丸いサイコロ



<font size="4">18.答えあわせの問題</font>


──その、きず、について、先に言っておくけれど、と言って、その後一旦、まつりは、視線をぼくに戻した。

「いくら近いとはいえ、 通るたびに傷を作るような道を懲りずに使って来るのは、まつりには、とても不可解だったし、そういう日は、違う傷もあることが多かった。細かい変化にも、気付いてしまうし、なにより、わざとみたいに、すごく寒い日以外、真夏のような薄いシャツで歩いていたから、見易くてね。顔以外は服にギリギリ隠れる、なんて思っていたかもしれないが、そんなこともなかった」

「──で、なにが言いたい」

フォークをひろって置き直そうとしたぼくから、まつりがそれを奪い取る。
消毒しなおさないと、置いてはダメ、ということらしい。

「昔、ここに来たらしいその日、外に出て、会った彼に、うちの弟を知らない? と言われて、ああ、きみが恐れるのはこの人か、と納得がいったんだ。あの傷についてもいろいろ聞こうとしたんだ。でも、一旦、やめておいた。知らないというと、彼は言ったよ。『弟と、どんな関係なの?』って」

「うん、それで?」

「その言葉が……なぜだかひどく、恐ろしくて。そうだ、昔から、それが恐ろしいんだ……考えていくほど、わけが、わからなくなっていった。まつりは、あの家では、家族と言っても、少し……特殊な位置で、家族が、家族じゃないと知っているし、作られたものだと知っているから、えっと……」

「改めて考えてみると、情報が膨大で把握しきれないんじゃないのか?」

佳ノ宮まつりは、関係性、というのが嫌いだ。
ただ存在すれば良くて、見掛けならいくらでも、作れるのだという。
はたからみれば、それの存在のみ大事で、当事者以外にその真偽は見分けにくいともいった。

まつりに言わせれば、愛情でも、友情でも、ただ、その関係性を得る目的にばかり拘る人が多いらしい。
少なくとも、まつりの周囲はそうでしかなかった。

関係とは、権力にも武器にもなり、誰かを陥れる凶器になる。それが、まつりにとっての、関係性の醜さ。自ら、それを壊し続けるほどの、そう思わせる人間関係や、思い出が、あったのかもしれない。

「うん、それで、家族がよくわからなくなって……普通なら、きみの方を忘れるかと思ったのに、どうやら、家族の方が、混ざってしまった。きみのことを、それだけ、確かめたかったのかな、わからない」

「それで、一旦、家に? 」

ぼくが、詳しく語られなかった部分を、補足しておこうと、聞くと、まつりは、遠くを見るような目で言った。

「よく、わからない。……これはあの軟禁から、しばらく経ってからだったな」

視線が、合わない。
まつりは、なにかを思い出したのか、付け加えた。

「ああ、そうだ……そのときに、別れ際、あのヘアゴムをもらったよ。『ちょっと前にあの館に行ったときに見つけたものだけど、きみにあげる』って。なんであんなところに用があったのか、わからないが、とにかくパニックで、ひとまずポケットに収めて帰ったっけ。経緯はよく覚えてないが、チャラかったなあ」

うふふふ、と笑いだすが、ぼくには全く笑えやしない。

「……じゃあ、あそこに落としたのは、まつり?」

しかし、そうすると、部屋の中にも、既に落ちていたのはなぜだ? 

「あの日持ってきていたのは、片方だけだよ。もらったのも、片方だ」

「片方ね……」


「その辺りも聞いておこうと、この男を引っ張ってきたわけだが、なぜ入ろうとしていたかは、聞けなかった。しかし防犯システムが働いてる感じだったから、中に入らなかったらしい。庭に落ちていたのを拾っただけだという」


