とある高校生の日常短編集
「はい、これで手当は終わり」
「あ、ありがとうございます」
 保健医に言われ、すみれはお礼を言う。
「軽く捻っただけだと思うから、安静にしていればすぐに落ち着くと思うわ。ただ、痛みが長引くようなら、病院へ行ってみて」
「はい、ありがとうございました」
 もう一度、すみれは保健医にお礼を言う。そして、悠貴と二人で保健室を出た。



 帰り道。
 いつもは委員会の仕事を済ませてから帰るのだが、手首を負傷したすみれは、六花に言われて先に帰っていた。
「……で、お仕事放り投げて帰宅しても大丈夫なんですか? 生徒会長様」
「ん? 大丈夫だよ。副島にも”帰っていい”っていう許可貰ったし」
 そんなすみれの隣に、さも当然と言わんばかりの顔で一緒に歩いている悠貴。
「このくらい軽い捻挫だから、荷物くらい持てるってば」
「まあまあ。別に何か盗ったりする訳でもないし」
 すみれが不服そうに悠貴を見るも、悠貴は至って涼しい顔で。
「それより、ごめんな」
 しかしその後、悠貴がいきなり神妙な顔で謝ってきた。あまりにも唐突な謝罪に、すみれは瞳を瞬かせる。
「……えっと、それは、何に対する謝罪?」
「いや、俺がもっと早くに掃除に戻ってきていれば、すみれが怪我せずに済んだのかなって思って……」
 しゅんとした雰囲気で言う悠貴。すると、すみれは笑顔を見せた。
「そんな事ないって。あれは不慮の事故だったんだし」
「不慮の事故、ねぇ……」
 悠貴の反応に、すみれの顔から笑顔が消えた。何故なら、悠貴の顔が急に険しくなったからだ。
「……まぁ、真偽の程は定かではないけれども。今はそういうことにしておこう?」
 控えめな声で悠貴にそう言うすみれ。悠貴はなんとも言えない顔ですみれを見たが、「わかった」と頷いてくれた。



 数日後。
「あっ」
 鞄の中をあさっていたすみれから、突然の声。その声に悠貴が反応した。
「どうした?」
「やばい……筆箱おいて来ちゃった……」
 そういって青い顔をするすみれ。悠貴は隣で笑った。
「これまた随分大事な物を忘れたね」
「だ、だって! 昨日、別の鞄に移し替えたの、忘れちゃってたんだもん……!」
 悠貴に言われて反論するすみれ。一方の悠貴は、「はいはい、そうですか」と言いながら自分の筆箱を開けた。
「はい、俺のでよければどうぞ」
「え? いいの?」
「ああ。元々予備を一本ずつ持っていてさ」
 悠貴はそういって、すみれにシャーペンと多機能ボールペンを渡す。
「消しゴムは……確かここに小さいのがいたと思ったんだけど……」
「だったら、俺のを使ってください」
 最後に消しゴムを探し始めた悠貴だったが、先に副島が消しゴムを差し出してきた。
「ありがとう、副島君! 悠貴もありがとう」
 すみれが笑顔でお礼を言う。すると、悠貴も副島もにこやかに「どういたしまして」と返した。
「そういえば、もう右手は大丈夫なのか?」
 ふと悠貴に尋ねられて、すみれは右手を二人に見せた。
「この通り、動かしても痛くなくなったよ」
 そういって手首を回してみせるすみれ。それを見て、悠貴は安心したように微笑んだ。
「ですが、まだ油断は禁物です。くれぐれも無理をなさらぬように」
「はい、気をつけます」
「……なんで副島には素直なんだよ、すみれは……」
 副島の話に素直に頷くすみれを見て、どこかつまらなさそうな顔をする悠貴。そんな悠貴を見て、すみれと副島は顔を合わせて笑った。そこに……
「おっはよ~! 会長! 副島君!」
 ハイテンションで現れた古野。すみれの肩がビクッと上下した。
「おはよう、古野さん」
「おはようございます」
 一方、悠貴と副島はしれっと挨拶を返す。すみれも挨拶を返そうかと悩んでいると、古野がすみれに向き直った。
「あ、南雲さん! 丁度良かった。ゆか、南雲さんにお願いがあって!」
