とある高校生の日常短編集
メイド喫茶でアルバイト
ここは、とある喫茶店。可愛いメイド服をきた女性達がお客をもてなす、いわゆる「メイド喫茶」だ。
そんなお店に、すみれはいた。白と黒を基調とした可愛らしいフリフリのメイド服を着て、お店のバックヤードにいたのだ。
「ありがとう、すみれちゃん! 本当に助かる!」
すみれにそう言って、手を合わせて頭を下げるのは、すみれのクラスメイト。
「私なんかでお役に立てるか、だけど……」
「ううん! そんな事無いよ! すみれちゃん、すっごく可愛いもん!」
「い、いや、そんなこと――」
「ね? 先輩!」
クラスメイトはそういうと、近くにいた先輩メイドに声をかける。
「うんうん、全くもってその通り! もう可愛すぎて、叶うのならお持ち帰りしたいくらいよ!」
「え、いや、そんな……」
あまりの褒められっぷりに、すみれの頬が赤くなる。すると、クラスメイトと先輩メイドは「可愛いな」と微笑んだ。
さて、何故すみれがメイド喫茶にいるのかというと、このメイド喫茶ではクラスメイトがアルバイトをしているのだが、お店のメイドが複数人、感染症にかかってしまって人手が急に減ってしまったのだ。その穴埋めとして、クラスメイトから「一週間だけでいいから、メイド喫茶で働いてくれないか」と頼まれたのである。
「それで、すみれちゃんの源氏名なんだけど……」
「源氏名?」
聞きなれない単語に、すみれが首を傾げる。
「要は、ハンドルネームだよ。メイド用の名前。まぁ、本名でもいいんだけど……こういう場所だから、源氏名を使うのを推奨していてね」
クラスメイトの説明に、すみれは「へー」と呟く。
「という事で、どうする? 源氏名」
クラスメイトに言われて、すみれは考え込む。
「ちなみに、私は”カオリ”っていう源氏名だよ」
「へー……」
「で、さっきの先輩は”ユカリ”っていう源氏名。自分の名前をもじったり、花とか鳥とかの名前を使っている人とかが多いかな」
クラスメイトことカオリに言われ、すみれは更に考えた。
(名前をもじる……花とか鳥の名前……うーん、”すみれ”をもじるのか……)
考えること数分。何か思いついたのか、すみれはポンッと手を打った。
「ねぇ、”スズメ”はどうかな?」
すみれの提案に、カオリは笑顔で「いいね!」と言った。
「かわいいと思う! それじゃ、メイドでいるときだけ、スズメちゃんってことで」
「あ、そっか。スズメって呼ばれるから、それで反応しないといけないのか……よし、頑張るぞ!」
意気込むすみれ。それを見て、カオリは嬉しそうに微笑んでいた。
「それじゃ、説明は一通りやったし……早速お店に行こっか!」
「う、うん……!」
そして、いざ本番となり、緊張するすみれ。それを見たカオリが笑った。
「大丈夫。分からないことがあったり、何かあったら、誰でもいいからすぐに言ってね?」
「あ、ありがとう……頑張る……!」
……こうして、カオリと共にお店へと出たすみれ。最初こそぎこちなかったが、一時間ほどでそれなりに仕事をこなせるようになってきた。
「スズメちゃん、良い感じだね。その調子で頑張れ!」
「はい、ありがとうございます!」
先ほどの先輩ことユカリに励まされ、すみれは笑顔で仕事を続ける。すると、お店に誰かが入ってきた。
「あ、お帰りなさいませ、ご主人さ――」
早速すみれが出迎えたが、客人の顔を見て凍りついた。何故なら、そこには悠貴がいたからだ。いや、厳密には悠貴と男子がもう一人、いるのだが……
「すいません。二人でお願いできますか?」
悠貴に言われ、すみれははっとなる。
(や、やばい、どうしよう……ばれる訳にもいかないから、ここは思いっきりメイドになりきって、他人のふりを決め込もう!)
そして、パニック寸前の頭で決心し、すみれは笑顔で席まで悠貴達を案内した。
「では、お冷やとおしぼり、お持ちしますね」
すみれはそういうと、カオリを捕まえ、バックヤードの傍まで連れて行った。
「ど、どうしたの……?」
「今さっき、悠貴が……三笠君が来たの!」
「え? 生徒会長が!?」
すみれの報告に、目を丸くさせるカオリ。
「もう一人男子を連れていたんだけど……ど、どうしよう……!」
「確かに、ここでバイトしているってバレたくないよね……」
カオリはそういうと、すみれに「ちょっと待ってて」と言ってどこかへ行ってしまう。カオリが戻ってくるまでの間、どうしようかと思っていたすみれだったが、他の客から呼ばれてしまい、一度注文を取りに向かった。そして、オーダーを取り終えてバックヤード近くに戻ると……
「あ、いたいた!」
「ごめんね、ちょっとオーダーとりに行ってて……」
すみれが謝ると、カオリは「気にしないで」と返した。
「会長の所は、特に指名が無ければユカリ先輩とか他の先輩がつくって言ってたから……指名さえ入らなければ、無理して近づかなくても良いよって事になったよ」
カオリの説明に、すみれは安堵の息をつく。
「そっか……じゃあ、指名さえ免れれば、接触せずに済むわけなんだね」
「そういうこと! だから、指名されないことを祈っておこう!」
「うん……!」
……と、必死に悠貴達からの指名が来ないことを祈っていたすみれだったのだが……
「ごめん! あのお客さん、どうしてもスズメちゃんが良いって……」
ユカリが頭を下げる。すると、すみれは「頭を上げてください!」と慌てて言った。
「リーダーが、あの手この手と頑張って対応したらしんだけど……全部かわされちゃったって言われて……」
しゅんとした顔で説明するユカリ。すみれは、一度息を吐き出した。
「……分かりました。こうなったら、意地でもバレないよう、全力で他人のふりを演じてきます!」
