丸いサイコロ


<font size="4">21.凝視する四秒間</font>

 だいぶん明るくなったぞと、ぼくは探索を開始した。空のワインセラー。それから、それから……ほこりをかぶった、大きな木箱が置いてある。
――人が、入りそうな。
head、とfootが、上と下にそれぞれうっすら書かれている。これは、棺?
そっと、開けてみようとして、頑丈な鍵に気が付いた。

「開かないよな……」

開かない、で思い出したが、彼女はまだ来ないのだろうか。なんだか、ぼくにおあつらえ向きの部屋と言わんばかりだ。

「……この中で眠る気はないなあ」

動かそうとしてみたが、どうも動かない。たぶん『中身』が入っている。
嗅覚がぱっと働かなくて、においがしているのかは不明だ。

立ち上がると引きずって歩けたりしないかと不謹慎なことを考えそうになって、そうだ上の鍵は、かかっていないのだからと、ひとまず帰ろうとして、あれ、と思った。

燭台に火をつけてから、思った。咄嗟に、火を消す。さっき見た位置を把握しているから、暗闇でも、もうぶつからずには済みそうだけど。なにかが、まずかったような気がする。

後ろから気配がして、ランプを持った男が入って来た。楽しそうな、軽い足取りが、まっすぐに向かってくるのがわかった。

「――そう、ここにね、飼っていたんだよ。おれの、実験体」

「実験、体……」


その顔を、しっかり認識することが、ぼくには難しかった。意味不明な、図形や記号が、その顔を覆って、理解させないようにしている。吐き気がした。

「……防犯システムに穴があった頃は、良かったよ。ある日突然、工事が始まってさ、あいつには、会えなくなって」

「……これは、なに」

「……知らない。ずいぶん前からあったぜ? 中身もこのままだ」

「これの、実験って、なに」

「あ、おれはやってはいないよ?――そりゃ、死体からどんな風にお化けが出るかーとか、そういう、可愛いもんだよ。ガキの発想だったからな。いろいろしてな、見にきていたよ」

「ぼくを突き落としたのは――」

「俺だよ、なぁちゃん?」

「おまえは――」


「大好きな、兄貴だよ、なぁちゃん」


冗談だとしても笑えなかった。
だいたい、なんでここにいる? 帰ったんなら帰れよ。


「お前は、あのときのことを、探ってるんだろうが、難しく考えなくても――お前が連れ去られた理由はさ、ただ単に、お前が都合が悪いからだと、俺は思ったよ?」

「なんだよ――都合ってなんだよ、あの人は、ただ、言われて……」

怖い。
だけど、何が怖いのか、もうわからなかった。自分が、誰に何を言っているのかも、今どこにいるのかも、わからない。
足がすくんで、動けない。身体中が震えて、叫ぶことも出来ない。
せめてもの理性を保つため、喋りかけるのが、精一杯だった。


「そう、榎左記さん。彼女はお前がいると、都合が悪かった。それだけ。他の事情なんて、オマケだよ、ただの」

「――ま、待てよ、なんで、そんなことがわかるんだよ。だいたいどうして――」

サイコロの絵が、脳内に浮かんだ。あいつが、笑っていた。
――ぼくに、見せてくれた。

「……あ、もしかして」


「心当たりがあるなら結構だな。でも――その後の監視とかは、真面目にしていなかったみたいだよな。お前を逃がしたことがバレて、なによりも焦ったのは、榎左記さんだった。彼女が絡んだと言えば、彼女にいろいろと集中してしまう」

兄は、楽しそうに、語る。それは、容赦なく言葉を突き刺すような語りかただった。
心当たり、とは違う、ひらめきだったのだが……すべて聞いているわけにいかなくて、ぼくも遮るように、合わせて喋る。


「……エイカさんだけ、または第三者に擦り付けるには『あのデータ』があってはならなかったんだな。双子の中に、持っている人がいると考え、エイカさんを《自殺》させてから、あれこれ手出しをしたものの、二人は持っている様子がない、と」

「――養女である小さな女の子が、実母にこっそり会いに行っていたことを、彼女は知っていたんだか、なんらかで知ったんだかわからないが、ある日《そのこと》に目をつけた――そう考えてみると、単純だろ。さっさと終わらせようぜ。いくら引き延ばしても、いつかは、終わらなきゃいけないんだよ、弟。終わらない優しさは、ただ、しのいでるだけだ。それとも、いちいち原因にあの人が関わるから、そうするのかな」

