ぶらっくきゃっと




「ごごごご、ごめんなさい!!」

 またかこの野郎!!

私は盛大に溜息を吐く。そう、今回のため息はけっっしてストレス解消のためのため息じゃない。そう、この男はいつだってそうだ。
私は先に用意しておいたモップと箒とちりとりを抱えて手早く彼の元へと近寄った。

「大丈夫です。お怪我はございませんか?」

にっこり。営業スマイルである。

毎週フルタイムで入るこの水曜日の、少し人がいないこのピーク前の時間に彼はやってくる。いわゆる常連客というやつである。
黒髪のふわふわとしたパーマ。
天然パーマなのかな。
前髪は長くて目は一切見えない。真っ黒でまとめた服。
ジャラジャラとしたアクセサリー。ピアスなんて何個開いてるんだろう。痛そうだ。

どっからどう見てもただのチャラい今時のお兄ちゃんなのに、いつもいつもあまりにも挙動不審で。
毎度の注文はココアの1番でっかいやつ。
それを毎回毎回華麗に宙に舞わせて床にぶちまけるのだ。落ち着けと私は言ってやりたい。

店長も今日はこぼさないといいね…なんて遠い目をしながら毎回見つめている。

私もそうですね…なんて言いながら注文を受けるのだが、掃除用具一式を揃えているあたり信頼していない。

「あ、あの、いつも、本当にごめんなさい」

はっとする。
そうだ今は仕事中だ。
彼について考えるより先にこの残骸を片付けなければ。
大きな身長を縮こまらせながらビクビクと怯えながらいつも謝る彼はさながらでっかいワンちゃんだ。
…ちょっと、だけ、びっくりだ。いや、かわいい。顔もわからなければ名前も年齢もわからないけれど。

そういえば、私は猫派か犬派でいうと犬派である。
でっかい黒いわんちゃんがなんだか粗相をして怒られてしょんぼりしている。母性というやつなのかなあ…。
ついつい営業ではなく笑ってしまった。  

「ごめんなさい、つい。
でも本当に、大丈夫です。勿体無いのでこぼさないようにした方がいいと思いますけど…」
「もったい、ない」
「ええ。片付けるのは大丈夫なんです、でも、こぼした後にまた同じの買われるでしょう?お店はお金が入りますけど、お兄さんに得はないですよ。だったら二杯飲んで欲しいです」
「あの、いつも、いつもお姉さん片付けてくれてて、

あの、俺嫌われてないですか」


嫌う。そんな感情お客様に抱くわけがない。
こちとらこの素敵喫茶店で雇われているバリバリのアルバイターだ。

「嫌ってないです。お陰様で清掃スキルめっちゃ上がってます。」

ムキッ。なんちゃって。
なんて柄にもなくポーズをとる。

社交辞令ではあるけど、本心でもある。別になんとも思っちゃいないのだ。
ピークタイムだったら殺意も湧くだろうけど、暇な時間に仕事が増えるのは歓迎である。やることないし。

西園寺さんだって、キッチンなのに、たまにカウンターに顔を出して彼女さんに指ハートしながら仕事してるし。
それをはいはいと見つめるより、お客様の役に立っていた方が私だっていいのだ。


「すきです」


時が止まった。息も止まる。
私は彼を見上げた。ちらりと目が見えた。あ、目が青い。なんでだろう。カラコンかな。

怯えていた彼は、私の手を思い切り掴んで、手のひらに小さなメモを握らせた。


「すきです、あの、今日の、夜。お時間ありませんか。ここに来て欲しいんです。
待ってます。
あの、う、受付で、レンを見に来たって、受付で言ってくれたらわかります。
ここから十分くらいのとこです。規模が小さいショーケース、出るの
久しぶりで、今日しかないんです。俺の、俺の出番、夜の22時です。いつも、終わりそのくらいですよね。あの、これ見てダメだったら此処、もう来ないので、あの、兎に角

よろしくお願いします!!」


脱兎。何が起こったのかわからない。
彼は顔を真っ赤にしながら口早にそう言うと、店を全速力で出て行ってしまった。
私は箒を持ちながらぼうっとする。

え、今、わたし、告白された?

カウンターを見れば店長もポカンとしていて、お客様にラテアートをしてたはずの西園寺さんはキッチンからわざわざ顔を出して、親指をぐっと立てていて、カウンター近くの席に座っていた西園寺さんの彼女さんも親指をグッと立てている。

私は少し赤い顔を血の気の引いた片手で冷やす。

私だって恋に憧れる19歳のうら若き乙女だ。

あんな少女漫画みたいなことされたら興味だって出てきてしまう。

でも、とりあえず、



 あの野郎、仕事中になんてことしやがった!





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