丸いサイコロ


<font size="5">32.解答例集、異なる同一</font>


 ぼんやりした意識のなかで、また、回想を見た。長い夢だったように思う。温かくて、寂しくて、残酷で、絶望的な夢だった。ぼくの、思い出。もう、思い出したくない悪夢。


「あら、ぬいぐるみが落ちてる……?」


──そんな声が降ってきて目を開けたとき、頭上に映ったのは、綺麗な肌の、髪の長い女の人だった。花柄のワンピースを着ていた。誰だ……

「やだ、人間じゃない!?」

 その人は、すごく驚いたように、つまもうとしたぼくの上着から手を離す。だから、クレーンゲームの景品なのかな、ぼくは。

「……やだとか、言わないでください……へこみます」

「紅茶と、ぜんざいが転がってる!」

 聞いてない。ぼくの覚醒直後の声量が、足りていないのかもしれないが、ちょっと寂しい。

「これは、ダイイングメッセージね……」


「死にかけていませんし、いったい何をしてるんですか? コウカさん」

 意識がはっきりしてきて、改めて見れば、どっかに連れていかれたような気がするコウカさんだった。気のせいだったのかなあ。変な夢を見てしまった。
ん……あれ? 違う?
えーっと。


「……あら、えーっと、あの、少年くん。お久しぶり、元気?」

彼女は特に名乗らなかった。

「……はい。まあ……で、なんですか。なんであなたがいるんでしょうか」

 彼女は、穏やかそうな目で、こちらをじっと観察しながら、二つの缶を差し出して、言った。上着に入れる。コンクリートで、寝てたからか、腰がいたい……頭は、少し痛くなくなっている。


「まつりんに呼ばれたから? あの子、特になんにも言わないから、あなたが、もし迷惑だったら言った方がいいわよ」


「いえ……迷惑とかは、どうでもいいんです。振り回されてる方が、ぼくは好きですし……そんなに誤解とか解いてまで深めたい仲もないですし。暇だったから付いていっただけですよ、ぼくが」


「変わり者ね」

「まあ、そうかもしれません」


──で、そいつのもとに戻らねばと、停留所を見るが、居ない。もしかして、一人で来ていて、これはすべて夢だったのか?


「あれ?」

首を傾げていると、彼女は手を広げて柔軟っぽいことをしながら、答えてくれる。

「まつりんは今、少し出ているの」

彼女は、いち、に、さん、しと横捻りをしながらぼくを見ているが、そこには触れずにおくことにした。

「そうですか」


 柔軟が終わったらしく、彼女はゆっくりとぼくに手を差し出す。ぼくは、その手を取らないで、立ち上がった。服のほこりを払い、もう一度聞く。

「あなたは、知ってるんですか、あいつを」


「ええ、知ってる」


「……そうですか」

 彼女の表情を見て、いろいろあったんだなあと、なんとなくしみじみしてしまう。

「──で、あなた、なんのために、あそこに出掛けてたか、結局わかった?」


「……あなたがどうして、まだここに居るのか、よりは、よくわかりましたが」

 少しだけ、意地悪く言ってみたが、彼女は特に気にしなかった。ぼくは一体、何に苛立っているんだろう。寝起きだからかな。


「──私はただその場に居なかっただけよ? ずっと、入れ替わっていたから」

「エイカさんと、ですか。なんだか、分かりにくいな……どうしてそんなこと」


「秘密」

秘密って……聞いても教えてくれないだろうな。


「はあ……あ、そうだ。ちょうど良かった。ぼくの話、聞いてください」



──たくさん、話した。たくさんだから手短に。推測と、思い出を。

 彼女は、全部を、黙ったまま、聞いてくれた。途中で飽きたら、それはそれで良かったのだが、彼女は飽きずに聞いてくれた。


 ぼくが地下に軟禁されていたとき、怪しんだ兄が、おそらく両親のために、騒ぎに乗じてあれを置いてきた話や、《彼女》が、それを見つけて不審物か、または別の目的で、持ち去ろうとした話。まつりが拾った後に、最初は彼女を疑ったが、結局は兄のものだと思ったのかなという話。
それから、少し、省いた。あまり言いたくはなかったから。


 メイドさんの間で、お屋敷のなかで、入ったばかりの自分たちに罪を被せようとした人が《内部に》いる、という勘違いが起こっていたんじゃないか、ということ。
 昔の恩人の病気が発覚して、榎左記さんが、こっそりと、《彼女》に続いて見舞いに行っていたこと。
だけど、それもある日を境にやめざるを得なかったこと。


《彼女》により、榎左記さんの恩人が殺されたこと。そもそも恩人とは、榎左記さんにとってだけの話、であったこと。



 ぼくを本当に軟禁した人のこと。それを、偶然知ってしまった人のこと。コウカさんを殺害し、コウカさんとして、少女と暮らすようになっていたんじゃないかということ。その際に、自分を死んだことにした、ということ。


