丸いサイコロ
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すっかり、時刻は昼になり始めていた。軽く朝食を取り、食堂に倒れている男を、ぼくはじっと見ている。
ここまでを振り返ってみれば、突然眠くなって、起きて戻ってきて……あれ?
なにかが、抜けている気もするけど、とにかく食堂に行ったらまつりと兄に出会って、二人のコウカさんに会って、という流れだ。
彼は一度起きたのだが、また眠ってしまっていた。
「──ん……」
水の入ったグラスを持って、見下ろしていたら、倒れた男が、ふと身動きしたので、グラスを差し出す。
「ああ、水か……悪い」
ぼくから水を受けとった兄は、何も躊躇わずにそれを口に含んでいた。よく、まあ信頼されていたものだと思う。
それとも、ぼくが何も入れたりしないと、侮っているか、油断しているのか。──過去を持ち出しても、良いことは何一つないのだと、それだけは確かだが。ちなみに、渡したグラスは、夕飯のときから出してあった、手付かずのものだ。水はさっき入れた。
「なぁちゃん、大きくなったな」
廊下に横たわったままの兄は、グラスを床に置くと、そう言って、微笑んだ。
「──また、偽者?」
ぼくは、当然わかっている、というように冷たく聞いた。スーツなんて、らしくないものを着て。きっとやっぱり、こいつも、偽者だ。
だって、そうじゃないと──
「ああ、お前、やっぱり、まだ、人を、判別出来ないんだな」
納得したような顔をされて、ぼくは戸惑う。
「偽者だろ? そうだろ、みんなして、からかってるんだろ?」
「……俺が、お前の兄じゃないって、思うか?」
「わからないよ……」
優しい目をしていた。だから、わからない。最初、車に乗っていた《あの彼》と同じ目をしている。人は変わる。だからこそ、一番最初に作った自己基準に、いつまでもしがみついているぼくには――その変化に気付けない。
数年前の教科書にしか載って無いような――終わったことなのだと、認められない。
それが、変わる?今さら、揺るがないと、思っていたのに。常に変わらない、空気みたいな立場に、間違った安心を抱くようになっていたぼくは、こいつに敵と見なされて生きるのだと、信じていたのに。裏切られた、気分だった。
「――わからない、わからないよ、お前は、誰だよ!」
「なぁちゃん……ナナト。お前は、朝からずっと……何をそんなに怒ってるんだ? 俺が、何かしたのか。実験のことか? あれは、ちょっとやりすぎたやつもあったけどさ、そんな今更」
「――あ、ようやく起きたようだね」
足音がして、振り返ると、まつりが後ろから歩いてきていた。手に持っているのは、2メートルはある、細い縄だった。
なぜ、縄なのだろう?
ちなみにコウカさんたちは、二人で話したいことがあるようで、ただいまどこかに行っている。
「……目の前で、縄なんか持ってきて、すまない」
まつりがそう言って、ぼくを見た。だから、少しだけ、それにほっとする。
「……いや……えっと、何するんだ?」
「決まってるだろ、昔のようにあの日《この場所》で待っていたこいつが、やったことを、懺悔させてやるんだ」
パッと話が繋がらない。ぼくは目をぱちぱちと動かして、それから、兄を見た。笑っていた。馬鹿じゃないか、とでも言いたげだった。
「ははっ、馬鹿じゃないの。証拠があるのか?」
兄は、余裕の表情で、聞いた。
「ああ、証拠ね、ちょっと、調べてもらうのに時間がかかったけど、手紙の指紋が、あなたと一致した。調査報告書のコピーがこれだ」
まつりは、眉ひとつ動かさなかった。カーディガンの内ポケットから、無表情で、畳んだ紙を見せた。まるで、使命が終わるまで、とでもいうように。冷たい目をして。
「それから今、少し出ているが、証言者もいる。当時、彼女のことを知って、あなたを止めに、あそこに来ていたようだね」
「ふーん、で?」
「これが、ここで出てくるんだ。ちょっと捻ってから、コードを、繋げる……」
いつの間にか、足元に置かれていたパソコンとサイコロとを繋ぎ、まつりがカタカタと、少しキーボードを操作する。