丸いサイコロ

「あ――手紙……そうだ、手紙だよ。脅迫のやつ――」

「あー、えーっと。言わなかった? おかしいな。言った気がしてたけど。そうだね、過去に言っていたら、覚えてるから、こんな混乱はしなかったよね」

「ああ」


「──まず、この館をそう呼ぶ人が、限られてるってことは、きみにもわかってるでしょ? だから、そうだな、うん。書いたのは――そこに関わっていた人になるわけだね。ここで、姉というのが指すのは、おばさまなわけです」


「はあ……」


「そんで、それを再現したものを、ちょうど良さげだったので、このちびっこに送りつけたのでした」

 ちびっこってなんだよ!と文句を言われているが、まつりは不思議そうにぱちくりとそちらを見ただけだ。まるで、既に用意してあった答えを聞いてきて、代わりに喋っているみたいに、実感の伴っていない声だった。

いつだったか、ぼくは、あいつが、分厚いメモ帳を持っているのを見たことがある。腕に書くだけでは、足らないことも、あるだろう。
ちらりと隙間に見えた内容は、暗号じみていて、ぼくにはまったく理解出来なかったけれど、記憶の羅列を知識の記号として、読み込むという、その行為の大変さは、ぼくには想像を絶する。
何度も何度も、プログラムを、読み込んで読み込んで、読み込んで、修正して──
それは、どんな気持ちなのだろう。

「ああ、なるほど――そう、だったんだー……なるようになるかなって。どうだったところで、どうにもならないし」

どこか、残念そうな視線を向けられた。


「ちょっとは考えてよ。ばらまいた伏線を総スルーどころか斜めに大逆走って、まったくいい度胸過ぎるよ。問題からは答えが出せるけど、答えの中から問題が出せないってことかな」


「……いやね、ちょっとは考えたんだよ、ちょっとは。でも、なんていうのかな……むしろお前の存在が嘘だったんじゃないかと」


「話がえらく飛んだな。そして、そこは疑うなよ」


佳ノ宮家は、身内で物騒な兄弟喧嘩が絶えない頃があったらしい。連れてこい、と指示されたのが誰だったのかと聞けば……たぶん、まつりなのだろう。したっぱだったからねーと言うが、実際、身分というか……家族間でも、そういう類いは珍しくない光景だろうし。

今さらのように注釈だが、佳ノ宮まつりは、話を引っ掻き回して軌道をねじ曲げて、謎を作って、増やして帰る。そういうやつだ。ぼくは、たぶん、それに利用されて、遊ばれているだけなのだろう。
だけど、なんでか、こいつだからなのか――ぼくは、悪い気がしないようだ。

だって、それは決して『無意味』ではないのだから。

 こいつは、何かを隠していると思った。意図的に、そこに触れない話をしている気がした。だって、それだけでは、おそらく――噛み合わない部分があるのだ。だけど、ぼくもあえて触れない。

――でも、本当に、なんだったんだろうか。『あれ』は。なんて。

「見ていた限り、今回そこに触れたら、ショートを起こしそうだと思ったから、やっぱり、やめておいたんだ。あ、ショートニングじゃない方だぞ」

「……その注釈は、いらないな」

本当に、全くいらない。
心の内をなぞるように、まつりは言って、ぼくはつっこんでおいた。

しかしそれが、なんの話なのかは、ピンと来なかった。それよりも、そいつの顔色が、明らかに悪いことの方が、気になって仕方がなかった。

「……お前まさかさ、強制痛み止めみたいなこと」

「あー、うん。無理矢理起き出してきたのは確かだな。えーっと。もう、ごちゃごちゃしてきたな。えーっと。あ、そう、この人なんだけど……」


ぴし、と指さされたのは、相変わらず、存在があるんだか無いんだかな、兄だった。そういえばそうだった。うーん。ぼくが認識しきれていないのだろうか。
不愉快そうに、鉄パイプを持て余している。



「あれ……誰だった、かな。そう、えーっと……あ、あの、会社の人の……えーっと。あの、なんだっけ、そう……とりあえずさ、そこの人。今日の件で《代わりになるお土産》を送っておいたから、帰ってくれていいと、思うんだよ。指定パスワードは、7から始まるやつを……候補から――」



