ボレロ ~智之の母、悦子の章
「それからも 政之さんは 根気よく 廣澤の両親を 説得し続けて。ようやく 私に 会ってみようっていう段階まで こぎ着けたのは 3ヵ月くらい経ってからだったわ。私 政之さんに連れられて この家に来たの。それはもう すごく緊張して。でも 廣澤の義父にとって 私が どんな人間かなんて やっぱり 興味なくてねぇ。ご挨拶しても 軽く受け流されて。政之さんが 一生懸命
『悦ちゃんとは K大で知り合ったんだ。』とか
『今は N証券で働いているんだ。』とか。私を紹介してくれるんだけど。
廣澤の義父には
『悦子さんのお父さんは どんな仕事を されているんですか?』って 聞かれただけなの 私。
『深川で 小さな商店をしております。おもに雑貨品を 販売しています。』って。
その時初めて 廣澤の義父は 正面から 私を見たの。少し 憐れむような目で。私 あぁ 終わった…って思ったわ。」
「その後で 廣澤の義父は 私の実家を 興信所に調べさせたの。近所の人が ウチのこと 色々聞かれた、って。ほら なんでも筒抜けな 下町だから。すぐ私の両親の 耳に入ってね。
『大丈夫だよ。すごく褒めておいたから。』って ご近所の人が言えば
『当たり前だ。どこを調べられたって 後ろ暗い所なんか 一つもないんだから。』って 父も真顔で 返事していたわ。
全然 興味がないなら そんなこと しないんじゃないかなって。少しは 私のこと 気にしているのかなって。私 プラス思考だから。ちょっと 希望を持ったの。廣澤の義父は 政之さんを 諦めさせる材料を 見つけたかったのにね。」
「その頃 政之さんは 家で 小さなストライキを していて。家族と 話さなくなって。わざと 新聞の求人欄を 切り取って置いてみたり。
『結婚を 認めてくれないのなら 家を出るし 廣澤工業は 継がない。』って言って。少しずつ 準備するふりを したらしいの。
廣澤の義父は どうしても 政之さんに 会社を継がせたいわけだから。出て行かれたら 大変じゃない。政之さんは 会社を継がなくても 私と生活する自信は あったから。思いが強い方が 負けちゃうのよねぇ。」