丸いサイコロ

  7.そのずれに気付かない   


「さーてさーて、どうするー?」

まつりが言った。
――話は全く、進んでいない。
何も、変わらない。
姉を探して欲しい、という手紙が、たとえ芝居だったとしても、まつりは、なぜかそれに乗る気のようだった。

それ自体に関しては、今になって、知ったところで、なぜかぼくもそんなに驚かなかった。
それに、ここまで来て、何か不都合があるわけでもない。

もしかすると、こんなに冷静なのは、それにしたって、わからない点が多々あるからかもしれない。
兄とケイガちゃんに、繋がりが無いのなら、なぜこんなことをしているのか、とか。

――このまま嫌な空気を引きずりたい者はおらず、ぼくは、そうだな、と言う。ケイガちゃんは、複雑な顔で、何か考えていた。
ぼくはふと、兄を見て思い出したことを聞く。

「……なあ、兄」

「なんだよ、弟」

「父さんは、元気?」

「ああ」

短い返事だったが、ぼくはいろいろと確信した。
その後、兄は最初の方より喋らなくなった。代わりに適当な曲をかけ出す。
どれもが、どこか、あたたかくて、どこか、からっぽな曲だった。

──10分、20分。
しばらくの無言が続く。
ぼくは車内の時計を見たり、窓の外を見ていた。
シーツも、小物も真っ黒な車内から、黒以外を探すような気持ちで。

まつりはただ、にこにこしながら、タンタタン、タタン、タンタタン、タタン、と指でリズムを取り続ける。
窓から見える、進行方向の道に、だんだん曲がり角が多くなってきた。

流れる歌詞が繰り返す。

『ぼくのことを考えているときのきみは、大嫌い』

――その辺りで、ふと、ケイガちゃんの方を見ると、ピンク色の携帯電話で、辞書で黙々と『脱走』の意味を調べていた。
(言い訳をすると、姿を確認したかっただけで、画面を覗くつもりではなかったのだが、画面が大きいので、はっきり見えてしまう。)
「脱走……」

ケイガちゃんは呟きながら、解せない、という顔をしていた。

『ぼくのことを考えてるきみだけは、決まって、ぼくのことを見もしないくせに』

乾いたような女性の声が、冷たく響く。なんだか、何かの拷問みたいだった。
永遠に許さないと、誰かに、暗に告げられているような。


「──お兄さん、こんにちは」

しばらく、リズムを取り続けていたまつりが、口を開く。いつもながらに唐突だったが、いつもよりも、今日の口調は平淡で《いつも》がそろそろまた、もう一度、終わるのかもしれないと思った。


「な~にかな」

兄が上機嫌に答える。


「ふふふ、ちょっと、車の中、飽きちゃったなって思いまして。まだですか」

「──きみは、俺がなんで《なぁちゃん》たち、を迎えに来たか、知ってる?」

「さぁ? 存じませんが、《おばさんから》の指示ではなく《あなた》の独断、なのは確かですよね」 

「そうだよ。俺が今日、自分で連れに来ただけ。久しぶりに今日の日曜日は、暇だったしな」

「どうするつもりなんですか?」

「《実験》だよ。やっぱり、俺の実験には、なぁちゃんが必要なんだぁ~。あいつは、優秀な助手だ。ずっと、そうやって来たから俺――」


「やめろ!!」


自分でも、信じられないくらい咄嗟に、大声を出していた。
ぼくは、何を怒っている?どうして、ぼくは怒っている?

「助手だと? 何をふざけたことを言っている」

兄の上着のポケットの飾りボタンが、じゃらじゃら揺れる。目眩がしそうだった。
いい加減にしろ、まだ懲りないのか。そう言いたくて口を開いたが、息がうまく吐けなかった。行き場を無くした声に、激しくむせる。

「ナナト、大丈夫?」

「……なぁ――まつり、ぼくは、どうして」

久しぶりに兄の顔を見たとき、乗っても大丈夫だ、なんて、思ってしまったんだろう。

――いや、本当は、わかっている。
改心してるんじゃないか、なんて、どこかで期待していたのだ。
不安がありながらも、本当は少し嬉しかった。
しかし今思うと、情けないような、笑えるような、変な気分だ。

「――何か、あったの?」

いつもより平淡な声ながら、いつもよりも心配そうに、まつりが聞いてきた。
間に挟まれたケイガちゃんは、なにやら懸命にメールを打っている。

ぼくは、説明すべきかも、どう言うべきなのかも、判断がつかず、回りくどい言い方をした。

「――サイコロの、理由だ」

ちらっと前方を見やると、兄は上機嫌で、音楽を聴いていた。彼には、ぼくが怒っていようと、泣いていようと、関係のないことだ。
サイコロってなんだ~?
と聞こえたが、答えない。
正直、これだけの説明で、伝わるとは思っていなかったが、まつりは何か思うところがあるのか、ああ、と呟いた。

着いたよ、と聞こえたのはそれからすぐのこと。

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