それを聞いて、兄も、納得したようだった。
――結局、彼はなんだったんだ?
たぶん、部屋に待機していたのは、本当なんだろうけど。だってあの家を、彼が知っているわけがないし。身内から遠ざかるためにあそこを借りているのだから。

「……わからんが、わかった。弟の歪む顔を見られて良かったぜ」

「そこは同感だね」


いや……同感しないでほしい。なんてやつだ、と怒るところじゃないだろうか。
最後に満面の笑みのまつりが、兄に一言二言、なにかを囁いてから、兄は帰って行く。楽しげな様子に見えたが。

――今度こそ、帰ったんだろうな?
車のエンジン音がして、遠ざかる。そういえば、ここって、車かバスで来なきゃならない距離だっけ。
って待て、車、一台しかとまってなかったよな。 ぼくたちは、バスに乗れってことか。


「で、ええっと……」

 彼女を見て、ぼくが、どう言ったものかと考えていると、ヒビキちゃんが、かばうように、目の前に出てきた。

「……いい。私が言う。『母さま』私は、確かめたいことがあって、ここに来ました。だから――あなたが仕組んだことを、そのまま利用させてもらいました」

 彼女は、《娘》を見ても何も言わなかった。ただ、気まずそうに、目を反らしているだけだった。



それが、何を意味するのかは、わからないが、少なくとも、目を合わせるだけの自信が、無くなっているのだろう。

《この人たち》が、双子、と積極的に言っていることに、ぼくも気付いていないわけではなかったが、その理由を考えるのが、つらかった。

双子の名前は同じ?
そして、それと別に、エイカさんの名前が出てきたが、しかしそれなら彼女は、双子には、含まれていないことになるが。
みつ子、と言わないのは、きょうだいとは別に、双子が生まれたということかと思ってしまいそうだったが。そこに《いるべき》なのは、双子と、その母、のみであって――――

結論を出したわけじゃないのに、そこまで考えて、なぜだか、嫌な予感がして、――つまり《そういうこと》なのかと、聞くのが――怖い気がした。

 母さまと呼ばれた彼女は、しばらく待たされていて退屈だったと言わんばかりの、壁に寄りかかった姿勢をやめて、起き上がった。

「でも、本当は──」

「まさか。《あなた》が、生きていたなんてね……」

ヒビキちゃんの問いを遮り、皮肉とでもいうような表情を浮かべて、笑う。心が痛むような笑顔だった。


 ヒビキちゃんは、やはり、まっすぐに彼女を見ていた。怯まない。問いの答えを待っている。


「──ええ。私も、あなたに対しては、そう思います。まさか、あなたが『母さま』だったとも、最初は思いませんでしたし。で、茶番は結構ですので、私が聞きたいことについて、確かめたいことについて、お答えしていただけますかね」

「……何を?」


「あなたは、どうして私を引き取ろうとしたんですか。それから──どうしてとらわれていたあなたが『脱走』出来たんですか」


──ん?
いつの、何のことかと考え、順番を整理しようと、ぼくは日付を思いだそうとした。だけど、頭の中でぼやけて消えた。数字や日付は、ごちゃごちゃして、ぼくには、よく、わからない。カレンダーを見たことも、そういえばほとんどなかったっけ。


「あなたは……何が言いたいの?」


「──ときどき会いに来ていた人が、ある日を境に来なくなったから、こっそりと会いに行ったことがあるんです。

 あの屋敷に入ったという噂は、私も聞いていましたよ。そのときは、ナナトって人がどうにかなってから、しばらく経っていた気がします。《その人と思われる人》が、お屋敷から出てきたので、付いて行きました。だけど──途中の道で、あなたが、出てきたのを見て、引き返しました。あなたは、あの人に何かをしたんですか?」


「……どうして、そう思ったの」

「それは……」


「違うよ。《彼女本人》は、それよりも前のことだ。この人は……」


まつりが、唐突に口を挟んだ。かと思えば、口を閉ざす。はっきりと言うべきか迷っているようだった。
 まつりがあえて言わなかったことに対し、彼女は頷いた。意外とあっさりしていた様子で、ふらふらと、立ち歩く。どこかに引っかけたのか、ワンピースの裾が、僅かにほつれている。


