溺愛体質な彼は甘く外堀を埋める。
私と同じように,迷うような動きを見せている千夏。

そんな千夏はずいぶん時間を置いて,たっと走り出した。

そのスピードはどんどん上がって,ついさっき走り去った真理のように前しか見ていない。

……前?

んーん,まさか。

はっきり,真理の事しか見ていない。

千夏が私の前まで来たのは,本当に直ぐで。

決断するための時間にしては,あまりに少なくて。

突発的に伸ばした手は,千夏には届かない。

えもしらぬ空虚な喪失感,何もかも手放してしまいたくなるような諦念。

おまけに,千夏はさっと風を起こし,今にも走り去ろうとしている。

耐えきれず,一歩前に飛び出した私は



「……ちなつ……っ千夏!!!!」



ふっと息を吐き出して,心震えるままにその背中へと訴えた。

目を最大限に丸くした千夏は



「っ~?! まな,か?」



とうとうその身体を180度回して。

私を見た。

ごめん,千夏。

曖昧に,力弱く手を上げた私。

今いま届かなかった手が,本当は届いていたかのように。

足を止めた千夏が,ゆっくり歩み寄ってくる。

その戸惑いに満ちた表情に,私はなぜか,感情のない,微笑みで返した。

きっと,他に術を知らなかったから。

ごめんね,千夏。

ごめん。
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