丸いサイコロ
音(メッセージ)
<font size="4">24.同じ存在の音</font>
夜だった。
いつの間にか暗かった。
……いや、さっきからそうか。とにかく、お茶を飲んでいたときより暗い。このあたり、街灯もあまりない。
──にしても、寒い。
今日はまた一段と、冷えた。
気温は、家にある温度計でいくと、10度くらいだろうか?
寒いのに、ぼくの右隣の少女は元気いっぱいで、やっぱりちょっと羨ましい。
何をどうしたんだか無理矢理起きて退院したまつりは、後ろの方で、ただ、ぼんやりと違う世界を見ていた。
一人にするのは、確かにいろんな意味で危なそうなのだが、そうは言っても、起きて大丈夫なのか、という感じである。
ともかく、夜は危ないので、せめてヒビキちゃんに、家に戻っておいて、先に寝てもらおうかと思って送りに行っていたのだが。
本人の傷口を見たわけじゃないし、実際の出血とかも知らないけど、不安というか、不安定というか……
もしかしたら、傷ではなく、内的な痛みなのだろうか。よくわからない。
「──ところで、なんで 店の何階かの表示が見えて、電話が出来なかったんだ?」
沈黙に耐えかねたのか、ヒビキちゃんが話題を振ってきた。さっきまでに、ちらっとその話をしている。
夜のバスは本数も少ないだけに、今の……8時? くらいのを逃すと、大変なので、今は、バス停のあたりで待っているところなのだった。
「えーっと。ここで突然だけど、ぼくは保育園のときから、小学生のときまで、時計が読めなかったんだ」
「本当に突然だな」
それでも聞こうとしてくれるあたり、優しいのだろう。それか、よほど暇なのか。
「みんなみたいに、数字を見てから、それを時間に結び付けるってことが、どうも難しくて……」
「はあ」
理解しがたい、という顔をされた。同感だ。
「ある日、気付いたんだよ。代わりに位置や、点などで覚えればいいんだ! とね。あの店も何回か来てるし、数字の飾りの錆び具合とか、壁の色合いとか……周りを見れば、そのものがうまく理解出来なくても、わりと、区別はどうにかなってきたんだよ」
状況にもよるけれど。
……自分の説明は、難しい。正確には、見えないわけではなくて、時間がちょっとかかるというか……そんな感じだったが、まあいいや。
だから、つまりぼくは表示の内容ではなく、形を覚えていた。どれが大事かに自信がないので、たくさん覚えておきました、って感じかもしれない。情報量を増やして、わからないものを、補っている。
やっぱりわかりにくいよなと、言い方を考えていると、どういう意味かと頭の中で噛み砕いて、わりと、すぐに理解してくれたのか、少し間を置いて聞かれる。
自分の話がわかりにくいと自覚しているぶんにはありがたかった。
「ん? つまり……根本的にはわからなくても、同じ答えだけは出せるってことか?」
答え、というか。概ねはそうだ。
「……だけど《自分の中の感覚に頼るだけの記憶は、自分以外の、他の情報に頼れない》っていうのかな……錆びも、色もにおいも形もないから。たぶん、処理に時間がかかっちゃうのかも」
いつも、裏側ばかり読み取ってきた。
その辺を聞かれても、ぼくにもはっきりと説明出来ないのだけど。
ふと、そうか、と思った。だからだ。そうだよ、明らかに、そうだったじゃないか。本質が見えなくても──あのことだけは。
なんとなく、なんかじゃなく、分かりにくいあれだけでもなく、もっとわかりやすい答えだけは、先に見つけていたんじゃないか。
……なんだ。
「ありがとう。今、自分の考えていたことがわかったよ」
「自分の考えていたことがわかってなかったのか!?」
驚愕された。
「ぼくは地球人だったらしい、びっくりした」
「住む星もわかっていなかったのか……」
しゃべるのに飽きたのか、無駄な浪費と判断されたのか、そこから、また沈黙だった。空に輝く星が、綺麗だなあとか、思う。
少ししてやって来たバスに乗り込んで、整理券をもらって、運転手さん以外、誰も乗っていなかったので、とりあえず、前に座った。背もたれに体を預けると、歩いた疲れなんかが、どっと出てきて、眠りそうになる。