すみれはそういうと、ガッツポーズを取る。それを見て、カオリとユカリが「頑張れ!」とエールを送る。
「ようし……って、そうだ。私を指名してきたのはどっちだったんですか?」
そして意気揚々と出かけようとしたが、肝心なことを思い出し、ユカリに尋ねるすみれ。すると、ユカリがこっそり指さした。
「私たちから見て、右側に座っている男性だよ」
すみれがユカリの指さした先を見る。その指の先には……
「うげ……よりによって、悠貴……」
友達と楽しそうに喋っている悠貴だった。せめて隣の友人からだったら、まだ良かったのにな……と心の中で盛大な溜め息を一つつく。
「まぁ、ここは私の演技力をフル活動させて、乗り切りますか!」
「そのいきよ、スズメちゃん! はい、ご注文のオムライスとケチャップ!」
「ありがとう! いってきます!」
カオリからオムライスとケチャップが乗っかったトレーをもらい、すみれは覚悟を決めて悠貴の座るテーブルへと向かった。
「お待たせしましたぁ、ご主人様!」
いつもよりやや高めで、普段ならめったに出さない猫なで声。そして、満面の営業スマイルで悠貴の元に向かったすみれ。すると、悠貴はこちらを見て笑顔を見せた。
「ありがとう」
「いえいえ。では、こちらに、オムライスを置かせて頂きますね」
声が下がらないように注意しつつ、すみれはオムライスをトレーから机の上に置く。
「では、ご主人様。オムライスに絵をお描きしますかぁ?」
一生懸命、ぶりっ子キャラを想像して話すすみれ。すると、悠貴はいつもと変わらぬトーンで返してきた。
「そうだね……それじゃ、しまえながちゃんで」
そういって、にこっと笑う悠貴。すみれは一瞬びくっとしたが、必死に平静を装った。
「し、しまえながちゃんですね? あの白い小鳥さんですよね?」
「そうそう。別名、白い妖精だったかな」
違う、しまえながちゃんの別名は”雪の妖精”だ、とツッコみそうになったが、ぐっと堪えるすみれ。
「分かりました。では、頑張ってかわいく書いていきますね!」
すみれはそういうと、オムライスにケチャップでしまえながちゃんを書いていく。流石しまえながちゃんの大ファンだけあって、綺麗に書ける……のかと思いきや……
(うわーん……少しガタガタになっちゃったよぉ……)
ただでさえ絵描きが得意でないのに、ケチャップでオムライスに絵を描くという特異な場面も加わり、少し不格好なしまえながちゃんが出来上がった。とはいえ、書き直す訳にもいかず……周りにハートをちらして、それとなく誤魔化した。
「お、お待たせしました、ご主人様。しまえながちゃんオムライスでーす」
そして、すみれ自身も笑顔と愛嬌で誤魔化す作戦を打ち出す。悠貴はオムライスをみると、数十秒間、固まっていた。
(あ、あれ? どうした? 何かあった?)
戸惑うすみれ。直後、悠貴はふとそっぽを向き、数秒後にこちらに顔を向けた。その顔は何故か妙な笑顔で。
「ありがとう。かわいいしまえながちゃんオムライスだね」
そう言う悠貴の肩が、微妙に震えている。笑いを堪えているのだろう。
(こ、こいつぅ……人の絵が下手だって思ってやがるなぁ……!!)
すみれの中で怒りが燃え上がる。しかし、正体をばらす訳にはいかないと、ぐっと堪えた。
「そ、それからぁ。ご主人様のご希望があれば、オムライスがもぉっと美味しくなる呪文を唱えさせて頂きますけどぉ……?」
「そっか。それじゃ、折角だし、お願いします」
さらっと笑顔で言う悠貴。すみれは必死に表情を崩さぬようにしながら「分かりましたぁ」と答え。両手でハートを作った。
「萌え萌えキュンキュン、オムライス、もぉっと美味しく、なーあーれ!」
マニュアル通りの動作をこなすすみれ。そして、笑顔で悠貴を見た。
「はい! スズメのハート、いーっぱい入れておきましたよ!」
表情筋を引きつらせないよう、必死に耐えながら言う。すると、悠貴は何だか満足そうな笑顔をしていた。
「うん、ありがとう」
そして、爽やかな笑顔。これは、いつもの営業スマイル……とは、どこか少し違う笑顔に見えたすみれ。
「そ、それじゃあ、ごゆっくり召し上がってください」
すみれはそういうと、一礼して悠貴から離れた。そして、バックヤードに駆け込む。
「……だぁ! つ、疲れた……」
「お疲れ、スズメちゃん……大丈夫?」
すると、バックヤードに駆け込んだすみれを心配したカオリが、すみれの元にやってきた。
「う、うん。大丈夫……ただ、表情筋が引きつらないようにするのが大変で……」
すみれの話に、カオリは「あはは」と笑う。しかし、何故かその表情が急に引き締まった。
「あのね、スズメちゃん。話しそびれていた事があるんだけど……」
カオリの言葉に、すみれは首を傾げて彼女に向き直った。
「実はね、最近、迷惑客予備軍のお客様がいるんだよ」
「予備軍? 迷惑客じゃなくて?」
すみれの問いに、カオリは頷く。
「なんだろう、迷惑客の一歩手前って所かな……でも、ブラックリストに載るまで時間の問題って感じの人なんだけど」
カオリの話しに、すみれの表情が真剣な物になった。
「うちのお店、原則お触りは禁止だし、個人情報を聞き出したりするのも勿論禁止なの。店内にも掲示してあるし、メニューとかにも書いてあるんだけど……」
言われて、すみれは思い返す。言われると確かに、メニュー表やお店の掲示板などに書いてあったなと。
「その人はね、とにかく触りたがるの」
「メイドに?」
「そう! でね、毎回『連絡先教えて』とか『一緒にご飯行きたいから、仕事いつ終わるのか教えて』とか言ってくるんだ……」
