ボレロ ~智之の母、悦子の章
「翌年の春に 日比谷のホテルで 結婚式をしたのね。当時はまだ ホテルの結婚式って 珍しかったの。神社で結婚式をして 料亭で身内に お披露目するような 時代だったから。しかも 廣澤家の招待客は たくさんいるでしょう。私の身内は 怖気付いちゃってねぇ。『悦ちゃんは こんな家に嫁いで 大丈夫なのか』って。でも 私は そもそも 結婚式自体が 初めてだから。こんな物なのかなって。案外 堂々としていて みんなを 驚かしていたらしいわ。フフフッ。本当に 若いって 無謀よね。」
「新婚旅行は 九州に行ったの。羽田から 飛行機に乗って。まだ 気軽に海外に行く人は 少なくて。新婚旅行っていえば 熱海っていう時代だったから。それでも 贅沢だったのよ。私 生まれて初めて 飛行機に乗ったの、その時。結婚式よりも 緊張しちゃったわ。
政之さんとも 初めての 旅行だったから。恥ずかしくて ドキドキして… 純情だったのよ、二人とも。旅行の間も ずっと 政之さんは優しくて。ああ、この人と結婚できて 本当に良かったって。私 本当に 嬉しかったわ。これは 非日常で これから始まる生活は そんなに 甘くないってことは どこかで わかっていたんだけどね。」
「でも、結婚生活も そんなに大変では なかったのよ。家には 女中さんもいたし。新婚の頃は 政之さんも 早く帰って来てくれたから。朝 政之さんを 送り出して。それから 女中さんに 教わりながら 掃除や洗濯をして。驚いたのは お客さんがいなくても 10時と3時に お茶を飲むことね。私の実家は ただ忙しくて。そんな余裕 無かったから。ああ、お金持ちは こういう所が 違うんだって。」