 何故かすみれに猫なで声で話しかけてくる古野。すみれの中に嫌な予感が渦巻いた。
「あのね、今日、家庭科の課題でノートを集めるんだけどぉ……ゆか、手が痛くって運べないのぉ。だから、代わりに南雲さんにお願いしたくってぇ」
 もじもじしながら頼む古野。すると、副島が反応した。
「でしたら、代わりに俺が引き受けますよ」
 副島の言葉に、古野は「え? いいの?!」とわざとらしく、体ごと副島に向き直った。
「あ、でもぉ、ゆかの怪我に副島君は関係ないからぁ、巻き込んじゃうのはちょっと、申し訳ないっていうか……」
「それって、どういう意味かな?」
 古野の意味深長な言い方に、今度は悠貴が反応する。心なしかとげとげしい雰囲気になっているのは、気のせいではないだろう。
「だってぇ、ゆかが怪我したのは、南雲さんのせいだからぁ……だから、ここは南雲さんに頼むのが筋かなぁって思ってぇ。それに副島君、生徒会だから忙しいでしょ?」
 体をクネクネさせながら言う古野。
「だぁかぁらぁ、ここは南雲さんにお願いしたいなぁって思っ――」
「じゃあお前、どこ怪我してんだよ」
 古野の声を、別の男子生徒の声が遮った。驚いて振り返ると、そこには穏やかでない雰囲気をまとった松野がいた。
「え? あ、ま、松野君! お、おは――」
「だから、お前、どこを怪我してんだよ」
 古野が何かを誤魔化そうとしたが、松野の剣幕がそれを許さない。古野はたじろいだ。
「だ、だからぁ、この前の掃除の時に、ゆか、転んじゃってぇ……その時に、手を痛めちゃって……てか、松野君も一緒にいたじゃ~ん」
 古野はそういうと、あははと乾いた笑みで誤魔化す。しかし、松野の剣幕は変わらなかった。
「嘘つくなよ。お前、あの後いの一番に教室に戻っていたじゃねぇかよ」
「え、えー? そう? た、たまたまじゃないかなぁ?」
「保健室に行ってきた割に、教室に戻るの、早過ぎんじゃね?」
「そ、そんなことないよぉ……」
「それにお前、あん時、手に湿布とか何にもしてなかったぜ」
 ここまで松野に責められて、ぎくっと古野の肩が揺れる。それを誰も見逃さなかった。
「そ、そそそそそれは……そ、そう! 保健室に行ったんだけど、誰もいなかったの! だから、何にもして貰えなくって……」
「あれ? おかしいな」
 古野の言い訳に、今度は悠貴が反応した。すると、また古野の肩がぎくっと揺れる。
「俺、あの後すみれを連れて保健室に行ったんだけど、先生が言ってたよ? ”この時間の怪我は珍しい””私、ずっと保健室にいたけど、貴方たちの前に保健室に来たのは、体育の授業で怪我をした二年の男子だ”って」
 心なしか、悠貴の口角がつりあがっているように見える。その話を聞いた古野は、「ええとぉ……」と言葉を濁した。
「それからもう一つ」
 すると、また松野が口を開く。
「さっきお前、自分が怪我をしたのは南雲のせいだって言っていたよな? あれ、どういう意味だよ」
 松野の言葉に、悠貴と副島は首を傾げた。悠貴と副島は、すみれと古野が転んだ現場を見ていないので、首を傾げるのも仕方の無いことなのだが。
「あ、あれは、その……転んで南雲さんにぶつかった時に、手を痛めちゃった訳で……」
「転んでぶつかったのは、お前の方だろう」
「そ、そうだけど……」
「だったら怪我をしたのは自業自得だろう。最も、本当に怪我したのかも怪しいけどな」
 次々と古野を責め立てる松野。すると、すみれが動いた。
「も、もういいよ松野君。その辺に――」
 すみれがそう言って、松野を制止すべく掌を彼に向けたときだった。
「いつっ――!」
 松野の右手がすみれの右手首を掴む。その瞬間、すみれの表情が歪んだ。
「……まだ治ってねぇんじゃん」
 そして、不機嫌そうな声色で一言。悠貴と副島は驚いた顔ですみれを見、すみれはその場で縮こまった。