カオリはそういうと、げんなりとした顔を見せる。
「しかも、特定のメイドとか、この人だけにしつこく……っていうタイプじゃなくて、自分の相手をしてくれるメイドだったら、誰にでも同じような事をしてくるのよ」
「うわぁ……個人的な攻撃もアレだけど、手当たり次第ってのもタチ悪いね……」
すみれが言うと、カオリは何度も頷いた。
「それでね、さっき、そのお客さんが来店してきて……新人であっても、スズメちゃんにちょっかい出してくる可能性があるから、教えておかなくちゃって思って!」
カオリはそういうと、すみれとバックヤードの扉から店内をのぞき込む。そして、その迷惑客予備軍の人物を指さした。
「中年太りのおっさんって感じ……?」
「その通り。あの人には、極力近づかないこと。もし近づく事があっても、必要最低限の会話しかしないようにね!」
カオリの助言に、すみれは「ありがとう」と言う。カオリは「それじゃ、お店に戻るね」 と戻って行ってしまった。
「……さて、私もお店に戻らないと」
すみれもすみれで、気合いを入れ直してお店に戻った。すると、いきなりユカリに声をかけられる。
「あ、スズメちゃん! 丁度良かった。さっきご指名くれたお客さんが、コーヒーを持ってきて欲しいって」
「あ、はーい」
ユカリに言われて、すみれはコーヒーを準備する。
(悠貴はブラック派だから、シュガーもミルクも要らないか)
コーヒーだけをトレーに乗せ、悠貴の元に向かうすみれ。
「ご主人様、お待たせしましたぁ。ご注文のコーヒーですぅ」
「あ、どうも」
すみれがコーヒーをテーブルに置くと、悠貴は笑顔で会釈をする。すると、悠貴の隣に座っている男子がひょいっと顔を出した。
「おっ、その子がスズメちゃんすか? めっちゃ可愛いじゃないっすか!」
こちらはニヤッと笑いながら言ってくる。すみれは営業マニュアルを思い出し、営業スマイル全開で「ありがとうございますぅ」とお礼を言った。
「あれ? 先輩、コーヒーにミルクとか砂糖は入れないんすか?」
直後、すみれが持ってきたコーヒーを見て、男子が悠貴に尋ねた。
「ああ。俺は基本、ブラック派だからね」
悠貴がそういうと、すみれは「でしょうね」と心の中で得意気に呟く。しかしその直後、悠貴が首を傾げた。
「それにしても、よく俺がブラック派って分かったね。普通なら、コーヒーと一緒にミルクや砂糖を持ってくるだろうに」
鋭い悠貴の指摘に、すみれは「しまった!」と肩を揺らす。
「え、ええっと……その……う、うっかり、お砂糖とミルクを忘れてきちゃって……」
そして、必死に誤魔化すすみれ。すると、悠貴は「そっか」と答えた。
「そういうときは、ミルクと砂糖が必要か、聞いた方がいいと思いますよ」
「は、はぁい……ありがとうございますぅ」
さらっと笑顔で言う悠貴。すみれはお礼を言ったものの、内心は大荒れだった。
(折角人が気を利かせてブラックで持ってきたのに……ああでも、そうだよね、初対面設定ならミルクと砂糖が無いと不自然か……てことは、余計な気遣いをしちゃった的な?)
頭の中でぐるぐる考え事をするすみれ。すると……
「いいだろ~、ちょっとぐらい~」
でれっとした男の声が聞こえ、思わず振り返るすみれ。すると、先ほどカオリに教えて貰った客が、メイドを一人捕まえて話しかけていた。
「あの、ご主人様。そういった質問には答えかねますので……」
「なんでぇ? そんな、遠慮しなくてもいいんだよぉ」
「えっと……あ、ちょっと失礼しますね」
「あっ……」
そのメイドは、うまくかわして迷惑客から逃れる。すみれはそれを見届けて、小さく安堵の息をついた。
(あれが噂の迷惑客か……変なことしないと良いんだけれども)
心の中でそう思いつつ、いざとなったら自分が何とかしなきゃと心に誓うすみれ。ふと悠貴の方を見ると、一緒に来た男子と共に、険しい顔であの迷惑客を見ていた。
(……どうしたんだろう? 珍しく、眉間にしわ寄せて……)
すみれがぼーっと見ていると、ふと悠貴がこちらを見てきた。恐らく、すみれの視線に気がついたのだろう。
「ああ、ごめんね。何かあった?」
「あ、いえ、別に……」
すみれは咄嗟にそういうと、にっこりと笑う。すると、悠貴は「そっか」と言ってコーヒーを一口飲んだ。
「すいませーん」
直後、声がかかる。すみれが振り返ると、皆忙しそうにバタバタしており、誰もオーダーに迎えそうになかった。
「はーい、今行きますねぇ」
すみれはそういうと、悠貴に一礼して声の主のところへ向かう。すると……
(うげっ……あの迷惑客……!)
思わず立ち止まりそうになるが、必死に笑顔を作って声をかけた。
「お、お待たせしました、ご主人様。ご注文ですか?」
すみれが声をかけると、迷惑客はでれっと表情を崩す。
「あれぇ? 見ない顔だね。新人ちゃん?」
「はい。よろしくお願いします」
すみれがいうと、迷惑客は「ぐへへ」と不気味な笑い声を上げる。すみれは一歩退きそうになったが、必死に堪えた。
「そっかぁ。分からないことがあったら聞いてね? 僕も、ここに来て結構長いんだぁ」
「そ、そうなんですね。それで、ご注文は?」
お前に聞く事なんて何も無ぇよ、と心の中で毒づきながら、注文を促す。
「えっとぉ、このラブリーカレーとぉ、いちごジュースがいいかなぁ」
「ラブリーカレーと、いちごジュースですね。畏まりました」
すみれはメモにオーダーを書き付ける。
「それでは、お料理を――ひあっ!?」
そして、さっさと下がろうとしたとき、すみれの腰に何かが触れた。見れば、迷惑客の手がすみれの腰に触れているでは無いか。
「君、かぁわいいねぇ……もっと近くで顔を――」
パシツ!
