丸いサイコロ

     □


 「すごいでしょ」と、あいつは言った。まるで、確信的に、自信があるみたいに、前もって知っているみたいに。ぼくを、なとなと、と呼んでくれた頃のあいつは、そう言ったのだ。無邪気で、純粋で、残酷な、気に入れば生き物でも切り刻んでしまう頃の、だ。

名前とともに、性格の記憶も縛ってしまうのだろうかと、ぼくは何度か考えたりしたけれど、やっぱりよくわからない。

 果たして、あの白い館を見たまつりには、何が映ったのだろうか? ぼくを連れて来たのは、本当に、ぼくと彼女を勘違いしての、ものだっただろうか。 



 彼女は居なかった。メッセージは残っていた。連れ去られていた。そんな言葉をわざわざ使うのは、なぜだろうと、不思議に思っていなかったわけじゃない。いないなら、いないで良いのだ。

 連れ去られていたと、誰が知っていたんだろうと、考えて、思ったことがある。どこに。どうして、誰が。それで、もしかしたら一番現実的なのは、あれだろうかと思った。

 まつりを、連れて帰るつもりで来た人たちが『勝手に職務から抜け出した彼女』を見つけたんじゃないか。あそこはメイドさんが何百人といたわけじゃない。誰か居なくなれば、気付かれる程度だ。クラスメイトより、少ないはずだ。
事件のことで、交渉があったのなら──いや、それじゃなくても、たぶん、彼女たちも、外に逃がすわけにはいかなかったのだろう。一度あのなかに入ったのなら。
だから、連れて帰った。
『来るように言われたがまつりは来ていなかった』と彼女が言った可能性もある。


 その頃のまつりは、たぶん、大きなミスをしていた。(ミスといっていいかわからないが、あいつの観点からいくとだ)『自分が考えられる程度のことなら、相手もこなしてくるだろう』ということだ。


 彼女が、誰にも、何も、まともな嘘も言わずに、出てくると思わなかったんだろう。彼女はもしかしたら、まつりは、ただ、隠されて探される側であり、あの屋敷にそんなに権力がないことも、知らなかったかもしれない。


 あのお屋敷を嫌っていたのは、なによりも、そこに隔離されていた、まつりだ。ろくに自由に出歩けず(はずなのに、たまにふらりとどこかに行っていたが)、上の人から、何もわからない頃から厳しくされていた。

敵、と認定していたりしても、あまり驚かない。




――だからといって、あの惨劇のすべてが、まつりのせいだとは、思わないが。また、それも、別の話だ。

――それから、別荘、に行かされたはずのエイカさんが、なぜ、来賓館で、しかも生きていてぼくらの前に現れたのだろうかという点については、疑問が残っている。

 彼女こそ、囲まれたはずだし、殺されるはずだったし《あの状況の録音を取らないといけない》のに。彼女を含め、別に演劇同好会のメンバーってわけでもない彼らの声と、ちょうど良く被さることがあるだろうか?

あの声たちは、本物だ。
ただ、彼らは何もやっていない。

『なにかがここに埋まっているか、まだ埋めていないかを気にしている人たちが、あの録音中に、近くに来ていた』

――ような状況のところで、彼女が、それが良く聞こえる地下室にいる。真上か、それに近い場所だろう。
 そんな場所に彼女を隠すのは、状況を知らない人か、もともと……


──いや、ともかくだ。
まだ埋めてないと言った彼女は誰だろう。情報を流されたから、上が頼んだ外部の人が――なんて言うけれど、そもそも、どこかで言った気がするが、情報があるって情報を知っていることが大事だ。恩人って人物については、ぼくからは言えないが……


 ちなみに、恩人さんは『その人が探しているらしいですよ』と中の誰かが話せば、あっさりそれがどうにかなるような部分がある人物だ、とだけ言ってみる。
 そもそも、ぼくはほとんどの機械がまともに使えないので、どうなっているのか知らない。

 まつりが、その人が《殺された》と言ったのは、その辺りを知っているからなんだろう。ぼくは遠い昔に会っただけだが、ただ、病死と聞いていた。

――ああ、恩人って、そういえば、あの人は榎左記里美さんの、恩人なのだっけ。 ぼくは、彼女に会ったこともないのだが、彼女にとって、事件だったあの日の恩人だろうか? それとも、何かそれ以前なのだろうか。
 ぐるぐる考えていて、数十分が経過した。気が付くと、ヒビキちゃんは、なにがあったかわからないが、携帯で誰かと連絡を取っているみたいだった。

