丸いサイコロ





     □
    
 すっかり、時刻は昼になり始めていた。軽く朝食を取り、食堂に倒れている男を、ぼくはじっと見ている。
ここまでを振り返ってみれば、突然眠くなって、起きて戻ってきて……あれ?
なにかが、抜けている気もするけど、とにかく食堂に行ったらまつりと兄に出会って、二人のコウカさんに会って、という流れだ。


彼は一度起きたのだが、また眠ってしまっていた。

「──ん……」

水の入ったグラスを持って、見下ろしていたら、倒れた男が、ふと身動きしたので、グラスを差し出す。

「ああ、水か……悪い」


 ぼくから水を受けとった兄は、何も躊躇わずにそれを口に含んでいた。よく、まあ信頼されていたものだと思う。

 それとも、ぼくが何も入れたりしないと、侮っているか、油断しているのか。──過去を持ち出しても、良いことは何一つないのだと、それだけは確かだが。ちなみに、渡したグラスは、夕飯のときから出してあった、手付かずのものだ。水はさっき入れた。

「なぁちゃん、大きくなったな」

 廊下に横たわったままの兄は、グラスを床に置くと、そう言って、微笑んだ。

「──また、偽者?」

ぼくは、当然わかっている、というように冷たく聞いた。スーツなんて、らしくないものを着て。きっとやっぱり、こいつも、偽者だ。
だって、そうじゃないと──

「ああ、お前、やっぱり、まだ、人を、判別出来ないんだな」

納得したような顔をされて、ぼくは戸惑う。

「偽者だろ? そうだろ、みんなして、からかってるんだろ?」

「……俺が、お前の兄じゃないって、思うか?」

「わからないよ……」


 優しい目をしていた。だから、わからない。最初、車に乗っていた《あの彼》と同じ目をしている。人は変わる。だからこそ、一番最初に作った自己基準に、いつまでもしがみついているぼくには――その変化に気付けない。
数年前の教科書にしか載って無いような――終わったことなのだと、認められない。

それが、変わる?今さら、揺るがないと、思っていたのに。常に変わらない、空気みたいな立場に、間違った安心を抱くようになっていたぼくは、こいつに敵と見なされて生きるのだと、信じていたのに。裏切られた、気分だった。

「――わからない、わからないよ、お前は、誰だよ!」

「なぁちゃん……ナナト。お前は、朝からずっと……何をそんなに怒ってるんだ? 俺が、何かしたのか。実験のことか? あれは、ちょっとやりすぎたやつもあったけどさ、そんな今更」

「――あ、ようやく起きたようだね」

足音がして、振り返ると、まつりが後ろから歩いてきていた。手に持っているのは、2メートルはある、細い縄だった。
なぜ、縄なのだろう?

ちなみにコウカさんたちは、二人で話したいことがあるようで、ただいまどこかに行っている。

「……目の前で、縄なんか持ってきて、すまない」

まつりがそう言って、ぼくを見た。だから、少しだけ、それにほっとする。

「……いや……えっと、何するんだ?」

「決まってるだろ、昔のようにあの日《この場所》で待っていたこいつが、やったことを、懺悔させてやるんだ」

パッと話が繋がらない。ぼくは目をぱちぱちと動かして、それから、兄を見た。笑っていた。馬鹿じゃないか、とでも言いたげだった。

「ははっ、馬鹿じゃないの。証拠があるのか?」

兄は、余裕の表情で、聞いた。

「ああ、証拠ね、ちょっと、調べてもらうのに時間がかかったけど、手紙の指紋が、あなたと一致した。調査報告書のコピーがこれだ」

まつりは、眉ひとつ動かさなかった。カーディガンの内ポケットから、無表情で、畳んだ紙を見せた。まるで、使命が終わるまで、とでもいうように。冷たい目をして。

「それから今、少し出ているが、証言者もいる。当時、彼女のことを知って、あなたを止めに、あそこに来ていたようだね」

「ふーん、で?」

「これが、ここで出てくるんだ。ちょっと捻ってから、コードを、繋げる……」

いつの間にか、足元に置かれていたパソコンとサイコロとを繋ぎ、まつりがカタカタと、少しキーボードを操作する。
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