丸いサイコロ
「見捨てて? ぼくが──」
カチ、カチ、カチ、カチ。昔はなかったはずの、誰かの趣味のアンティーク風壁掛け時計が遠くで音を立てていたのが、そのときになって、やけに、耳についた。
「あ……あのとき」
──そうだ。
ぼくは、しばらく匿ってもらったのだ。彼女に、あの屋敷内に。でも、なぜだか、それを、ぼんやりとしか、思い出せないため、居心地が悪い頭痛がしてくる。
後々から、聞かされることで、実感が沸いてくるまで《無いもの》にしようとしていた。
「ぼくは──これを、言い訳にするつもりはないけど怖かったんだ。閉じ込められるのが、怖かった……迷惑をかけるのが、つらかった」
優しい扱いをされたことが、今まで生きてきたすべてを、根こそぎ否定されたように感じた。当然のような待遇すべてに、息が詰まりそうだった。
確かに、快適で、安全ではあったが、一時的なものに過ぎない。結局、何も気にせずに眠れることは、なかった。
存在を知られてはいけないので、うかつに、庭に出てはいけない。誰かが出入りしそうなたびに、耳をそば立てるのは、ストレスが溜まる。
──そもそも、ぼくは家に帰るのが嫌なわけではなかった。好きではなかったけれど、慣れてしまえばどうということはない。しかも、すぐそこにあるのだ。
もしかしたら家族が心配しているかもしれないなとか、すぐに帰らないとひどく怒られるかもしれない、とか、勝手にここに来たことを咎められてしまうなとかが、一度考えると、たくさん浮かんできて、余計に帰りたくなった。
──こういう状況のときばかり、変な、現実味がないことにまで、期待がわいてくるのは、なぜなんだろう?
そのとき、ぼくは強く、会いたいと思っていた。まつりに、家族に。匿われた一週間ほどの間、小学校にも顔を出していないはずだ。
ある日。ぼくは、黙って逃げ出した。口で告げれば、またあのもやもやした気持ちになるからこそ、決意を固めてすぐに。
「……一言くらい、告げればすんだだろう」
だが、それは彼女から見れば、身勝手な行動になるのだろう。
「そう、だな」
ふと、まつりを思い出した。あいつは今どうなっているだろうか。本当なら、入るのはよくないかもしれないが、気にせずにいられない。
「……ああ、そうだ」
彼女も、まつりを気にしているのか、ちらりとその部屋を見た。
もしかしたらあのことを思い出したのかもしれない。憂鬱な顔だった。
──そこで、その会話は終了した。『終わったことをいくら責めても、どうしようもなかったな』と、急に彼女が言い出して。
沈黙が出来て、ぼくが階段を降りようとしているところで、兄がヒビキちゃんに声をかける。
「久しぶり。迎えに来たよ~」
「……ああ。というか貴様最近、ウチの会社に出入りしているみたいじゃないか。久しぶりもなにも、よく見かけるが」
「……出入りって、先生に頼まれた要件の為に、ちょこちょこ顔を出してるんだよ。まったく、いつの間にそんな言葉づかいになったんだ? あの頃は可愛かったのになあ」
興味がないので、ぼくは飛び火(?)する前にそっと、階段を降りた。