「──ええ。私は《あの女》を、殺した。なんでだと思う?」


誰も答えなかった。
じゃあきみは、と、なぜかぼくに振られた。答えられなかった。


 ぼくは理由なんて、興味がない。理由があっても、どうしようもないと思った。納得なんて、したくなかったし、考えるのも、あまりいい気分ではない。
『本当の理由』はいつだって、結局は《それらしい建前》の下に隠されることが多い。その理由なら、わかる。どうしようもないから。

「あなたが──守るため、ですか?」


「──まさか。あの家が嫌いだったからちょっと復讐しようと思ったの。でも、誤解しないでね。私が選んだのだから」


そうだろうか。不意に、たくさんの台詞、表情を思い浮かべた。彼女は、本当に、それだけだったのだろうか。

「──心配だったんじゃ、ないですか?」


 心配、という言葉は、あまり好きではないが、そう表現するしか浮かばない。彼女は、明らかに動揺した。

「……なんなの、脈絡がない話をしないでよ。失礼なやつ。あなたは、人の話を聞けって習わなかった?」

「さあ。ぼくみたいな、最初から壊れてるやつと、まともにお話してくれるような、優しい人なんて、ほとんど居ませんでしたから……そういう礼儀は、なかなか身に付いていないかもです」

まつりの方を見た。

 顔色が、さっきより悪い。微動だにせず、なんとか立っている感じだった。なんとなく、寒いのかなと思える。


 あら? とか、やっぱり無茶なんだってとか二人が言っているのが聞こえた。

「大丈夫、じゃない、よなあ。少し休め。命令だ。病院戻るなら電話する」

大丈夫? なんて聞いたら、適当に誤魔化されてしまうだろうと、決め付けてみるが、まつりは笑った。楽しそうに、どこか苦しそうに。

「ははははっ、良い身分だね……きみが、命令するとは。大丈夫、結構時間をかけたけど、もうちょいで、おしまいなんだからさ……もう、少しだけ、時間を」

 言っても聞かないよなと思って、とりあえず上着を脱いで頭に被せた。モゴモゴ言っている。内側には貼るカイロもついているし、少しくらいは暖かいだろう。

「なにを待ってる?」

「内緒」

赤ずきんみたいに、顔だけのぞかせて、そう言った。服の隙間から、そういえば持ったままだったロープが見えた。結局なあなあになって『懺悔させる』が完了していなかったように思うが。どうするつもりだったんだろうか。帰らせたのはこいつだから、案外、そこも抜けたのか?




「どーうも、あんたらって、私をぞんざいに扱うのが好きみたいな気がするんよね……誰か忘ーれーてないですかー?」

もう一人の、コウカさんが後ろから、心持ち足音大きめに出てきたので、ぼくは、ああ、と思った。
なかなか来てくれなかったのはなぜだと、理由があるにしろないにしろ、意地悪にもなりたくなる。
が、それも面倒なので、聞いた。

「その懐中電灯を取りに行って、入れ替わってきたわけですか?」

「いやー、入れ替わってきたわけじゃないんよ。別に。たまたまっていうかね?」

やけに、けらけら笑う人だった。笑う人は、好きだ。どうも、笑われてしまうとまあいいかと思いそうになる。もう一人のコウカさんだった人が、冷めた目をして、彼女に聞いた。

「あなた《この姿のあの子》が意図的に殺されたって、最初から知っていたのよね? どうして、私が居たのに、その、ずっと、つっこまなかったの?」


「ああいう空気、めんどいし。私苦手なんよねー。それに、別に《死んでない》じゃん?」


どういうこと! と、とうとう顔が真っ白な彼女が、むしろいたたまれなくなってきた。ぼくも少なからず驚く。


ただし、表情は切り離されて全く動かなかったが。何度目かわからない沈黙が訪れかけたが、それを破ったのは、密やかな笑い声だった。

「くすっ」

震えているのかと思ったら、まつりが、笑っていた。黒くて、冷たい笑み。歪みきった笑い。

「……あははは。あはははっ!」


 無邪気で、狂気的な笑い声が、反響する。こいつが待っているものが、少し、予想出来てきたような気がして、ぼくは、なぜか寒気を感じた。

「ごめんね、なんでもないんだ……っふふふ、くははっ。だけどさ、おまえはあそこに行ったはずだよ? 引き返したけれど、また、そこに行ったんだよね」


 まつりが、急に饒舌になり始める。こいつが酒を飲むかは知らないが、まるで酔いが回ったかのような陽気な感じだった。どこか邪悪だけれど。

お前、と言った、小さな女の子に目線を合わせて、にこにこと笑っている。ヒビキちゃんは、カタカタと震えながら、青ざめた。

「なんで、そんな……こと」

「もちろん、ちゃんと、記録は、残していたから、ね。気が付いたのは、最近になるけれど。あのヘアゴムを、室内に逃げた鳥を狙って撃ったのも、ばっちり映っているよ、カメラに」

