桜舞う天使の羽~天才心臓外科医に心臓(ハート)を奪われました。
現に、母親は何を言われたのか分からないといった様子で、キョトンとしていた。それから一泊置いて、我に返ったように蒼白していた。
突きつけられた事実に皆が呆然とした。
正悟は6時間後にもう一度脳死判定し確定する、と言う医師の話を聞きながら、両手を強く握り絞めた。俺はこれでも医療の知識がある人間なのだから、自分がしっかりしなくては……。何も考えられないといった様子の両親の代わりに、正悟は医師との話し合いを続けた。
両親は肩を寄せ合い、泣き続けている。朝元気に登校して行った娘が、今はベッドの上で脳死判定を受けていることが信じられないのだろう。俺だって医師と話しながら、心の何処かで間違いであって欲しいと願っていた時だった。
部屋の扉をノックする音が聞こえ、扉の方へと顔を向けると、一人の看護師が部屋へと入って来た。
「娘さんの荷物の中にこちらが入っていました」
看護師がそれを医師に渡すと、医師は驚いたような顔の後、俺達の方へ看護師から受け取った物を差し出した。
見せられたのはドナーカードだった。
さくらの持っていたドナーカードには、心臓の意思提供があるとしっかりと記入されていた。
あれは何時のことだったか……俺が医師の勉強をしていた時、さくらに聞かれたことがあった。
「お兄ちゃんは何の先生になりたいの?」
「俺は心臓外科医だよ」
「へーー。お兄ちゃんはすごいよね。私も誰かの役に立つことをしたいな」
「さくらなら出来るよ」
「うん。ありがとう。お兄ちゃんは世界一の心臓外科医になってね」
そんな会話をなぜか今、思い出していた。
俺の横で、母がドナーカードを見つめ、体を震わせながら声を荒げた。
「これ以上、娘の身体を傷つけるなんて許さない」
その答えは、母親として当然の意見だろう。これ以上娘の身体に傷を付けたくない。当然のことだ。医師や看護師もそれ以上、それについて触れようとする様子も無かったが、俺はドナーカードを裏返して目を見張った。裏面にはさくらの字で、メモが書かれていたから……。
『臓器提供を待つ、誰かの幸せのために使って下さい』
メモの書かれたドナーカードを母の前に差し出すと、母は震える手でそれを受け取りながら、母も目を見張っていた。それから一生分の涙を流しているのではと思われていた母の瞳から、更に大きな雨粒のような涙が頬をつたって流れ落ちた。
「ああ……、さくら……これが……っ……あなたのっ……意思なのね……」
悲しくて仕方ないというのに、母はうれしそうに、誇らしそうに、娘の思いに、泣き笑った。