丸いサイコロ


5.鍵のあるはなし


……その、コウカさん?
というのは、まつりの家に来た人たちの中には居たけれど、何か手を出したのかと言えば、そうでもないらしい。


『敵の中にだって、それなりに友好的な人は、たまに、いるもんなんだよ』とまつりは言った。相手側に属してはいたけれど、仲が良かったようだ。あれ。まつりは、震えていなかったか?


「――どうして」


 家に帰って来ると、すぐにリビングのソファーに《猫を愛でるセレブの図》みたいに少女を抱えるまつりが座りながら言った。
(ちなみにぼくはテーブルでお茶を入れている。




 ケイガちゃんは、目をそらしていた。まつりは暇をもて余しているのか、彼女の頬をふにふにしはじめる。ケイガちゃんは、口をぱくぱくさせて困惑した。呆れているのかもしれない。



「薄々感じていたけどさ……お前、いたいけな少女の反応で遊んでいるだろ」

 こういう、堂々としててプライドが高そうな子をからかうの、好きなんだよなあ。

「まつりのことを、貴様とか言ってくれるんだよ。こんなに敵対心むき出しの子、久しぶり!」

随分と気に入っていたらしい。頭を撫でて叩かれている。ペットと間抜けな主人みたいだ……


「ほどほどにしろよ……」

「あー、寂しいんでしょ?」

 こっちに絡んでこられそうになったのであわてて、落ち着いてきたケイガちゃんに、説明を求めた。
(ぼくはごめんだ)


 ケイガちゃんは、助かったとばかりに、緩んだまつりの腕から抜け出して、テーブルからひとつ、入れたてのお茶を取ると、ソファーから離れた椅子に座る。
 それから彼女は、腰に付けていた可愛らしいポシェットから、封筒を取り出した。

「家の、部屋の窓に、これを投げられて」

ケイガちゃんが開けたその中には、何か綴られた、一枚の紙があった。封筒の中は見えないので、もしかしたらもう一枚くらい入ってるのではとよくわからない期待を抱きかけたが──今は関係がないか。


「姉を見つけ、来賓館に連れて来い」

 淡々と、その一行を読み上げ、それから、追伸を続ける。命令されているようだ。


「──期限は明日の正午まで。逃げ場はない。破れば裁く」

「それは誰から?」

 まつりが無表情で聞いた。返答はなかった。どうやら、わからないようだ。


「明日って、もう時間がないんじゃ?」

裁くって、何をされるんだろう。どうやって、そんなことを。よくわからないことだらけだが、ぼくが騒いでもどうにもならない。


 あれ。そもそも、なんでそんな言葉を使うかが重要なのではないだろうか?
まつりは少しだるそうに、残ったカップをひとつ取り、少し冷めた中身を飲み干して、嫌な顔をした。渋くなってたんだろう。


「そうだねー。でも、時間がまだあるじゃない」

「い……居場所なんてっ、わからないのに」


「にしても手紙を投げたお方は、なかなか視力がいいんだね」


「視力の問題なのか?」


「あー、だめ、ぬるい。もう一杯」

「もう一回沸かす?」

「き……貴様たちは冷静なのだなっ」


 奇妙な空気になってしまった。ぼくはどうも《焦る》というのがうまく出来ないらしい。まつりも、のんびりとお茶のおかわりを入れている。

緊張感が無い、は、昔から言われ続けて、通信簿に書かれ続けたことだ。
焦っても、しょうがないと思うことが多かったし、焦りながらでも、手を震わせながらでも、とりあえず、何かしていた方がましなんじゃないか、という気持ちなのだが、冷めてるよな、と言われてしまうことも多々だ。


──まつりはどうなのか知らないが。犯人に見当がついたのだろうか? ケイガちゃんは、やはり可愛らしく、どうしようと慌てているものの、二人があまりにぼやっとしているので、どうしたらいいか困惑気味だ。