カメラ?
あったかな、そんなの。
気になったが、今の空気では聞けなかった。それにしても。

「鳥を、どうして」

ぼくが呟いて、他の二人も、本当なのかと様子を伺う。

「た……確かに、もやもやして、もう一度、行った……ごめんなさい。そしたら見覚えがあるような鳥が、ペンダントを付けて飛んでいるのを、あの日、見たんだ。雨があがった頃だったからか、なぜか低めに飛んでいたし、私は、視力が良かったから、はっきりわかった。あれは、あのペンダントは、あの人が、大事にしていたから――だけど、私は飛べないし、焦って、咄嗟に……当たるとか、当たったところでとか、可哀想とかは、焦ってて、その」


「そう。でも、まったく当たらなかったんだね。鳥は、窓の隙間から中に逃げ込んだ。ひとつひとつが、それぞれ別のところに落ちて、なくなる。おまえはそれで、どうした?」

「さ、探そうとして……――そしたら、なにか、すごい物音を聞いた。びっくりして隠れて、見えないように暗い場所にしゃがんでいたら、足音が、遠くなって、居なくなった。
あそこは『部外者は使わない』って感じの建物で、なのに、怪しい感じの人たちが来ていて「逃げる」とか「急げ、やばい」とか言ったから――わ、私のせいで、そいつらが逃げたなんて、知られたらって……! 忘れよう忘れようって……怖かった」


最後の方が、彼女の緊張もあってか、よくわかりづらかったが、それだけ、思い詰めて来たのだろうと思うと、口を出せない。
言えなかった。と、彼女は言った。ぽつりと、青ざめていた顔を、今度は真っ赤にして、それでも泣き出したりしない辺りが、強い子なのだと思った。


「でも顔とかは、見てないんだよな? この場所もさ、人目に付かないように配慮しているから、普通の人からじゃ、そう簡単には聞き出せないんだ。だから調べたんじゃなくて、知っていたんだろうなあってのは、なんとなく思っていたんだけれど、その犯人の様子辺りを探りをいれても、本当になにも知らないようだったからねぇ……。まあ、むしろ、よく無事でいてくれた、ってものだね」

「……ご、ごめんなさい、それに、鳥を、あんな――は、恥ずかしくて――」

一個は庭に、もう一個は廊下に。庭にあったものも、まつりが兄から拾ったのをもらったので、今は家にある。廊下にあったのは、2番目の部屋の引き出しに。

「うん。でも、たぶん、おまえせいじゃないな。ヘアゴムが落ちた程度の音に、気付いたような感じじゃない。もし、そうだったら、おまえを探して引きずり出すまでは帰らないだろうから。あいつら」

「あいつら、とはやけに親しげだな」

「妬いてる?」

あははは、と自分でウケている。楽しそうなやつだ。
「何をだよ。あ、そうだここ、火を付けて大丈夫だったのか?」

「あー、うん。昔ならね、ストーブのための灯油とか置いてたけど……」

「ふうん」

あれ?
なんで、ぼくは、納得したような気分になるんだ。
ここの地下なんて《知らないはず》なのに。




<font size="4">23.外された信頼、優しい夢</font>

 頭のなかで、過去に聞いた会話が巡っていた。なんだかぼんやりする。……って、またか。
意識が、うまく回らない。体が熱い。頭のなかで聞いても、聴覚は働いているそうだと、なにかの授業で、確か、習った気がした。

『つまりね、あの場所は、スキャンダル……つまり醜聞を、徹底的に嫌っているわけだよー。醜いこと、ものを排除したがって――結局最後は自分で崩壊しているけれどさ』

それは例えば、隠したいような、存在で、誘拐じみた排除で、殺人の黙認。

『まあ、でも良く捉えれば、うまく付け込んでも耐えうるくらいの力か、何か対等か不当な立場の差があるとか《火の粉が自分たちに飛ぶような事態》だったなら、あるいは、全力で、なんとかしようとしてくれるかもねって』