 本当はだから、コウカさんが二人いて、片方があのままの、死んだ人の、ペンダントを付けていた。

 互いに、人目につかない場所で身を隠し、別々の所で《二人》は捕まった。
──というか、本当は、この辺りで、まつりが何かしたのだろうが、ぼくにはわからない。


 夜中にあの館であったはずの、殺人未遂事件のこと。あの日に見た、放置された、血まみれの壁や床。そのときの犯人だった《彼女》が脱走していたこと。
置かれたままの、地下室の棺桶。


それから、それから──


たくさん、話そうと、思った。誰かに、聞いてほしい気がした。
もっと、あと少し続く。
 あの男のことや──少女の、実験の────……


「……どうしたの?」


言葉が、詰まる。
どうしても、言えなかった。この話は、確かに、まだぼくには出来ない。いつか──向き合えるんだろうか。言えないから、終わらせた。


「……おしまいです」

──本当は、違うけれど。

「そう」


 俯くぼくに、彼女は、何も聞かないでくれた。聞いても聞き出せないと思ったのかもしれない。頭をぽんぽん叩かれそうになったので、さすがに避けた。やめてくれ。頭痛が再発したらどうするんだよ……



──と思っていたら『あれ?』と、背後からまつりの声がした。どこに行っていたんだと、言いたかったが、やっぱり言えなかった。 何か察したのか、近くに歩いて来て、しゃがんだまま、ぼくを見ている。まっすぐに。裾が、引きずられている。転ぶからやめろって、言ってるのに──


「……どうしたんだよ」


 春の、しっとりと重く、でも、柔らかい雨みたいな温かくて、静かな声で、──誰よりも、悲しそうに、目を伏せて。


「ごめんね」


謝られた。
意図が──わからない。

「なにが?」


 聞いてみたが、変わらずに、ぼくを見ていた。
勘違いじゃなく、ぼくを見ている。ぼくに、謝ることが、あっただろうか?


「──やっぱり、こういうやり方、良くなかったよね……最初から、気はすすまなかったんだけど、どうしても《事情》があって、そうするしかなくなって…………でも、ちゃんと、答えを出してくれて、ありがとう。必要だったんだ」

 まつりがあえて言わなかったことを、ぼくは、飲み込んだ。

──詳しくはわからないが、賭けとか手出しとか、そういう話が絡んだから、断れなかったんだろう。まつりを怒らせるような『なにか』が、関わる話──きっと、それはとても大事なことだったのだろうと、思うし、それなら、仕方ないじゃないか。


「──いいよ、別に。身内から言われたら、断れないよな」

いいよ、と言ったものの、まつりには、やはり、自責の念があるようだった。だったらあの態度を始終貫いていられたのはどうしてかと思ったが、たぶん精神と態度が、反対のものにになるんだろう……わからないけど。あいつのことなんて知らないし。必要以上に強がるやつだ、と言う話かもしれない。

「別に、ぼくは──」

「──こんなことなら、もっと……いや、なんでもない。本当に、ごめんなさい」


 もっと《このとき》についての記憶が自分にあったら、こんな風にわざわざ、細かく分けたり、誰かを巻き込んで、覚えているとか、知ってるとかの反応を見ずにやらなくても良かった、ということなのだろう。


 それにしても、理解が出来ない。『ごめんなさい』と、言ったのだ。ぼくに向けられた、謝罪。なぜだ。思わず、その場から、動けない。こういうのは、慣れていないから、信じられない。

(どうして謝るんだよ……)
どうして、ぼくをそんな風に、『ちゃんとした人間』みたいに、扱うんだよ。


(それにお前は、それでも──)


 本当は、自分だけで出来る確信が持てなくて、でも断れなかったから、出来る限り考えて、やろうとしたんだろう? それでいて、ちゃんと、ほとんどのことを最後までやり遂げたんじゃないのか。


 誰だって、家族も、他の知り合いも、ぼくに、そうしてくれなかったのに。お前だけに、そんな反応をされても、どうしたらいいのか、わからないだろ。どうしろって、いうんだよ。
お前も──ぼくも。


「──どっ、どうしたの、やっぱり、どこか、痛い? 返事してよ……」

 うまく言葉が出てこなくて、黙っていたら、泣きそうな顔が見えた。


なんだか、変な気持ちだ。普段はあんなに冷めてるくせに。なんだよ、そんなに動揺されたら、調子が狂って、こっちまで、泣きそうになってしまうだろ。伸びてきた前髪を掴んで、隠す。

(ああ……なんか、こういうの)

 ぼくは、初めて──それを堪えるのが辛いと、思った。どんな痛みよりも、どんな暴言よりも、どんな過去よりも。今、泣くことが出来ないのが、辛いと、思ってしまった。


 いつのまにかしゃがんでいたみたいで、このままでは危ないと思い、とりあえず立ち上がり、上着を探って、なにげなく缶を差し出す。まつりは、やっぱりきょとんとしていたから、握らせた。

「──ほら、紅茶。悪いな、冷めたわ……」

「……えっと」


 頼んだっけ、と固まっていて、それがなんだかおかしくて、ぼくは歩き出す。それから、一言。少しだけ自然に、笑うことが出来た。

「──じゃ、帰るか」
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