迷惑客がすみれの腰を引き寄せようとしたとき、すみれの手が迷惑客の手をはたき落とした。
「えっ……」
「お客様。当店では、こういった行為を禁止しておりますので、お控え頂きますでしょうか」
淡々と、冷たい眼差しで話すすみれ。その姿は、風紀委員長・南雲すみれである。迷惑客は、すみれの気迫にたじろいだ。
「な、何だよ、急に……」
そして、迷惑客の反応をみて我に返る。いけない、今はメイド喫茶のメイドさんなんだと自分に言い聞かせ。
「そ、それでは、お料理をお持ちしますので、少しお待ちくださいね」
メイド用の猫なで声に戻し、そそくさとバックヤード近くへ戻った。
「だ、大丈夫? スズメちゃん」
戻るなり、カオリが心配そうに声をかける。すると、すみれは「大丈夫」と笑顔を見せた。
「それにしても、凄いかっこよかったよ! あの人にビシって言ってくれてありがとう!」
直後、ユカリが現れて、すみれの両手を握ってお礼を言う。すると、すみれは「あっ」と声を上げた。
「す、すみません! 出過ぎた真似をしちゃって……」
すみれがそういうと、ユカリは首を左右に振った。
「ううん、気にしないで。むしろ、アイツにはあれくらい言っても問題ないからさ!」
ユカリがそういうと、隣にいるカオリもうんうんと頷きながら言ってきた。
「さっすが、我が校自慢の風紀委員長! かっこいい!」
カオリの話しに、ユカリが「え?」と声を上げる。
「スズメちゃん、風紀委員なの?」
「そうなんです! どんな不良が相手だろうとも、ビシッと取り締まってくれる、超頼もしい風紀委員長なんですよ!」
カオリの説明に、ユカリが「なるほど」と頷く。
「だから、あんなにかっこよかったんだ……うわぁ、尊敬しちゃう!」
「い、いやぁ……そんな人間じゃないですって……てか、学校だと、逆に”厳しすぎるから、もう少し緩めなさい”っていつも怒られてばっかりで……」
ユカリに褒められ、すみれはつい照れ笑い。
「でも、今回はそれのおかげで助かったわ。これで、少しはおとなしくしてくれれば良いんだけど……」
ユカリはそういうと、恨めしそうに例の迷惑客を横目で睨む。すみれも、あの迷惑客がこれ以上問題を起こさないことを祈った。
それからしばらくして。色々と仕事に駆け回っていたすみれだったが、ある程度落ち着いた頃、悠貴の所に二杯目のコーヒーを届けに行った。
「お待たせしました、ご主人様ぁ。ブラックコーヒーでございます」
猫なで声で、にっこりと笑いながらコーヒーを置くすみれ。すると、悠貴も相変わらずの笑顔で「ありがとう」と返した。
「ご主人様。食後の甘いデザートはいかがですか?」
すみれはそういうと、メニュー表を開いてテーブルの上に載せた。
「へぇ、いっぱいあるんだね……」
しばしメニューを見ていた悠貴だったが、やがて顔を上げてすみれを見た。
「ちなみに、スズメさんのオススメはどれ?」
唐突な質問に、すみれは思わず瞳を瞬かせる。
「私のオススメ、ですか……?」
つい素に戻ってしまったすみれ。途中で我に返り、猫なで声で続けた。
「そ、そうですねぇ……わたしは、このブドウパフェですかねぇ」
すみれがそういうと、悠貴は笑顔で「じゃ、それで」と言った。すみれは「畏まりました」と言って、バックヤード側へ向かう。しばらくして、出来上がったブドウパフェを持って悠貴のところへ戻って行った。
「お待たせしました、ご主人様。らぶりんブドウパフェでございますぅ」
そう言ってブドウパフェをテーブルの上に置く。悠貴は「ありがとう」というと、スプーンを手に取った。
「……すごいっすね。このパフェ」
「なー。何処から食べようか悩むなぁ……」
そういって、パフェをじーっと見つめる悠貴。一方のすみれも、パフェをじーっと見つめていた。
(……美味しそうだなぁ……)
目の前に大好物のぶどうがあり、思わずガン見してしまうすみれ。すると、それを見ていた悠貴が口を開いた。
「良かったら食べる? 1口」
「はぇっ?!」
突然声をかけられて、素っ頓狂な声をだすすみれ。
「あ、いや、その、私は大丈夫ですので! ど、どうぞお食べ下さい、ご主人様!」
必死に笑顔を取り繕い、猫なで声で返すすみれ。悠貴は「そっか」といい、スプーンにブドウを1粒乗せた。そして、それをゆっくり……まるで、すみれに見せつけるように、口に運んだ。
(こんのぉ……人の気も知らないで……あー、落ち着け私! 今は見ず知らずの他人に接客中って設定よ!!)
自分に言い聞かせ、頑張って笑顔をキープするすみれ。口角がひくついているのは気のせいだろうか。
「んー……このぶどう、美味しいね」
「めっちゃ美味しそうっすもん……俺も1口いいっすか!?」
すると、隣に座っていた男子が悠貴に尋ねた。それを聞いて、悠貴は男子の前に置かれていたスプーンを手にとり、クリームの部分をすくいとる。
「はい、どうぞ」
そして、スプーンの柄の方を男子に向ける。男子は嬉しそうにスプーンを受け取ると、「いっただっきまーす!」とクリームを頬張った。
「うーん、クリーム美味い……じゃなくて! ブドウ、無いんすか?!」
「うん、ない」
「ちょ、先輩! ひどくないっすか!?」
男子にギャーギャー言われるも、悠貴は至って涼しい顔で。そんな2人のやり取りに、すみれがこっそり笑った時だった。
「なんだよぉ! 俺はお客様だぞ、ご主人様だぞぉ! メイドのくせに生意気だなぁ!」
少し離れたところから、怒声が聞こえてきた。振り返ると、例の迷惑客が1人のメイドに向かって怒鳴っているではないか。
「で、ですからご主人様! 当店ではメイドへのお触りは禁止させて頂いていると──」
「そんな事、僕知らないもん! メイドなんだから、大人しくご主人様の言うことを聞いていればいいんだよぉ!!」
迷惑逆はそう怒鳴ると、メイドの腕を掴む。
「きゃっ──」
「聞き分けの悪いメイドには、お仕置きだな!」
迷惑客はそう言うと、メイドめがけて手を振り上げる。それを見た瞬間、すみれはその方向に駆け出しそうになったが。
「お客様」
後ろから冷たい悠貴の声が聞こえ、思わず立ち止まる。その声に、迷惑客も手を止め、こちらを睨んできた。
「何だよ! 誰だ!」
迷惑客がわめき散らす。すると、悠貴はわざとらしく音を立てながら椅子から立ち上がった。
「すみれはここで待っててね」
悠貴は笑顔ですみれに声をかける。すみれが「は、はい……」と返事をすると、悠貴は隣に座っている男子に「彼女を頼む」と言い残し、迷惑客の所へ歩み寄って行った。
「お客様。他のお客様のご迷惑になりますので、その手を離しては頂けないでしょうか」
淡々と迷惑客に話しかける悠貴。すると、迷惑客は振り上げた手をそのままに、悠貴に向き直った。
「何だよお前ぇ! これは僕とこの子の問題なんだから、部外者は出てくんなぁ!」
迷惑客が悠貴に怒鳴る。すると、悠貴はため息をついた。
「そういえば、申し遅れましたね……私は、この店のオーナーです」
悠貴の一言に、迷惑客は勿論、捕まっているメイドも目を丸くさせた。
「お、オーナー……!?」
「当店のメイドに迷惑をかけるというのであれば、オーナーである私も黙って見過ごす訳には行かないですからね」
動揺する迷惑客。悠貴は、メイドの腕を掴む迷惑客の手首を掴んだ。