横を見るとまつりは、既に寝ていた。機能停止といわんばかりに。微動だにしていない。わずかな息だけを感じるが、これだけ熟睡していては、降りるときはどうにかして起こさないとならないだろう。ヒビキちゃんもいつの間にか寝ているようだ。
と、見ていたら、しばらくして、夢を見ているのか、眉を寄せて小さく、なにかを呟きはじめた。エンジン音に紛れそうな音量だったので、耳をすませてみる。そして、後悔した。
「……知ってた……、……えなかっ……は……気付……ら。ごめ……い……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
ごめんなさい。
ひたすらの、謝罪だった。許してもらえないとわかっていても、言うしかないような悲痛さ。逃れられない罪悪感。その声が苦しくて、なんとなく、泣きそうになって唇を噛んだ。
自分が悲しいのか、疲れているのか、よくわからない。
きっとまつりは、今まさに一人きりで、自分にしか見えない悪夢と、戦い続けているのだろう。起きているときは平気にしていられても、夢の中は、だいたい孤独だ。
ぼくには、社会のことはよくわからないけれど、ほとんどの場合で《周りの者と同じような理由の範囲》でしか、理由や、証拠、または、自分自身は、結局、存在としての立場を得られない部分があるように思う。 そしてそのルールみたいなのに、疲れてしまったり、狂ったりすることだって、あるだろう。周りから、もともとずれてしまっていれば、それがなおさらに、重くのし掛かるのだ。
様々な意味で、意見や存在を否定され続けてきて、どうしようもなく噛み合わなくて。処理出来ない感情が溜まっていって──ぼくらは、それがちょっと、周りの人よりも多かったのだ。きっと。
『化け物』『異端』『あり得ない』『人間とは、思えない』『おかしい』『怖い』
ほとんどが、悪意はなくて、だからこそ。
もちろん、自分自身の持つ感覚なんてのは、周りには無いのだから、わかってもらえないだろうし、単なる妄想や狂言との区別が付かない、付けようがないから、仕方がないというのはぼくも理解している。
あいつもそう思っているはずだった。だから、やりきれなくても、自分を押し殺して生きていくしかない。
だけど、たまには、泣きたくなる。理由なんて、生きているから、ってだけで充分だ。
ただ、ぼくには泣けない。
□
景色を見るのもいいが、暇なので、ゆっくりゆっくり、何回目かわからない記憶をたどる。
血のにおい。
そんなものをすすんで嗅ぎなれたくはないし、ぼくの嗅覚はあまり鋭くない。……はずだ──なのに、そう思ったのは、あまりにそのにおいが強烈で、さすがに認識せざるを得ないと、体が判断したからなのだろう。
小さかったぼくには、重たすぎて、もし、自分が正しいと判断したところで関わる気はなかったけれど。
ぼくは、昔から、声と同じで、例えば、「焼き魚だよ」と言われるまで、そのにおいに気付かなかったりする。(ただこっちは、さすがに、すぐに嘘かどうか判断出来る)
たぶん、あれは、血のにおいだったのだ。
それは、もちろん、その前、食料庫を通りかかる前に───の場所に───が落ちていたはずだから。
確かに明らかにそれがあったのに。ぼくは、見ないふりをしたのだ。説明もしなかった。頭の中の映像には映ったけど、それにピントは合わせなかった。
まつりはたぶんそれがあるのを、当時は知っていたけど、あいつが《そんなこと》を気にしたのかはわからない。──ぼくは、どうだったんだろう?
そのあたりが、なんだか曖昧だ。
それから、しばらくしてヘアゴムを見つけた。ぼくは、それを隠してしまった。怖かった。怖かった。怖かった。
何がって、それは本当は、本来は──ではないからだ。《彼女》が──を思い起こすには充分だっただろうと思う。まつりは、その間、奥の部屋に行っていたかもしれないし、あるいは、何か別のことをしたのかもしれない。メッセージを見つけた、ということだったから、おそらく───のときの《メッセージ》。
たぶんそれは、音声の方では、なかったのだろう。