 ぼくが、さすがに遅いよな、と思って、台所の辺りまで、まつりを見に行くと、カステラをテーブルに置いた状態で、寝ていた。夕日のあたる丘で、互いに殴りあった友人みたいに、包丁と共に、安らかな表情で倒れていた。顔に目立つ傷はないが。

すやすやと、日が中途半端に当たる位置で寝ている姿は、なんというか……癒されなくもないが、そんなことは関係ない。

「……おい、大丈夫か?」
微動だにしていない。
遅いわけだ。恐る恐る、肩に触れてみたが、全く動かなかった。気絶、みたいな感じがする。そういえば帰りも、結構、寝るというよりこんな感じだったか。

「痛み」が記憶を保たせるために、有効なのかは知らない。根拠についてもぼくはよく、知らない。難しく考えても意味がないかもしれない。


「これは……あれか、無理に記憶をもたせると、そのぶんの負担が後から一気に来るってやつか」


 しばらく頑張っていたからな。数日間くらいは定期的に、唐突に、ふと、寝てしまうのだろうか。これでは、今後あまり使わない方がいいだろう。

 人形かなんかのように表情が動いていないが、たぶん今は、悪夢を見てはいないんだろうと思った。

「……お前さ、ずっと、テンションがおかしかった。実はわりと、乗り気じゃなかったんじゃない?」

そーっと、脇から引きずってみようとする。 うーん動かない。床掃除はしているが、埃を集めると大変だと、やはり抱えかたを考えねばと思い直して、テーブルにあったカステラを手に取った。

「食え」


近づけてみるが、反応がない。

「…………まあ、乗り気とかどうでもいいんだけど」


 一旦、リビングの方向へ足を向けると、声が聞こえてきた。通話中のようだ。
ぼくがへし折った携帯電話は、そういえばどうなったんだっけと思った。あれから……解約したままだっけ? うまく思い出せない。中のカードは無事だったはずだけど。


「──しかし父さま、良かったのですか……いくら、そうとは言え、彼はあなたの──」

(──彼?)

 盗み聞きしたいわけじゃなかったが、突然、ヤッホー! とか、やあやあ電話かい、ハハハ! と入って行くのも違う気がするし、もし足音を立てたら聞いてました、と、結局同じになりそうで進みづらい。 いっそダダダダと歩けばいいのか、呑気にスキップをすればいいのか。

「……っ! ごめんなさい……──はい、ですが……はい、あそこにいたのは、彼と、私と、あの人と、あいつで……はい──そうなっています。私は、直接目撃はしていませんが……」


 上の立場の人にうっかりそのまんま立場的に出すぎた感じのことを喋ってしまって怒鳴られたような態度だった。

 通話中の彼女が泣きそうになっているんじゃないかと、少し心配してみたが、そんなことより、まず、ぼくはどうすればいいんだ。すり足? いや大股でいけば、廊下から階段にギリギリ、こう……足だけでも到達出来たりして──階段に座って待ってようかな……



「何やってるんだ?」


後ろから声がかかったので、びっくりしてピンと背筋を伸ばしてしまう。

 不思議そうな顔で、ヒビキちゃんが、通話を終えたらしく、ぼくのいる廊下の方をじっと見ていた。



「あ。ねぇ――きみ、輪ゴム銃作ったことある?」

 気が向いたので、廊下に立ったまま、唐突に聞いてみる。場を誤魔化すためとも言えた。ヒビキちゃんは、何を突然と文句をいうこともなく、ちょっと目を見開いただけで、答えてくれる。

「あるが……結構ゴツいのを」

「そうか。あるのか。あれは、絶対人に向けるなよ」

「当たり前だろ」

平然と返ってきた。いい子だなあ。
ぼくの知る限りの人物の半数くらいが、何でもないものをとんでもない遊び方で使ったりしているけれど、この子は是非、健全に育って──あれ? 鳥を撃ち落とそうとしていたような。

 まあとにかく──あれから、思い返せば、ああいう風に、自殺に見せかけるなら、銃がそばにあるべきじゃないかと、改めてぼくは考えてみた。きっと、あれには、もっと別の意図があったのだ。