「さて、もう一度申し上げますね……彼女を離して頂けませんか?」
にこっと、笑顔で迷惑客に話す悠貴。すると、迷惑客はメイドを掴む手を離した。
「くっ……こ、この……」
「それからお客様? お客様はメイドへの接触禁止を知らないと仰っておりましたが……当店ではメニュー表や店内に、禁止事項の案内を掲示しているんですよ」
悠貴は迷惑客の手首を掴んだまま、話を続ける。
そんなお店に、すみれはいた。白と黒を基調とした可愛らしいフリフリのメイド服を着て、お店のバックヤードにいたのだ。
「ありがとう、すみれちゃん! 本当に助かる!」
すみれにそう言って、手を合わせて頭を下げるのは、すみれのクラスメイト。
「私なんかでお役に立てるか、だけど……」
「ううん! そんな事無いよ! すみれちゃん、すっごく可愛いもん!」
「い、いや、そんなこと――」
「ね? 先輩!」
クラスメイトはそういうと、近くにいた先輩メイドに声をかける。
「うんうん、全くもってその通り! もう可愛すぎて、叶うのならお持ち帰りしたいくらいよ!」
「え、いや、そんな……」
あまりの褒められっぷりに、すみれの頬が赤くなる。すると、クラスメイトと先輩メイドは「可愛いな」と微笑んだ。
さて、何故すみれがメイド喫茶にいるのかというと、このメイド喫茶ではクラスメイトがアルバイトをしているのだが、お店のメイドが複数人、感染症にかかってしまって人手が急に減ってしまったのだ。その穴埋めとして、クラスメイトから「一週間だけでいいから、メイド喫茶で働いてくれないか」と頼まれたのである。
「それで、すみれちゃんの源氏名なんだけど……」
「源氏名?」
聞きなれない単語に、すみれが首を傾げる。
「要は、ハンドルネームだよ。メイド用の名前。まぁ、本名でもいいんだけど……こういう場所だから、源氏名を使うのを推奨していてね」
クラスメイトの説明に、すみれは「へー」と呟く。
「という事で、どうする? 源氏名」
クラスメイトに言われて、すみれは考え込む。
「ちなみに、私は”カオリ”っていう源氏名だよ」
「へー……」
「で、さっきの先輩は”ユカリ”っていう源氏名。自分の名前をもじったり、花とか鳥とかの名前を使っている人とかが多いかな」
クラスメイトことカオリに言われ、すみれは更に考えた。
(名前をもじる……花とか鳥の名前……うーん、”すみれ”をもじるのか……)
考えること数分。何か思いついたのか、すみれはポンッと手を打った。
「ねぇ、”スズメ”はどうかな?」
すみれの提案に、カオリは笑顔で「いいね!」と言った。
「かわいいと思う! それじゃ、メイドでいるときだけ、スズメちゃんってことで」
「あ、そっか。スズメって呼ばれるから、それで反応しないといけないのか……よし、頑張るぞ!」
意気込むすみれ。それを見て、カオリは嬉しそうに微笑んでいた。
「それじゃ、説明は一通りやったし……早速お店に行こっか!」
「う、うん……!」
そして、いざ本番となり、緊張するすみれ。それを見たカオリが笑った。
「大丈夫。分からないことがあったり、何かあったら、誰でもいいからすぐに言ってね?」
「あ、ありがとう……頑張る……!」
……こうして、カオリと共にお店へと出たすみれ。最初こそぎこちなかったが、一時間ほどでそれなりに仕事をこなせるようになってきた。
「スズメちゃん、良い感じだね。その調子で頑張れ!」
「はい、ありがとうございます!」
先ほどの先輩ことユカリに励まされ、すみれは笑顔で仕事を続ける。すると、お店に誰かが入ってきた。
「あ、お帰りなさいませ、ご主人さ――」
早速すみれが出迎えたが、客人の顔を見て凍りついた。何故なら、そこには悠貴がいたからだ。いや、厳密には悠貴と男子がもう一人、いるのだが……
「すいません。二人でお願いできますか?」
悠貴に言われ、すみれははっとなる。
(や、やばい、どうしよう……ばれる訳にもいかないから、ここは思いっきりメイドになりきって、他人のふりを決め込もう!)
そして、パニック寸前の頭で決心し、すみれは笑顔で席まで悠貴達を案内した。
「では、お冷やとおしぼり、お持ちしますね」
すみれはそういうと、カオリを捕まえ、バックヤードの傍まで連れて行った。
「ど、どうしたの……?」
「今さっき、悠貴が……三笠君が来たの!」
「え? 生徒会長が!?」
すみれの報告に、目を丸くさせるカオリ。
「もう一人男子を連れていたんだけど……ど、どうしよう……!」
「確かに、ここでバイトしているってバレたくないよね……」
カオリはそういうと、すみれに「ちょっと待ってて」と言ってどこかへ行ってしまう。カオリが戻ってくるまでの間、どうしようかと思っていたすみれだったが、他の客から呼ばれてしまい、一度注文を取りに向かった。そして、オーダーを取り終えてバックヤード近くに戻ると……
「あ、いたいた!」
「ごめんね、ちょっとオーダーとりに行ってて……」
すみれが謝ると、カオリは「気にしないで」と返した。
「会長の所は、特に指名が無ければユカリ先輩とか他の先輩がつくって言ってたから……指名さえ入らなければ、無理して近づかなくても良いよって事になったよ」
カオリの説明に、すみれは安堵の息をつく。
「そっか……じゃあ、指名さえ免れれば、接触せずに済むわけなんだね」
「そういうこと! だから、指名されないことを祈っておこう!」
「うん……!」
……と、必死に悠貴達からの指名が来ないことを祈っていたすみれだったのだが……
「ごめん! あのお客さん、どうしてもスズメちゃんが良いって……」
ユカリが頭を下げる。すると、すみれは「頭を上げてください!」と慌てて言った。
「リーダーが、あの手この手と頑張って対応したらしんだけど……全部かわされちゃったって言われて……」
しゅんとした顔で説明するユカリ。すみれは、一度息を吐き出した。
「……分かりました。こうなったら、意地でもバレないよう、全力で他人のふりを演じてきます!」
すみれはそういうと、ガッツポーズを取る。それを見て、カオリとユカリが「頑張れ!」とエールを送る。
「ようし……って、そうだ。私を指名してきたのはどっちだったんですか?」
そして意気揚々と出かけようとしたが、肝心なことを思い出し、ユカリに尋ねるすみれ。すると、ユカリがこっそり指さした。
「私たちから見て、右側に座っている男性だよ」
すみれがユカリの指さした先を見る。その指の先には……
「うげ……よりによって、悠貴……」
友達と楽しそうに喋っている悠貴だった。せめて隣の友人からだったら、まだ良かったのにな……と心の中で盛大な溜め息を一つつく。
「まぁ、ここは私の演技力をフル活動させて、乗り切りますか!」
「そのいきよ、スズメちゃん! はい、ご注文のオムライスとケチャップ!」
「ありがとう! いってきます!」
カオリからオムライスとケチャップが乗っかったトレーをもらい、すみれは覚悟を決めて悠貴の座るテーブルへと向かった。
「お待たせしましたぁ、ご主人様!」
いつもよりやや高めで、普段ならめったに出さない猫なで声。そして、満面の営業スマイルで悠貴の元に向かったすみれ。すると、悠貴はこちらを見て笑顔を見せた。
「ありがとう」
「いえいえ。では、こちらに、オムライスを置かせて頂きますね」