 あの辺りでの噂の回りようには、恐ろしいものがあって、優しそうな老人に住所とか名前を聞かれたってその人の本質を見分けられないと、簡単に罠にはまってしまう。ただの世間話だから、と、何も考えずに答えるわけにはいかないらしいのだ。
人を信じる上で、まず信じないことが大事。

なんていいながらぼく自身は、世間話なんてしたことがないから、これは人からの言葉である。
そもそも、ほとんど誰とも、まともに会話をしてもらえたことがないし、必要性もなかったから。

とにかく、だから大抵は、うまく答えるか、答えないことを選ぶんだそうだ。例外として、特別気に入られる、などがある、らしい。これを言っていたのは母さんで、母さん……うん。確か、母さんで。あれ。顔が思い出せない。

『何が言いたいか、わかる?』

わかる。何が言いたいかは、充分わかるよ。だけど。
……なんでそう言いたいか、わからないよ。

だって、それじゃあまるで――――


「……のわぁ!」

何かが肩に触れて、思わず、変な声が出てしまった。今回は、別に、寝ていたわけではない。意識が、ちょっと小旅行をしていただけなのだ。


 廊下に立っていたぼくは、改めて、ここに来てだいぶん時間が経っていると思った。あまり、ぐっすり眠れたような気がしておらず、とにかく眠たい。

しかし何をどうやれば、この話し合いは終わるのだろうか。投げっぱなしというか、あまり目的が見えなくなってくるというのは、案外つらいものだった。
あいつの、彼女らの目的はなんなのだろう?


「……ふは、あははははっ、あははははっ、あはははは!」

 いきなり、電池が切れかけているようにまつりがふらふらとぼくに斜めに寄りかかってきていた。重たい。近くに来て気付いたが、なんだかそいつからは、そこはかとなく、アルコール臭がした。誰だよ、なんか飲ませたの。それともこいつが何か持っていたのか?

 力が抜けた体がぐいぐいぼくを潰しにかかるのを、反対に押しながら、呟く。体が冷たいと思っていたが、今は充分暖かくなっていた。

「……やたら元気だと思ったけど。どこで何を摂取したんだよ」

「うえー? おっかしいなーあ……《痛み》はすぐに慣れてしまってあんまりきかなかったしぃ……いっそ酔いでもいいからとにかく意識のかくあんが実行できれあ! そえだけ……記憶がもつ……はず……って」

 ろれつも回らないまま、ぱたり、と動かなくなったので、なるほどそんなことを考えてたのか、とか、一旦部屋に寝かせてくるべきかな、とか考える。力が抜けた人間は、重たい。


そういえば、わざわざ《普通なら不必要な手間》をかけているのには、そっちの理由もあるのか。
さすが、一度で同時にいろんなことを考えているやつだった。
『人間関係』『人物相関図』なんかに使われるべき情報網が、こいつの場合は『複数の事柄の利害関係』とかになっていても、驚かない。



 ヒビキちゃんが、複雑な表情で、まつりを眺めて呟く。全く動かない。これだと、屍のようだ。

「……こいつは、ずいぶん、私のためにも、無理をしてくれた。すまなかった」
そのわりにこいつ呼ばわりなのだなあと思ったが、案外、他の人を指すための単語、みたいな感じにしか思っていないのではないだろうか。

「……私はお姉ちゃんを、探していた。……それは、本当なんだ。あれから帰って来ていなかった。
だから、『あの手紙』が来たときに、呼ばれた気がした。まるでこいつに会えと、言われているようだったんだ。そして、私は、こいつがどこかにやったのでは、と最初は思った。だけど、それは違ったみたいだな」

手紙か。手紙……どうも、引っ掛かるけれど。

「あれは、つまり、あの屋敷のおばさまを連れてこいっていう、まつりへの指示で――って、まさか、おじさまが、あいつに、この場所に連れて来させたのが、原因?」

「……何のだ?」

言えない。言う気もしなかった。ぼくだって、最初は理解出来なかった。

「……まあ、いい。私は、最初は本当の母に会いたかったんだ。でも食事の途中で『どうやらお姉ちゃんが既に死んでいる』と、言われ、理由を聞いたら、貴様が最初に言ったようなことを言われたよ。それにしても、狂気だ。あいつは、生きる狂気だった……怖かった」