「んー、ざっと5つ、だったかな」

まつりはぼんやり呟いて、壁のフックにかけていた自分の鞄から、携帯電話を取り出す。

ボタンがないと不安だよね、とのことだが、通常のものよりボタンがついている気もしなくはない、薄型の黒いやつだ。

「ぴぴぴぴーっ、と」

まつりは、ぴぴぴぴ、では収まらない回数、ボタンを何回か押してから、少しして、あった、と言った。

「何してんだ?」

「情報通の奥さまにお電話ー。いやあ、さっき、自分の暗証番号忘れちゃって、びびったよ」

そう言うと、静かにして、と目で合図し、耳に受話器を当てた。







それから、相手が電話に出たことを感じとると、スピーカー音量を、わざとらしく上げながら、こちらにも話が聞こえるようにした。

「……やあ、まざー、元気かい」

「あら、誰だっけ」

まざー、と平べったく呼ばれた(おそらく)婦人は、とぼけたように返す。歌を歌っているような、朗らか、という感じの声だ。ちょっと高め。

「ひどいなあ、まつりだよ。この前、かけたでしょう」

「あー、あー、あー、そういう詐欺も、あったわね!」

「本人だってばー、もう、お茶目なんだからっ」

あはは、とまつりは笑う。この笑いかたは、よく知っている。ぼくに全く関心がないときに向けられるのと、同じものだ。

「……あなたが、何の用かは知らないけど、あなたは、ちょっと……厄介を巻き込みすぎるのよね。だから、お断り」

まざー、と呼ばれた人も、急に声音を冷たくした。
先ほどまでの柔らかい声は、挨拶に過ぎなかったようだ。
いつぞやに、よほど、ひどい目に合ったのだろう。
受話器の向こうでは、いかに嫌かを語る婦人の声に混じって、配達ですがー、と声がしていた。

「んー、そっかー、じゃあーどうしよっかなーん」

まつりは笑顔を崩さずに、ソファーから少し右にある棚の上の筆立てからひとつ、ボールペンを抜くと、真ん中から折った。
ばき、と嫌な音がする。
何をしているのかと、コップを片付けながら見ると、もしかするとメモを取るつもりだったのか、電話を持つ右腕をあげたまま、左手に折れたボールペンを握って固まっていた。
目を見開いて、ショックを受けているように見える。
まつりに、腕にメモを取る癖があると知ったのは、つい最近だ。
その棚からメモ帳と、鉛筆を探して、渡してみると、首を横に振られた。
メモをもう一度取ること自体が、屈辱かなにかに思えてしまうようだ。

やっぱり覚えればいっか、と納得したまつりだったが、突然の叫び声を聞いて、びっくりしたように電話を耳から離した。しかし、口元は笑みを浮かべている。
突如、婦人の声が、荒いだものに変わったのだ。
高音で喚くため、耳に響く。

「……あ、あなた! 何、なんなの、これ!?」

「あ、届いたー?」

「届いたー? じゃ、ないわよ、こ、これ……」

「そ。今回のあらすじ、みたいな? あなたにも手伝って欲しいなあ」

「な、冗談じゃないわよ! あなたは、いつも、ふざけて……」

「焼き芋も入ってるでしょ? おやつにどうぞ」

「や、焼……だ、だから、どうして私を巻き込むの」

少し揺れている声だ。
まつりは反応を楽しんでにやにやしている。
いつからこんな風に、と思ったが、思えば最初からか。


ああ、それから、とまつりは思い出したように付け足した。

「ジェッキーだっけ? あなたのとこの、鷹だか鳶だか……お元気?」

「ええ。もちろん」

「そりゃあ、良かった。配達までこなせるなんて、賢い子だ」

「あなたより賢いかもね」

「あはは、そうかも!」

ケイガちゃんが、あっ、と小さく声をあげている。
まつりは、そっちをちらりと見ると、小さく微笑んだ。


「で、誰がそれを頼んだの?」


「――口が固いのが、私の取り柄なのに、面白いことを言うのね」


「はいはい、コウカなんだろ、どーせ」

「あら、どうしてそう思うの」

「カワイコちゃんに頼ませて、《こっちを》おびきだすつもりなんじゃないかなーと思います。まったく、ずるいよね」

「で、あなたは、素直に引っ掛かることにしたの?」

「ああ。引っ掛かったふりをしてちょっと嫌がらせして帰って来ようかなとね、で、場所は」


まつりはそう言って笑った。
ケイガちゃんの様子を見てみると、苦い顔だった。
話だけで考えれば、姉が自らを探させ、自ら妹を裁くということだ。

しかも、それさえ出汁であり、妹を利用して、まつりを、自分の前におびきだそうとしていることになる。

コウカさんは、何を思ってそんなことを考え付くのだろうか。

「場所はそりゃ――知っているけど。報酬が、《これ》だけだしねぇ」

「この前、お城の地下室で永久迷子になった、可愛いメイドさんでも紹介しましょうか?」

まつりが、含みのあるような言い方をすると、婦人の、はっとする声が聞こえた。

「わかった。お受けします」

「うん。それじゃ、あとで電話して」


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