「……なあ、そうだ、それだよ、兄は、大丈夫か?」
「ああ……大丈夫じゃないかな。ちょっと気絶してるだけだ。さて、入ってくれ」

まつりがふいに、ドアの向こう、ここからは見えない廊下に声をかけた。そこから、二つぶんの足音が聞こえ、コウカさんが入ってきた。

「えっと……」

色以外、全くおんなじ服装の……コウカさん、が、二人。

「ふた、二人……!? ドッペル……」

「いやー、疲れた疲れた!生きてるて思わせんの、難しいな」

水色のワンピースの彼女は高らかに笑う。

「ち、ちょっと、コウカ、静かに!」

白色のワンピースの彼女は、慌てたように隣の彼女をなだめる。しかし、彼女は聞かなかった。

「……エイカの役するの、結構難儀だったあー。でも、なかなか名演技だったろまつりん?」

「全ー然。記憶が浅かった彼女と、あまり人の違いがわからない彼じゃなかったら、とっくにツッコミを入れられてるよ」

うぐ、と、水色のワンピースのコウカさんは俯いた。まつりは表情を変えない。冷めた目は、どこか、呆れたようでもあった。

「あの……」

「私、コウカ」

「私もコウカ!」

二人が自己紹介する。同じ格好で並ばれると、似すぎて、はた目には違いがわからない。──っていうか、何でこのタイミングで告白するのだろう?

「でも漢字が違うのよ」

「だけど漢字が違うんで!」

同時に言われるが、どうしていいかわからず、目をぱちぱちと動かすぼくに、まつりだけは、やっぱり冷静に、彼女たちは双子で、さらに二人には、姉がいる。と告げた。

「あれは、エイカの自業自得なところも多かったし、きみには、結構、迷惑かけたね……」

「ああ! こいつもう、起きとるんじゃない?」

元気な方のコウカさんはぺしぺしと兄の頬を叩いた。よくみたら、腕が縛られている。
彼は、少しずつ目を開いた。良かった、無事らしい。……しかし、また目を閉じてしまった。眠いのかな。

「ぼくは……結局」

「あそこに、きみを入れれば、まつりが自然と、その辺りに誰も入らせないように配慮するだろう。きみだけは、なにか、贔屓していたようだしね」

まつりは、他人事のように言った。自分の行動も、感情も、今では実感がないように見える。

「そして、役目が終わったら、自然と解放するつもりだったのに、いつの間にか、逃げてしまったと知り、エイカは、それによって、様々なことが露見することを、恐れたの」

白いワンピースのコウカさんが言った。

「サイコロのこと、とかね」
まつりが、付け足す。
二人は、聞いてないというように、顔を見合せる。

「……サイコロ?」

「まつりがきみに、あげたんだろう? これ」

まつりが、自らのシャツのポケットから、まるっこいサイコロを取り出した。それは、懐かしい形だった。
「それ――いつも、部屋に置いてたけど……おまえのものじゃ、なかったのか?」
「違うよ」

「あ、あなた、そんなの、いつ――」

「やっぱり、あんたら、これが何か、知ってるんだ?」

「……まざー」

水色の彼女が、白い彼女を見る。彼女は首を傾けて苦笑する。

「知らない……」

視線が泳いでいた。
だがもう片方の彼女は、本当に知らないようだった。

「なあ……それが、これに、どう繋がるん?」

サイコロを顎でしゃくるようにして、水色の、ワンピースを着た方のコウカさんが聞く。(そういえば、同じような服が、どこにあったんだろう? そしてどうして、いつの間に着替えたんだろうか……)

 不満を顔で表している。
「……彼女が、指示していたってことかな」

まつりの手元でサイコロが、跳ねる。感情のわからない声音だった。

「そうね」

 彼女らのどちらかが、または、どちらもが答えた。まつりは、ぱちくりと目を見開いてみせただけだった。それから首を傾げた。


「ふうん……難しいな」

理解出来ない、と寂しそうな声だった。ふいに、ぼくに視線を向けられた。観察していたのがバレたのか、はたまた、さっきから何も言わないので、気にされたのか。
何か言うべきなのだろうか。

「……えっと」


と、言っても急には何も出てこない。
思わず顔に手をやると、傷に、ざら、と触れた。あまり良い感触ではない。鈍い音は、いつも、傷の記憶を呼び起こす。


「……どうした? なにか、辛いのか」

僅かな変化だったはずなのに、ぼくの顔色に気付いたまつりが、不安そうに聞いてきた。

「いや、そうだな……彼女が指示したと、ヒビキちゃんは、知ってるのかな」

「なぜ、それが気になる?」

答えなかった。
答えられなかった。
彼女の笑った顔を思い出した。彼女の怒った顔も、思い出した。
それから、なにか……

「なんで、かな」

ぼくは、ただそう呟いた。
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