丸いサイコロ
「――で。なにが楽しくて、お前と映画……しかもよくわかんない趣向のやつを」
つまらないこだわりを披露すれば、ぼくは、普段、映画は一人で観るタイプだ。
「しー、ナナトはちょっと、うるさいんだ。店にどーんと映画の割り引きフェアの垂れ幕があるのを見たら、行かないわけにはいかんのだよー」
「はあ。いいけどさ……」
割り勘でいくらか食べ歩き、ある程度腹がふくれたと思ったら、唐突にまつりにポップコーンが食べたいよ、なんて、言われて、いつの間にかシアターコーナーまで来てしまった。
しかも、ポップコーンは買わず、マニア向けっぽい映画のチケットを買うことに。あ、これ見たかったんだよ今日は運がいい、とか誇らしげに言っているまつりに押された形だ。
わかることはほとんどないとはいえ、それでも長年、腐れ縁で近くに居て、感想として思ったことだが、こいつは、食欲やらいろんな欲求を「興味」や「好奇心」が置き去りにしてしまうみたいなのだ。きっともうポップコーンの存在はすっかり消え失せているだろう。
個人的には隣にポスターが貼られた、ハードボイルドなガンアクション映画が気になったが、もう上映中みたいで、あと何時間か待たないといけない。
結局、まつりの気まぐれに付き合うことで納得した。気まぐれというのは、自分では止められないというか、気まぐれ衝動に逆らうのはなかなか難しいというか、そんな気持ちはよくわかる。
ぼくもわりとそうなので、仕方がないとは思うが、あいつはとくに気分屋なのだ。
「――しかし、なんだろうこの……食後で良かった感は」
踊り出すローストチキンとか、男の身体中に貼り付けられたハムとか、ううん……? 宇宙人が……フォークとナイフに乗りうつって?
歌いながら激しく飛び散るチョコレートケーキに、パーティー会場がパニックに……
ああ、食べ物が……食べ物が粗末に……
――――会場には、人が、ぽつぽつとまばらにしかいなかった。
おじさん率と、眼鏡率が高いのは、単なる偶然だろうけど。
右隣で、まつりはきらきらとした目で、スクリーンに見入っていた。たまに、ぼそっと呟いた独り言(「あ……」とか、「おお?」程度だ)に、隣からうるさい、と注意されたりもして。
しかし数分で画面の光景にも慣れて、ぼくも気が付けばすっかり見入っていた。ここが映画館ということも忘れるくらいに。
ちなみにセリフはほとんどない。
画面はセピア色だったり、どきどきカラーになったりする。
ほとんど持ち合わせない想像力を必死に使うので、少し頭がくらくらしてきた。
――――そのまま、話も、だいぶん中盤くらいになった頃だった。
「ねぇ、ナナト……」
珍しく、まつりから声をかけてきた。
ぼくはびっくりして、3秒ほど固まった後、まつりの方を見る。
「なんだよ、手洗いか」
「違う」
まつりは真顔だった。
ただまっすぐにこちらを見ていた。考えが読めないのはいつものことだけど、今は、更に増して、わからない。
「何かあったのか」
「いや」
「じゃ、なんだ」
「いる」
いる。
それだけを、言われたので、どうしろというのかわからない。なんだ、お化けか? 宇宙人や侵略者か。存在の有無だけを告げられても、困ってしまうが。まさか、ティッシュかハンカチが必要かどうかなんて場面には思えないし。
小声でひそひそと話し合う。結構これはこれで、息が辛い。苦しくなってきた。
まつりはもともとの、気まぐれを言うときのぽつりとした口調でごく自然に声量を落としていて、あまり苦しくなさそうに見える。
「何が?」
ぼくはなるべく一言のセリフを少なく努める。
「……ん。最前列、右隅の……」
まつりの声は少しだけ震えているようだった。
言われた方を見る。
(ちなみに、ぼくらは出口に近い方に居たくて、後ろから三列目にいる)
前の方の席はがらあきなので、人影の判別はそれなりにしやすく、すぐに、見つけることができた。
「……女の子?」
小さな女の子が、その辺りの位置に座っているのを見つけ、聞いてみる。7~10歳くらいだろうか。小学校に入りたて、みたいな感じだった。肩まで伸ばした髪の後ろをちょっとだけ結んでいる。
「なんで、ここに」
まつりの言う意味が、やっぱりわからなかったので、聞いてみる。もちろん小声。
「あの子が、なんだよ。あっ、もしかしてこれ、R指定だったか?」
「いや、そうじゃない。ただ、知り合いに似てたから。しばらく会ってないけど、つい二年前に、いなくなったんだ」
「行方不明ってことか? 誘拐とか?」
「脱走した」
「脱走って……」
「まつりは、あの場所から連れ出してもらったけど……」
連れ出したのはぼくだった。過去に、ある惨劇の現場になったまつりの家から、ぼくが、まつりを連れ出して逃げてきたことが、かつてあった。
決して、ヒーローになりたかったわけじゃないし、まつりを助けるつもりなんてなかったのに、なぜか、見過ごせなかったのだ。ただの、自己満足の自己犠牲だ。感謝なんてされてしまったら、罪悪感で消えたくなるだろう。
あの家は、いつまでも犯人がわからず、存在さえ朧気になっている、ある一家惨殺事件の現場だ。
計画したのは、うちの父と、まつりのところの誰かだというのを、実は、当時のぼくは、勘づいていた。
もしかしたらまつりも。
しかし、ぼくが何か言ったって、ガキの証言はあてにされなかった。もともと、挙動がおかしいと両親にも言われていたし、またこの子は、と誤魔化されるだけだった。
狙われたのが、なぜ、まつりの家だったのかは、よくわからない。そのときの、ぼくの家の向かいの、大きな屋敷に住んでいて、家の裏、小さな子どもにしか潜れないような細道から、ぼろぼろで逃げる途中だったまつりに、その日、庭にいたぼくは、手を貸したのだ。
しかし、あくまで、外にいただけで、中で何人の誰が、どうしていたのかは、詳しく知らない。複数人が、酷く暴れていたということしか。
逃げるとき、腕を引かれながら、壊れたオルゴール人形みたいに、まつりはカタカタ笑っていた。無表情で、何を見ているのかわからない目で、ぼくを見て、言った。
ほんとうは、わかってるんでしょ、と。
いや、何もわからないよ、とぼくは言った。まつりは赤く染まった白いワンピースで、腕と首には赤が滲む包帯を巻いて、傷だらけで、ふうん、と言った。
「あの、やってきたグループの中に、あんな子が、いたんだよ」
人払いされているみたいに、なぜか、そのとき、嫌なほどに辺りに目撃者は居なかったから、それは、当事者しか、知らない情報だ。
「……グループに。でも、どうして脱走したなんて、知って」
「ちょっとね」
「……えっと、それと、どうして今、ここに、その――」
反応が無いと思って、隣を見たら、まつりは既に映画を観る方に徹していた。さすが、集中するのが早いというか、切り替えが突然というか。ナイフとフォークが、ワルツを躍りながら七面鳥を切り分けている。
しばらく映像を見ていなかったせいで、特に前知識もないぼくは、何がどうなっているのか、もう付いていけない。結局、しばらくして上映が終わったが、ぼくはほとんど内容が、頭に入っていない。
エンドロールでタイトルを見てから「あれ? これ知ってる気がする」と漠然と思ったけれど。