「あちゃー……上手く誤魔化せたつもりだったんだけど……」
「俺もスポーツ歴が長いからな……何となく見てりゃ分かるよ」
 松野の話に、すみれが「てへっ」といわんばかりに舌をちろっと出してすぐ引っ込めた。そんなすみれに、溜め息をつく松野。そして、古野をキッと睨んだ。
「挙げ句、まだ怪我が治っていない南雲に、重たい荷物を運ばせようとするとは……お前も中々に度胸があるな」
 松野がとどめの嫌みを放つ。古野は悔しさで顔を歪めていた。
「もう何よ! どいつもこいつも! そんなにこの女が良いわけ!?」
 そしてついに、古野がやけになって叫んだ。いや、こちらが本性なのだろう。
「どう見たって私の方が可愛いし愛嬌もあるのに! 何で誰も私に振り向かないわけ?! おかしいでしょ! 女としてのスペックは私の方が上なのに、それなのに……!」
 ぎゅっと、両手の拳を力強く握る古野。
「たかが転んだだけで皆にチヤホヤされちゃって、馬鹿みたい! ただ本人が鈍くさいだけなのに! 挙げ句、その後始末が私に来たのよ!? よりによって! 信じられないったらありゃしない!」
 古野の金切り声は続いた。
「松野も副島も会長も! 私みたいな可憐で可愛くて愛嬌のある女の子より、そんな鈍くさい低スペック女が良いんでしょ!? さっきだって、忘れ物したってだけであんなに寄ってたかってチヤホヤされて……図に乗ってんじゃないわよ!! どう考えたって、誰がどう考えたって、私の方が上なのに――」
「要するに、チヤホヤされたいのかな?」
 古野の金切り声を、悠貴の冷静な……いや、冷たい声が遮った。すると、古野は驚いた顔をして悠貴を見上げる。
「色んな人に構って貰えるすみれが羨ましくて、自分も同じように構って貰いたい、チヤホヤされたい……そういう意味だよね?」
 古野の真正面に立って尋ねる悠貴。すると、古野は「そ、それは……」と尻ごんだ。
「それとね。随分とすみれのことを下に見てくれているようだけれども……人の話は聞かない、先生に頼まれたことも人に押しつける、自分で散らかしたゴミさえ片付けられなくて、挙げ句怪我人に荷物持ちをさせる……そんな人が、人様のこと、そんな風に言えるとでも思っているのかな?」
 悠貴の言葉の中にある、確かな敵意。その敵意に、古野はたじろいだ。
「で、でも……」
「可愛ければ、何をしても許されるのかな?」
 悠貴の表情は笑顔だった。それはそれは、背筋が凍るほどの笑顔で。
「ごめんね、もう少し手加減しようかと思ったんだけど……俺も人間だからさ」
 悠貴はそういって、話を続けた。
「正直、貴方の行動には迷惑ばかり被っているんで、もう剥がして頂けませんかね? その猫の皮」
 にっこりと、しかし確実に刺さる一言。古野は力なく項垂れた。
「そんな……こんなのって……」
 力なく呟く古野。しかし次の瞬間、勢いよく顔を上げた。
「でも、私! 会長が好きなの! だから……」
「だから?」
 高圧的な悠貴の態度に、古野は言葉を飲んだ。
「俺に好意を抱いてくれているのは嬉しいよ。だけどゴメンね。俺、こんなに平然と人を傷つける人は……というか、君のことは到底好きになれないや」
「そんなぁ……」
 あっさりばっさりと悠貴に振られて、古野は力なくへたり込む。そんな古野の様子をみて、副島は小さく笑った。
「それと、追い打ちをかけて悪いんだけどさ」
 悠貴はそういうと、へたり込んだ古野に視線を合わせるようにしゃがんだ。
「本当に許してもらいたいのなら、ちゃんと言ってね? すみれへの謝罪」
 これもまたにっこりと古野に言う悠貴。すると、古野は声を震わせて言った。
「ご、ごめんなさーい……!」
 ……こうして、古野の一件は終わりを迎えた。



