丸いサイコロ
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過去の話を聞いた。過去に、ここに来たときの話だ。
彼は、何しに部屋まで行ったのかと、気になったのもあるし(ヘアゴムの片方がここにあったとは思わなかった)、記憶力は、彼ほどでないとしても、悪いわけではない自分の、しかし嘘みたいな欠点を、少し補うためでもあるし、昔のことは、あんまり覚えていない。(それから、無理にでも、聞かせたい人もいた)
そういえば、彼はなんだか無駄に自分を難しく説明してくれるが、(そのややこしい思考で、まともに生きているんだから、ある意味すごい。 ──忘れがちだが、脳内で高画質の延々と途切れないビデオを回しつつ、音声を拾い、他の情報処理もゆっくりながら一度に行っているような感じの彼の脳内を、その辺の人に移植したら、大容量に数秒で耐久出来ず、潰れるだろう)
──佳ノ宮まつりは単純に、自分の中の情報と、他人に対する情報が、曖昧だ。格好も、見た目も、関係なく。ふいに世界が、自分だけになってしまう気がする。
その基準となるものを一個一個に付けていて、揺ぐと、わからなくなる。関わっていないと、失われる。
暗記と忘却の繰り返しだ。
机の下に居続ける人物に、彼は、行七夏々都は全く気付かない。
──まあ、しばらくして思い当たるのかもしれないが。
それが終わると、一旦片付けてからまた何か食べようということになった。片方のコウカは、何か持ってくると言って、またどこかに行ったが、まつりは食堂にちょっと忘れ物をしたといって、残った。
彼は、一旦、辺りをぐるっと回るらしい。おそらく、夜はこのまま泊まるのだろう。
「……もういいーよ!」
食堂で倒れっぱなしだったその人物を引っ張り起こす。かくれんぼみたいに相手を見つけて呼びながら。正直、うっかり忘れかけていたなんてことにならないようにと、すごく気にしていたので、今はほっとする。
手荒なこと自体はしたくなかったが、いきなり襲いかかられたのだし、あれでは話し合えなかっただろうし、と思う。
──とはいえ、力一杯とは思ったものの、実際はそれなりの加減があったことは、本人の甘さだ。
「……う、痛……佳ノ宮まつり……」
相手がまだ寝ているのかと思ってつついていたら、状況の変化に反応したのか、ゆっくりと目を開いた。良かったと安心しながら、小さくため息をつく。
少し、不愉快な気分だった。
「その名前で呼ばれるの、実は苦手なんだよねぇ……フルネームはさ」
割れてしまった仮面を拾い上げると、そこから現れたのは、細身の女性。特には何も言わないので、まつりは適当に独り言を続ける。傷も浅いながらに実は痛んだし、疲れていた。ここから動かずに話し合えるなら、そうしたい。
いや、話し合わなくても良い。少し、時間が欲しかった。
「──その名前で呼ぶ人呼ぶ人に、まるで化け物を飼ってるみたいな扱いを受けてたことがあってさ」
彼女は、何も応えない。
だから、まつりは好きに続けた。
「あら、そう……」
「──まあ、本当はどうだっていいんだよ、そんな話はね」
どうだって良いというのは、実のところ、強がりではない。ただ、どうだっていい話をわざわざしてしまうのは、自分に、余裕がなかったからだ。不安が、悪夢が、いつまでも消えない。