声が下がらないように注意しつつ、すみれはオムライスをトレーから机の上に置く。
「では、ご主人様。オムライスに絵をお描きしますかぁ?」
一生懸命、ぶりっ子キャラを想像して話すすみれ。すると、悠貴はいつもと変わらぬトーンで返してきた。
「そうだね……それじゃ、しまえながちゃんで」
そういって、にこっと笑う悠貴。すみれは一瞬びくっとしたが、必死に平静を装った。
「し、しまえながちゃんですね? あの白い小鳥さんですよね?」
「そうそう。別名、白い妖精だったかな」
違う、しまえながちゃんの別名は”雪の妖精”だ、とツッコみそうになったが、ぐっと堪えるすみれ。
「分かりました。では、頑張ってかわいく書いていきますね!」
すみれはそういうと、オムライスにケチャップでしまえながちゃんを書いていく。流石しまえながちゃんの大ファンだけあって、綺麗に書ける……のかと思いきや……
(うわーん……少しガタガタになっちゃったよぉ……)
ただでさえ絵描きが得意でないのに、ケチャップでオムライスに絵を描くという特異な場面も加わり、少し不格好なしまえながちゃんが出来上がった。とはいえ、書き直す訳にもいかず……周りにハートをちらして、それとなく誤魔化した。
「お、お待たせしました、ご主人様。しまえながちゃんオムライスでーす」
そして、すみれ自身も笑顔と愛嬌で誤魔化す作戦を打ち出す。悠貴はオムライスをみると、数十秒間、固まっていた。
(あ、あれ? どうした? 何かあった?)
戸惑うすみれ。直後、悠貴はふとそっぽを向き、数秒後にこちらに顔を向けた。その顔は何故か妙な笑顔で。
「ありがとう。かわいいしまえながちゃんオムライスだね」
そう言う悠貴の肩が、微妙に震えている。笑いを堪えているのだろう。
(こ、こいつぅ……人の絵が下手だって思ってやがるなぁ……!!)
すみれの中で怒りが燃え上がる。しかし、正体をばらす訳にはいかないと、ぐっと堪えた。
「そ、それからぁ。ご主人様のご希望があれば、オムライスがもぉっと美味しくなる呪文を唱えさせて頂きますけどぉ……?」
「そっか。それじゃ、折角だし、お願いします」
さらっと笑顔で言う悠貴。すみれは必死に表情を崩さぬようにしながら「分かりましたぁ」と答え。両手でハートを作った。
「萌え萌えキュンキュン、オムライス、もぉっと美味しく、なーあーれ!」
マニュアル通りの動作をこなすすみれ。そして、笑顔で悠貴を見た。
「はい! スズメのハート、いーっぱい入れておきましたよ!」
表情筋を引きつらせないよう、必死に耐えながら言う。すると、悠貴は何だか満足そうな笑顔をしていた。
「うん、ありがとう」
そして、爽やかな笑顔。これは、いつもの営業スマイル……とは、どこか少し違う笑顔に見えたすみれ。
「そ、それじゃあ、ごゆっくり召し上がってください」
すみれはそういうと、一礼して悠貴から離れた。そして、バックヤードに駆け込む。
「……だぁ! つ、疲れた……」
「お疲れ、スズメちゃん……大丈夫?」
すると、バックヤードに駆け込んだすみれを心配したカオリが、すみれの元にやってきた。
「う、うん。大丈夫……ただ、表情筋が引きつらないようにするのが大変で……」
すみれの話に、カオリは「あはは」と笑う。しかし、何故かその表情が急に引き締まった。
「あのね、スズメちゃん。話しそびれていた事があるんだけど……」
カオリの言葉に、すみれは首を傾げて彼女に向き直った。
「実はね、最近、迷惑客予備軍のお客様がいるんだよ」
「予備軍? 迷惑客じゃなくて?」
すみれの問いに、カオリは頷く。
「なんだろう、迷惑客の一歩手前って所かな……でも、ブラックリストに載るまで時間の問題って感じの人なんだけど」
カオリの話しに、すみれの表情が真剣な物になった。
「うちのお店、原則お触りは禁止だし、個人情報を聞き出したりするのも勿論禁止なの。店内にも掲示してあるし、メニューとかにも書いてあるんだけど……」
言われて、すみれは思い返す。言われると確かに、メニュー表やお店の掲示板などに書いてあったなと。
「その人はね、とにかく触りたがるの」
「メイドに?」
「そう! でね、毎回『連絡先教えて』とか『一緒にご飯行きたいから、仕事いつ終わるのか教えて』とか言ってくるんだ……」
カオリはそういうと、げんなりとした顔を見せる。
「しかも、特定のメイドとか、この人だけにしつこく……っていうタイプじゃなくて、自分の相手をしてくれるメイドだったら、誰にでも同じような事をしてくるのよ」
「うわぁ……個人的な攻撃もアレだけど、手当たり次第ってのもタチ悪いね……」
すみれが言うと、カオリは何度も頷いた。
「それでね、さっき、そのお客さんが来店してきて……新人であっても、スズメちゃんにちょっかい出してくる可能性があるから、教えておかなくちゃって思って!」
カオリはそういうと、すみれとバックヤードの扉から店内をのぞき込む。そして、その迷惑客予備軍の人物を指さした。
「中年太りのおっさんって感じ……?」
「その通り。あの人には、極力近づかないこと。もし近づく事があっても、必要最低限の会話しかしないようにね!」
カオリの助言に、すみれは「ありがとう」と言う。カオリは「それじゃ、お店に戻るね」 と戻って行ってしまった。
「……さて、私もお店に戻らないと」
すみれもすみれで、気合いを入れ直してお店に戻った。すると、いきなりユカリに声をかけられる。
「あ、スズメちゃん! 丁度良かった。さっきご指名くれたお客さんが、コーヒーを持ってきて欲しいって」
「あ、はーい」
ユカリに言われて、すみれはコーヒーを準備する。
(悠貴はブラック派だから、シュガーもミルクも要らないか)
コーヒーだけをトレーに乗せ、悠貴の元に向かうすみれ。
「ご主人様、お待たせしましたぁ。ご注文のコーヒーですぅ」
「あ、どうも」
すみれがコーヒーをテーブルに置くと、悠貴は笑顔で会釈をする。すると、悠貴の隣に座っている男子がひょいっと顔を出した。
「おっ、その子がスズメちゃんすか? めっちゃ可愛いじゃないっすか!」
こちらはニヤッと笑いながら言ってくる。すみれは営業マニュアルを思い出し、営業スマイル全開で「ありがとうございますぅ」とお礼を言った。
「あれ? 先輩、コーヒーにミルクとか砂糖は入れないんすか?」
直後、すみれが持ってきたコーヒーを見て、男子が悠貴に尋ねた。
「ああ。俺は基本、ブラック派だからね」
悠貴がそういうと、すみれは「でしょうね」と心の中で得意気に呟く。しかしその直後、悠貴が首を傾げた。
「それにしても、よく俺がブラック派って分かったね。普通なら、コーヒーと一緒にミルクや砂糖を持ってくるだろうに」
鋭い悠貴の指摘に、すみれは「しまった!」と肩を揺らす。
「え、ええっと……その……う、うっかり、お砂糖とミルクを忘れてきちゃって……」
そして、必死に誤魔化すすみれ。すると、悠貴は「そっか」と答えた。
「そういうときは、ミルクと砂糖が必要か、聞いた方がいいと思いますよ」
「は、はぁい……ありがとうございますぅ」
さらっと笑顔で言う悠貴。すみれはお礼を言ったものの、内心は大荒れだった。
(折角人が気を利かせてブラックで持ってきたのに……ああでも、そうだよね、初対面設定ならミルクと砂糖が無いと不自然か……てことは、余計な気遣いをしちゃった的な?)