なにやら、既にトラウマを植え付けられていたらしい。彼女はそのときには自殺ということにしておきながら、どうやら他殺されている。けれど、その音声を聞いている際にも、ヒビキちゃんはいなかったし……その間、どうしていたんだろう。
あの場には、兄がいた。
そういえば、彼女と、何か話していた。まつりも、彼に、何か話していた。

なんなのだろう?
ぼくは、何を隠されていて、何を見つけるべきなんだろうか。

 ――ヒビキちゃんの言われたことが、どこまで本当のことを言っていたのかは、わからないが、あのときに最も試されていたのは、実は、ぼくではないのかとも思ってしまったりする。
まあ、もしかしたら、いろいろと兼ねているのかもしれないけれど。

ああ。そういえば、あのとき、手当ての跡も、なんにも見えなかったけど。もしかして、だから余計に騙されたのかな。
『僅か』しか見えていなかったとしても、傷が、服で隠れた部分だとは、まさか思わない。念には念を入れられたのか? そこまで隠す理由なら、単にプライドだろうけど。


 熊かなにか狩ってきたみたいにまつりを支えて廊下を歩きながら、ぼくがぼんやり呟くように語ると、近くを歩いていた彼女は、静かな目をして言った。
「あなたは、信頼、してるのね」

「まさか。まるっきり信じていないだけです」

よくわからない、という顔をされた。それもそうだろう。

「……ぼくの記憶違いがなければ、そのペンダント、お屋敷に居たときは、同じ形のを二人が付けていましたよね」

 彼女の、首に下がるそれを指す。彼女は軽蔑するような視線で言った。見ないでというかのようにペンダントを握りしめる。

「おそろいだったのよ」

それがどうかしたか、という威圧を感じる。


「――傷の位置も、錆びた場所も、色合いも、欠けた部分もすべて一致するのは、ひとつだけでしたが、二人はまるで、ときどき入れ換えるように付けていました」

 彼女の目付きが、呆れたような、『面白い、奇妙なやつがいる』というようなものに変わった。みんな、こんな目をする。この人も、そちら側。だから、あんまり、人に言わないのだ。


「細かい違いまで覚えてるって? わかるわけないじゃない。単なる思い違いじゃないの。それか、ただ間違えて」

「……それは、ないんです。あなたは、どうして『それ』を付けているんですか? ここに居た彼女が、あのとき《最後に持っていたはず》の方のペンダントを」

 まるで、『死者から』奪ったとでも言うように。
断言なんかしてみても、示せるものなんてないのにと、寂しくなったが、あえて強気に出てみた。

 彼女は、ますます混乱したらしい。半ば癇癪のようにして、ぼくを睨み付ける。

「いい加減にして、わけがわからない。あなたは、そもそも、最後に《ここで連れ去られた人》が、どうしてそれを付けてたって言えるわけ」


 ……なんだか申し訳なくなってきた。うまく説明できないと、わかっていることにはならない。だけど、そのスキルはどうやらぼくから欠如していた。


「ああ。すみません、いっつも、説明が足りないみたいなんですよね……。おかしいな、何が足りないのかな。えーっと……そこは、感覚ですね」

「感覚?」

「あー、いや。えっと……」


 やばい。選んではならない選択肢を選んでしまった気がする。まるで助け船のようにヒビキちゃんがよく通る声を出した。聞きたくない、とでもいうようだった。


「細かいことなんて、あとでいい。今だって、わかっただろう。私を引き取った理由に、この人が思い当たれないということは、少なくとも《当時のこと》を知らないってわけだ」


「当時?」


「彼女の恩師だか、なんというか。彼女の知り合いが、ある難しい病気になったことが発覚していたんだそうだと、今そこに抱えている毛皮が言っていた。私は、その話題に、関与していたらしい」