 その後、古野は教室を飛び出して行った。勿論、誰も後を追ったりはしなかったが。一件落着し、すみれは安堵の息をついた。そして、何かに気がついたように松野を見る。
「あ、そうだ! 松野君!」
 すみれに呼ばれて、彼女を見下ろす松野。
「ありがとね、助けてくれて」
 笑顔でお礼を言うすみれに、松野は視線をそらした。
「いや、別に……羽田野の一件で、南雲には結構迷惑かけたしな……」
「え? まだ気にしてたの?」
「当たり前だ」
 ちょっと良い雰囲気で話をする松野とすみれ。そんな二人の雰囲気を見て、副島は「おや」と呟く。
「それに……お前が怪我したとき、俺、何にも出来なかったから……」
 松野がしょんぼりとした雰囲気で話す。すると、すみれは「気にしないで」と返した。
「しょうがないよ。掃除をさっさと片付けなくちゃいけなかったし、二人も欠けてバタバタしていたから」
 笑顔のまま話すすみれ。松野はそんなすみれを見て、つられるように破顔した。すると――
「ちょっと失礼、松野君」
 すみれの背後から、悠貴がのこっと現れた。顔は笑顔だが、どことなく殺気のようなものを感じるのは気のせいだろうか……
「そろそろ、すみれの手を離して貰っても良いかな?」
 悠貴はそういうと、すみれの右腕を掴んだ。すると、松野は「あ、悪ぃ」と言って手を離す。
「今日は助け舟をありがとう。助かったよ」
「あ、いや……別に……」
「それで悪いんだけど、すみれにちょっっっっっと言いたいことがあるから、これにて失礼するね」
 悠貴はそういうと、すみれを引っ張って廊下に出る。すみれが「え? ちょ、待って! 何!?」と騒いでいる声が遠のいていった。
「……相変わらずだな、あの二人……」
「本当に騒がしくて申し訳ありません」
「おわっ!?」
 松野の独り言にさりげなく返答したのは、今まで沈黙をつらぬいていた副島だった。
「い、いつの間に……」
「ずっといましたよ。それより、うちの会長が失礼しました」
 副島はそういうと、松野に頭を下げる。すると、松野は「いやいや」と両手を胸の前で左右に振った。
「本当なら、もっとキッチリカッチリお礼を言うべきなのですが……いかんせん、南雲さんには過保護でして……」
 副島の話を聞いて、松野は何となく納得した。確かに会長は、南雲に対して過保護……というか、それ以上というか……
「……とはいえ、それは貴方も同じですかね」
「は?」
 直後、副島が呟いた意味深長な言い方。思わず反応してしまう松野。すると、副島はめがねの中央を中指でくいっと押し上げた。
「いえいえ。それでは、今回は誠にありがとうございました」
 副島はそれだけ言い残し、どこかへ行ってしまった。松野はそんな副島を、ぽかんと見送っていた。



~おまけ~
「捻挫の一件……あれは一体、どういうことなのかな? すみれさん」
「す、すみません……」
「”すみません”じゃなくって、理由を聞きたいんだけどなぁ?」
「いや、その……ご、誤魔化せるかなぁって思って。ほぼほぼ治ってきたし、これ以上心配かけるのも悪いかなって思って……」
「あのね……いつも言ってるよね? ”何かあったらすぐ俺に言え”って」
「そ、そうなんだけど――」
「遠慮なんていらないから。それよりも、遠慮されてすみれに何か起る方が俺は嫌なんだからね」
「は、はい……って、え?」
「あっ……」
「い、今のって……」
「だ、えっと、その! 友達としてって言うか! すみれに何かあったら、委員会とかも色々大変になるだろ!」
「……そうですよね……以後気をつけます……」
 廊下で悠貴のお説教を食らっているすみれ。
「……本当、素直じゃないですね、あの人たちは」
 そんな二人の光景を、遠くからこっそり見ていた副島が呟いた。
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