「……お前の声が入っていたのは、共犯ってことで良いのか?」


「譲らないねぇ。ああ、そうだな……そう、かな。彼女にも、同情するところが、あったからね。じゃ、話は終わりだよ――」

長い筒が、ぼくの方を向いた。どこから見つけたのか、それは鉄パイプだった。

 ひきつった顔で、固まっていたぼくは、兄の攻撃を避けることが出来ないと、覚悟した。
――しかし、それは、幸いにも実行されなかった。


「――それは、ちょっとだけ、違うね」

後ろから、声がかかったのだ。

「……私はね、バレたのよ。大奥様に。そして、怒りを買ってしまったの。ああいう機械なんかじゃなくて、《この目》で見てしまった秘密があった。その内容は言えないけれど――始末されかけたことがあってね、助けてくれたのがまつりさんだった。何が言いたいかって――わかるかしら」
「……そう。本当に?」


 兄は、ただただ、愉快そうに、にやついていた。
コウカさんは、むっとした様子だ。というか、最初にここに来たのは、黒いシャツを着ている方のコウカさんではなかったか。
まあいいや、ちょうどいいのかもしれない。

「どういう意味?」

彼女はひきつった笑みで聞き返す。ぼくは少し考えてそれから、体が恐怖を和らげていると気付いた。
今は、動くことが出来そうだ。黙って階段をのぼる。小さく息を吐く。ようやく役目が、終わった。
それから、言った。
まっすぐに、目を見て。

「今は、あのペンダント、付けてないんですね」


 彼女は、揺るがなかった。まっすぐに、ぼくを見返した。

「なにを、言ってるの。たったそれだけで、《人違い》されたらたまったもんじゃないわ」



「――いえ、今のは、当たり障りのない、挨拶です。もちろん、それだけなんかじゃありません。でも――そうですね、あなたが認めてくださるには、何が大きな証拠になるでしょうか」

「――って、だから、どうして、私が疑われるの」

「……さあ、どうして、なんでしょう。予感ってやつですかね」

「ふざけないで」

「ごめんなさい。ふざけていなかったら、ぼくはとっくに死んでしまいます……うまいこと、あなたが認めるような証拠が出せるかは、わかりませんが――そうだな――少し、待ってくださいね」

そして、ぼくは、燭台に火を付け直す。誰も何も言わなかった。ゆっくりと、上着に突っ込んでいた手紙の、《裏側》を、火に近づける。
さっき、嫌な予感がしたの自体は本当なのだけど、罠だとしても、そうするしかないような気がした。
んー。消さなきゃ良かったかな。

 ──さっき、この紙を、持っていたんだった、と気がついて、もしかしたらと、思ったのだ。だが本当に、そうなるなんて、ぼく自身も、あまり期待していなかった。予想もしていない。気まぐれだ。

しかし、紙の一部分だけが焦げてきて、じわじわと線を描きだしたので、行動は無駄にならなかったらしい。
すべてが出てきたとき、いろんな意味で脱力感に見舞われた。すぐに火を消す。

 彼女は、紙を覗いて、なっ、とか残念そうな声で絶句しているし、兄らしい人物に至っては、腹を抱えての大爆笑だった。なんだか、もう、わからない。
あの、シリアスっぽい文面の裏が、これだ。

『ナーンテネ!(>_<) やーいやーい!』

……いったい何歳なんだよ、あいつ。


「あれ……まだ、なんか、あったっけ……」


 そこまで言ってから、考えて口に出した部分と、考えずに口にだけ出した部分、考えたけど言うまでもないと置いた部分、どっちがどっちで、どれがどうだったのか、わからなくなった。頭の中で聞く声は、どれもおんなじなのだ。
台本みたいに、頭に名前を付けて喋らないと混乱する。

さっきまで、懇切丁寧に説明していたような、ざっくり一部分しか言ってなかったような。えーっと。

「ごめん、わからない」

「……う、えーっと。だから、これが見つかるので、あなたは、この場所に来ることにしたわけですよね」

まるで頼りない。
というか、この部分に関しては、彼女が彼女でない証拠とは言えないのだが。
どう伝えればいいのだろう。

 そんな感じがする、と、理由もわからないのに、答えの方から、既にあるような感覚にばかり、頼っていた。
あーあ……だめだな、これじゃあ。本当に、ぼくは──

 ぼくが、思わずうつむいたときだった。ピンポン、とチャイムが軽快に音を立てたのが、地下でもわかった。

「ひゃっほー! お取り込み中、失礼しまーす!」

……え?
思考が、一瞬、停止する。どたどたと、足音が、こちらに近づく。
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