頭の中でぐるぐる考え事をするすみれ。すると……
「いいだろ~、ちょっとぐらい~」
でれっとした男の声が聞こえ、思わず振り返るすみれ。すると、先ほどカオリに教えて貰った客が、メイドを一人捕まえて話しかけていた。
「あの、ご主人様。そういった質問には答えかねますので……」
「なんでぇ? そんな、遠慮しなくてもいいんだよぉ」
「えっと……あ、ちょっと失礼しますね」
「あっ……」
そのメイドは、うまくかわして迷惑客から逃れる。すみれはそれを見届けて、小さく安堵の息をついた。
(あれが噂の迷惑客か……変なことしないと良いんだけれども)
心の中でそう思いつつ、いざとなったら自分が何とかしなきゃと心に誓うすみれ。ふと悠貴の方を見ると、一緒に来た男子と共に、険しい顔であの迷惑客を見ていた。
(……どうしたんだろう? 珍しく、眉間にしわ寄せて……)
すみれがぼーっと見ていると、ふと悠貴がこちらを見てきた。恐らく、すみれの視線に気がついたのだろう。
「ああ、ごめんね。何かあった?」
「あ、いえ、別に……」
すみれは咄嗟にそういうと、にっこりと笑う。すると、悠貴は「そっか」と言ってコーヒーを一口飲んだ。
「すいませーん」
直後、声がかかる。すみれが振り返ると、皆忙しそうにバタバタしており、誰もオーダーに迎えそうになかった。
「はーい、今行きますねぇ」
すみれはそういうと、悠貴に一礼して声の主のところへ向かう。すると……
(うげっ……あの迷惑客……!)
思わず立ち止まりそうになるが、必死に笑顔を作って声をかけた。
「お、お待たせしました、ご主人様。ご注文ですか?」
すみれが声をかけると、迷惑客はでれっと表情を崩す。
「あれぇ? 見ない顔だね。新人ちゃん?」
「はい。よろしくお願いします」
すみれがいうと、迷惑客は「ぐへへ」と不気味な笑い声を上げる。すみれは一歩退きそうになったが、必死に堪えた。
「そっかぁ。分からないことがあったら聞いてね? 僕も、ここに来て結構長いんだぁ」
「そ、そうなんですね。それで、ご注文は?」
お前に聞く事なんて何も無ぇよ、と心の中で毒づきながら、注文を促す。
「えっとぉ、このラブリーカレーとぉ、いちごジュースがいいかなぁ」
「ラブリーカレーと、いちごジュースですね。畏まりました」
すみれはメモにオーダーを書き付ける。
「それでは、お料理を――ひあっ!?」
そして、さっさと下がろうとしたとき、すみれの腰に何かが触れた。見れば、迷惑客の手がすみれの腰に触れているでは無いか。
「君、かぁわいいねぇ……もっと近くで顔を――」
パシツ!