 確かに、そいつはまるで上着の塊みたいになってはいるが、散々な言われようだ。起きろ。


「……中身もあるぞ。今電池が切れてるけど」


「比喩だ」

「比べてるの?」


突っ込みかたがいまいちわからない。

 沈黙になりかけたが、ピンポン、と間の抜けた音がして、どたどたと複数の足音が駆け上がってきた。音の低さからして、男性のものだった。

「到着遅れました、すみません!」

「失礼します!」

程なくして、どこかの制服(そういう組織にお世話になるような機会は、なかなか無いし、よく知らない)を着た彼らは、あわただしくぼくらのところにやってきて、すばやく彼女のみを拘束した。

「え?」

ヒビキちゃんが驚きの表情をしていた。隣のコウカさんは戸惑いの表情をして、すぐに納得した。《彼女》自身は、やや困惑していた。


「……もしかして、条件、だったん? 榎左記を殺害した人を見つけて、差し出すってことが《解放》の第一条件で、まつりんのやりたかったことのひとつ――」

 ちら、と彼女が、棺桶を見て呟く。言うのを躊躇ったんじゃなくて、自分の口で言わせたかったのか。
あの女の方を殺したの、と。どうせ《今日に限っては確実に》録音か録画されていそうだし。


 突然、ヒビキちゃんが身じろぎした。そして呟く。悲しそうな声だった。

「そう、あのとき。私が聞いたのは、声だけだ……だって――――」

「え、何か、言った?」

思わず聞き返すが、ヒビキちゃんは既に口をかたく閉じていた。

「待って……人違い、人違いよ! 私は、違う!」



 誰も、何も言わなかった。どう言えばいいのかも、わからなかったし、言う必要性も、部外者のぼくにはわからない。


 彼女らは、それぞれ、考えるところがあっただろう。どんどん、引きずられて彼女は見えなくなる。制服の人が、一言二言、まつりに礼を述べていた。隣を見ると、ヒビキちゃんがうつむいて、ひたすら床をにらんでいる。悔しそうに。

「なあ、ヒビキちゃん」

「……なんだ」


 やけに苛立った声が返ってくる。それでも、ぼくは聞かなければならなかった。

「……いつの話だ? さっきの話って」

「さっきってなんだよ! 貴様は空気を読めないのか? 今、くだらない話なんて!」

怒鳴られてしまった。
──ぼくは少し、羨ましいと思った。不謹慎な意味ではなくて、誰かを思って、まっすぐに悲しんだり、怒ったり出来ることが。
その人の為だけに、出来るのが。

「でも、ごめん、大事なことなんだ」


「はあ? 今どう大事なんだよ! バカになんて付き合えない!」

 なんだか怒りを買ってしまったらしく、意地でも答えない感じになってしまった。うーん。難しいなあ。これが年頃ってやつかな。


「……うにゃ」

どうしたものかと考えていたら突然、謎の声がした。そして、ガッ、と毛皮が……違った、ほとんど背負ったみたいなまつりが、背中に膝蹴りを食らわせてきた。

「う……んん? なんだ……」

寝ぼけているんだか、頭を押さえながら、きょとんと考えている。地面にかろうじて倒れなかった体勢のぼくを見て、そこで何してるの? とでも言いたげだ。……しまった、油断していた。

「あ、起きた? 良かった。お前さ、いつのことか知らんが、こいつと何か話したの?」

「んん……何を求められてる? っていうかどこだ、ここ……帰る……ねる」


「それがさ、お前が、来るって言ったから、来たんだよ。ここにいる人も」

「あー。そう……なるほど、うん……いたっ!? なに……なにこれ。いたたたたたた! 身体中痛い!? えっなんで? うう……っていうかなに、誰なのこいつら。何かあったの? だめだ……動けないよー」

パニックだった。一人でわたわたしている。が、ぼくの知る、いつもとは違った。なんと、すぐに、立て直したのだ。

「……あ、あれ。ちょっと、思い出した。そうだった。体に刻んだら、ちょっとは、持つらしいな、なるほど。痛いから、あんまり楽しくないけど……。で、なんだって?」

「ヒビキちゃんが、さっき言ったんだ。『当時は彼女の知り合いの病気が発覚した頃だった』って、お前から聞いたらしい」





「――え?」

 驚いた顔。初めて聞いたように、目を見開いていた。半ば、予想していたが、だとすれば、やっぱりそうだ。まつりは少しして、嬉しそうに口だけで笑う。

「ははっ、そうか。なんだ。理解出来た。やっと。あははっ」

「これで『確実』になったか?」

「ああ、そうだね! 近くはなったよね。なんだ、ある意味自分自身が、死角かー。気が付かなかったな」

上機嫌で、言う。
ヒビキちゃんは、まつりのある意味では残酷な面を、知らなかっただろうし、先ほどのやりとりが、どういうことかも気付いていないかもしれない。抵抗を示すような、難解な顔をしていた。
残ったコウカさんが、もう少し説明して、とぼくに言ったけれど、うまく言えるかわからないので、微妙な口ぶりになる。