例えば、あの音。
あの音と《あの状況》を、誰かが見たなら、思わず結び付けてしまったりして。例えば《その場》にいなかった人物が、心配になって出てくる、とかね。
どこかに隠れていた人が、いたのならだけど。


「……まつりの受けていた依頼って、知ってる……わけがないよな」

なんとなく呟くと、ヒビキちゃんは聞いていなかった。ぼくの後ろを見ている。振り返ると、眠りから覚めたのだろうか、まつりが、ぼくとヒビキちゃんを相変わらず、不思議そうに見ながら、ふらふら歩いてきていた。(結局放置していて、毛布でもかけとこうかと思ったまま忘れかけていた)

「本人の居ないところで、本人の機密事項を話すなよー」

「おはよう!」

明るい挨拶、元気な笑顔。小学校の壁にあった標語だ。

「……おはよう?」

「おはようございます」


三人それぞれ、挨拶する。流れってやつは素敵。
機密事項、か、やっぱりそうだよな。

「──ぼくの予想では、殺人容疑者の二人のうち、どちらが《恩人》を殺したか当てるって依頼が先に来ていて、依頼者は牢の番人さんか、収容されている場所に関わる人かな。解放は一時的なものであり、それに関する条件でなら、日時の期限付きで、出ていいことにしていた、みたいな。それを実行しに行ってたんだ」

「ふむ、5割合っているね。不十分かな」

まつりは寝起きの目で、眠そうに、しかししっかりした口調でぼくの答えを採点した。しかし、まだ眠いのか、むにゃむにゃと口を動かしたり髪をわしゃわしゃやっている。

「ちぇっ、残り5割はなんだよ」

「教えなーい。まあ、人が人で、コマがコマだったからね。誰かと誰かが会うだけで、それは事件なんだよー。そんな感じですねぇ」

 突然、よくわからないことを言い出すのは、いつも通りなので、ぼくは適当に受け流す。
言いたいことは、なんとなくわからないでもないが、まあつまり……ちょっと悪ふざけで遊んでいたんだろうな。

 答えをそのまま説明として言ってくれる人物もいれば、適当なことを言って周りが余計に混乱するのを楽しむ人物もいる。
あいつは言うまでもない。

しかも、たちが悪いことに『ちょっと順番を複雑に変えた程度』で混乱する人がいるなんて、ほとんど思っていないのではないだろうか。そんな人間を想定していないか、ごく少数と思っていて、悪気がない。
きっと、あいつの中では、手間がちょっぴり増えただけ、なのだ。

『答えはそこにあるものだから、どんなに適当なことを言っても、最後は結局そこに着ける。ちょっと遠回りしたところで、揺るがんのだよー』

が、まつりの言い分である。ちなみに続きがあるが、中略。


たまたま出かけたときに、最近ついでに片付けようとしていた依頼を使って、『これがどういう話かぼくが解くことができるか』という遊びを思い付いたので、しばらく試していただけなんじゃないか? 

──というのが、今回いろいろ終わって、改めての、ぼくの感想。あいつは何も言わなかったが。
 ああ、ちなみに、たまたま出かけなかったとしても、誘われれば出かけていたかもしれないので、そのあたりについては、まあ……想像におまかせしたい。


 っていうかあいつ、テストの解答時間があまったら、紙の裏面に、クロスワードパズルを地道に作り始めている種類の人間だ、たぶん。そしてそんなことをやるためだけに、テストを素早く片付けてしまうのだ。恐ろしい……

ちなみにぼくは、うとうとしたり、ぼーっとしたり、頭の中で記憶したビデオを見ていたり、さっさと帰ったりする。日中は眠たいんだ。

「……依頼だって言ったっけ?」

まつりは、あれ? と首を傾げる。その様子からするに、ぼくのことは、忘れられていなかったか、ちょっとは残っているみたいだった。頭の中をのぞけたらいいのだが。

「いや、あの……彼女を連れてった人たちの感じで、そう思ったんだ。お前が寝てるときに、協力ありがとうとか言ってたし」

だめだなあ、ぼくが気にしすぎなんだ、きっと。
神経質になってしまっている。

「おおう、そうだったか……で、きみは、何をしていたの?」

心配しなくたって──

「ごめん、質問の、意図するところがわからないんだけど──」

「まつりと、一緒に、居たのかな?」

「……ああ、うん……居たよ」

「──きみは、実験をしていたの?」

「……え?」


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