迷惑客がすみれの腰を引き寄せようとしたとき、すみれの手が迷惑客の手をはたき落とした。
「えっ……」
「お客様。当店では、こういった行為を禁止しておりますので、お控え頂きますでしょうか」
淡々と、冷たい眼差しで話すすみれ。その姿は、風紀委員長・南雲すみれである。迷惑客は、すみれの気迫にたじろいだ。
「な、何だよ、急に……」
そして、迷惑客の反応をみて我に返る。いけない、今はメイド喫茶のメイドさんなんだと自分に言い聞かせ。
「そ、それでは、お料理をお持ちしますので、少しお待ちくださいね」
メイド用の猫なで声に戻し、そそくさとバックヤード近くへ戻った。
「だ、大丈夫? スズメちゃん」
戻るなり、カオリが心配そうに声をかける。すると、すみれは「大丈夫」と笑顔を見せた。
「それにしても、凄いかっこよかったよ! あの人にビシって言ってくれてありがとう!」
直後、ユカリが現れて、すみれの両手を握ってお礼を言う。すると、すみれは「あっ」と声を上げた。
「す、すみません! 出過ぎた真似をしちゃって……」
すみれがそういうと、ユカリは首を左右に振った。
「ううん、気にしないで。むしろ、アイツにはあれくらい言っても問題ないからさ!」
ユカリがそういうと、隣にいるカオリもうんうんと頷きながら言ってきた。
「さっすが、我が校自慢の風紀委員長! かっこいい!」
カオリの話しに、ユカリが「え?」と声を上げる。
「スズメちゃん、風紀委員なの?」
「そうなんです! どんな不良が相手だろうとも、ビシッと取り締まってくれる、超頼もしい風紀委員長なんですよ!」
カオリの説明に、ユカリが「なるほど」と頷く。
「だから、あんなにかっこよかったんだ……うわぁ、尊敬しちゃう!」
「い、いやぁ……そんな人間じゃないですって……てか、学校だと、逆に”厳しすぎるから、もう少し緩めなさい”っていつも怒られてばっかりで……」
ユカリに褒められ、すみれはつい照れ笑い。
「でも、今回はそれのおかげで助かったわ。これで、少しはおとなしくしてくれれば良いんだけど……」
ユカリはそういうと、恨めしそうに例の迷惑客を横目で睨む。すみれも、あの迷惑客がこれ以上問題を起こさないことを祈った。
それからしばらくして。色々と仕事に駆け回っていたすみれだったが、ある程度落ち着いた頃、悠貴の所に二杯目のコーヒーを届けに行った。
「お待たせしました、ご主人様ぁ。ブラックコーヒーでございます」
猫なで声で、にっこりと笑いながらコーヒーを置くすみれ。すると、悠貴も相変わらずの笑顔で「ありがとう」と返した。
「ご主人様。食後の甘いデザートはいかがですか?」
すみれはそういうと、メニュー表を開いてテーブルの上に載せた。
「へぇ、いっぱいあるんだね……」
しばしメニューを見ていた悠貴だったが、やがて顔を上げてすみれを見た。
「ちなみに、スズメさんのオススメはどれ?」
唐突な質問に、すみれは思わず瞳を瞬かせる。
「私のオススメ、ですか……?」
つい素に戻ってしまったすみれ。途中で我に返り、猫なで声で続けた。
「そ、そうですねぇ……わたしは、このブドウパフェですかねぇ」
すみれがそういうと、悠貴は笑顔で「じゃ、それで」と言った。すみれは「畏まりました」と言って、バックヤード側へ向かう。しばらくして、出来上がったブドウパフェを持って悠貴のところへ戻って行った。
「お待たせしました、ご主人様。らぶりんブドウパフェでございますぅ」
そう言ってブドウパフェをテーブルの上に置く。悠貴は「ありがとう」というと、スプーンを手に取った。
「……すごいっすね。このパフェ」
「なー。何処から食べようか悩むなぁ……」
そういって、パフェをじーっと見つめる悠貴。一方のすみれも、パフェをじーっと見つめていた。
(……美味しそうだなぁ……)
目の前に大好物のぶどうがあり、思わずガン見してしまうすみれ。すると、それを見ていた悠貴が口を開いた。
「良かったら食べる? 1口」
「はぇっ?!」
突然声をかけられて、素っ頓狂な声をだすすみれ。
「あ、いや、その、私は大丈夫ですので! ど、どうぞお食べ下さい、ご主人様!」
必死に笑顔を取り繕い、猫なで声で返すすみれ。悠貴は「そっか」といい、スプーンにブドウを1粒乗せた。そして、それをゆっくり……まるで、すみれに見せつけるように、口に運んだ。
(こんのぉ……人の気も知らないで……あー、落ち着け私! 今は見ず知らずの他人に接客中って設定よ!!)
自分に言い聞かせ、頑張って笑顔をキープするすみれ。口角がひくついているのは気のせいだろうか。
「んー……このぶどう、美味しいね」
「めっちゃ美味しそうっすもん……俺も1口いいっすか!?」
すると、隣に座っていた男子が悠貴に尋ねた。それを聞いて、悠貴は男子の前に置かれていたスプーンを手にとり、クリームの部分をすくいとる。
「はい、どうぞ」
そして、スプーンの柄の方を男子に向ける。男子は嬉しそうにスプーンを受け取ると、「いっただっきまーす!」とクリームを頬張った。
「うーん、クリーム美味い……じゃなくて! ブドウ、無いんすか?!」
「うん、ない」
「ちょ、先輩! ひどくないっすか!?」
男子にギャーギャー言われるも、悠貴は至って涼しい顔で。そんな2人のやり取りに、すみれがこっそり笑った時だった。
「なんだよぉ! 俺はお客様だぞ、ご主人様だぞぉ! メイドのくせに生意気だなぁ!」
少し離れたところから、怒声が聞こえてきた。振り返ると、例の迷惑客が1人のメイドに向かって怒鳴っているではないか。
「で、ですからご主人様! 当店ではメイドへのお触りは禁止させて頂いていると──」
「そんな事、僕知らないもん! メイドなんだから、大人しくご主人様の言うことを聞いていればいいんだよぉ!!」
迷惑逆はそう怒鳴ると、メイドの腕を掴む。
「きゃっ──」
「聞き分けの悪いメイドには、お仕置きだな!」
迷惑客はそう言うと、メイドめがけて手を振り上げる。それを見た瞬間、すみれはその方向に駆け出しそうになったが。
「お客様」
後ろから冷たい悠貴の声が聞こえ、思わず立ち止まる。その声に、迷惑客も手を止め、こちらを睨んできた。
「何だよ! 誰だ!」
迷惑客がわめき散らす。すると、悠貴はわざとらしく音を立てながら椅子から立ち上がった。
「すみれはここで待っててね」
悠貴は笑顔ですみれに声をかける。すみれが「は、はい……」と返事をすると、悠貴は隣に座っている男子に「彼女を頼む」と言い残し、迷惑客の所へ歩み寄って行った。
「お客様。他のお客様のご迷惑になりますので、その手を離しては頂けないでしょうか」
淡々と迷惑客に話しかける悠貴。すると、迷惑客は振り上げた手をそのままに、悠貴に向き直った。
「何だよお前ぇ! これは僕とこの子の問題なんだから、部外者は出てくんなぁ!」
迷惑客が悠貴に怒鳴る。すると、悠貴はため息をついた。
「そういえば、申し遅れましたね……私は、この店のオーナーです」
悠貴の一言に、迷惑客は勿論、捕まっているメイドも目を丸くさせた。
「お、オーナー……!?」
「当店のメイドに迷惑をかけるというのであれば、オーナーである私も黙って見過ごす訳には行かないですからね」
動揺する迷惑客。悠貴は、メイドの腕を掴む迷惑客の手首を掴んだ。
「さて、もう一度申し上げますね……彼女を離して頂けませんか?」
にこっと、笑顔で迷惑客に話す悠貴。すると、迷惑客はメイドを掴む手を離した。
「くっ……こ、この……」
「それからお客様? お客様はメイドへの接触禁止を知らないと仰っておりましたが……当店ではメニュー表や店内に、禁止事項の案内を掲示しているんですよ」
悠貴は迷惑客の手首を掴んだまま、話を続ける。