北香キタカです」
 ちょっと前にばっさりショートカットにした髪がまだ体に馴染まずちょっと寒い。手でさりげなく撫で付けながら、ドアの向こうの応答を待つ。
 早朝だ。まだ部屋で寝ているかもしれないし、此処に来ているかはわからないけれど────

「まぁあ、ハクナの……」

入りなさい、と中から会長の声がして、私は中に向かった。




「それで?」

「雑魚スキダを粉にした薬物を新たに学生から押収しました。
我々の、人類恋愛拡大のため、あちこちにある観察屋のヘリがまいているものと、成分が一致しています。
 しかしなぜこんな濃いものが学生個人から……」

 スキダを粉にするものを吸うと快楽が得られる。何処かから漏れたその情報は、今ひっそりと44街の若者の間で流行っていた。他人を好きになれない劣等感から吸うものもいれば、他人を好きになり過ぎるために神経が過敏になりすぎ、それを落ち着かせる為に吸うものも居る。
会長はふふふと低く唸るように笑う。

「学生時代の恋愛は、買ってでもしたいという人が居るものよ」

「会長──」

会長が苦手だ。この優しい目。
何を考えているかわからない、ねばねばした、ねちっこい目。
ピアスを開けた耳が意味もなくむずむずした。


──スキダを安く手にいれる為の国の暗部。
44街の風俗営業。普段の私はそこでイケナイコトをして、スキダを稼いでいる。

 風俗営業でおじさんたちから手にはいるスキダは普通のスキダとはちがい、中身の無い、外側だけのようなクリスタル。
 だけど、快楽成分が含まれている。誰がつけたのか、普通のスキダが宝石で、こっちはガラスと呼ばれていた。
このスキダは中身がスカスカだから普通に所持するぶんには怪物になりもしない。

「やめろー! 離せーっ!!!」
私が紐をつけて連れてきた女子高生が、後ろでじたばた暴れた。忘れてた。
 つけまがバサバサで、ウエーブのかかったツインテールが小顔を強調し、制服の胸ポケットにやたらとお洒落な形のコンコルドが刺さって重そうになっている。なんだか懐かしいスタイルだ。

「このっ変態男! オカマ!! 女装!!」

「……この犬、どうします」

「おい」

会長はドスのきいた声を出して彼女を睨む。

「粉を何処で手に入れた? 顧客に観察屋が居たの?」

「大変です!」

会長室に、いきなり男性が割り込んできた。普段はハクナの雑用なんかをしている一般寄りのおじいさんだ。
会長が不思議そうにそちらを見やる。

「まあぁ! なんです、騒々しい」

「異常性癖の持ち主を調べていた会員から報告、44街付近で恋愛潰しが出たとのことで!」

「恋愛潰し?」

「観察屋が用いている薬の強いものを撒き一気に雑魚スキダを回収し、それを一気に潰して回っていると」

そちらにみんなが気を取られるうちに、女子高生はポケットから出した丈夫そうなナイフで紐を叩き切る。

「やっばもう来たんだ!」

 あっと気が付いたときには、会長室のガラスが割られていた。
ベランダに飛びうつる女子高生。


「じゃあね! これからも他人に粘着して楽しく生きな!」



2020.12/14PM1:38
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