「……ぼくは、榎左記さんを知らない。あそこには、出入り禁止になっていたはずだし、彼女に会ったことがなかった。彼女もまた、ぼく自身には、面識がない。まずこれが、最初の前提。そんなぼくを、さらって来ようとする《指示を出していた》でしょうか」


「……え、それは、出さないんじゃない?」


「当時は、彼女の恩人さんの、病気が発覚して、騒ぎだったそうですね。ぼくが軟禁される以前に、あの子は引き取られています」


「……じゃあ、病気を直すのに、必要で、その娘から、標的を変えた? とか」

「……どうでしょうね。そもそも標的の扱いなんでしょうかね。それにしても検査とか、ぼくもここ最近は受けていませんが。

置いておいて、また最初に戻りますが、どうしたら、榎左記さんが『面識がないぼくを軟禁する指示をエイカさんに確実に出せる』かということです。

 それからそうまでして、ぼくである必要はどこにあると思いますか? メイドさんたちでもぼくを全員知っているわけじゃないですよ」


「えーっと『勤めているでかい屋敷の、向かいにある家の息子の、ちっちゃい方』っていうか……えーっと、ちっちゃければ良かったとか?」

ちっちゃいちっちゃい言うな。

「……、まあ、確実に示せる立場、役職、顔や体型、住所氏名など個人情報に頼る方が『人に示すには』確実かもしれないですね。
 それから、ぼくである、または、それに近い特性を持つ必要があるから、そうすることになります。だけど、そこまでしたくせに、ぼくも結局は簡単に逃げ出していますね。

 まさかやる気が無かったとは言わないでしょうが。地下から逃げるって、結構大変なんですよ。難易度は、時によってでしょうが、そんなドラマみたいに行かないです。排気溝があっても、小人さんじゃないですし。入り口もひとつだし。壁なんて壊せません。天井を開ける、ってのも、運動が得意でないので──というかまず、ほぼ石壁でしたし。回りくどくなってすみません、とにかく上にほとんど人がいなかったんですよ」

ちなみにどうして病気の人がいたことを前提にするかっていうのは、彼女は、聞かなかったが、まあ──そこまで意味はない。
意味が無いって意味で、ある、って感じだ。


「……ああ、そうだな。上で騒ぎがあったから、皆、外に出ていたらしい」

まつりがふいに口を挟んだ。
「……誰かが、誘導したって、ことになるけど、まあこれはわりとどーでもいい」


「そうかなあ……えーっと、だからその、ぼくのことを知って、ぼくを連れ去るように言うとしても、そもそも情報提供者が要るんですよ。これは、難しいんですが、えーっと、なんて、いうかな……《情報がある、という情報》自体がないと情報は引き出せないですから。まあ、これも一旦置いておきますが、その一度以来、ぼくが狙われることはありませんでした」

「ただバレたからじゃないの?」

「彼女が……その人の病気のために、動いていたとするなら、ヒビキちゃんか、ぼくにはあるような条件が必要なら、次に取る行動なんて、懲りずに狙うか、次の標的を探すか、諦めるか、その他、って、なりますが、また別の人の個人情報を探す、って《彼女になら》よほど運がないと、簡単に出来ないはずです。手間がかかるなら、もう一度ぼくを狙うことも視野に入れた方が早いです。親もあれですし、チョロい子どもでしたから、難しくないです……あれ? なんの説明してたっけ」

「つまり、彼女がきみを意図して狙うのだとしたら屋敷内に、もともと、一番の協力者がいた、または、彼女に持ちかけて協力を依頼したってことになるよーって話だよ。大丈夫か? 内通者がいるんならその辺りは難しくない。ただし、それなら彼女の目的はそこにはなかっただろう」

なんでそんなに短くまとめられるんだ。

「まあ問題はそこではなくて──」

言いかけたときだった。



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