【短編】追憶


全ての記憶がなくなったわけではない。


だけどノートに書いてあることが、
ほとんど信じられなくなった。



記憶の片隅に残る思い出たちは
断片的に、幸せだった日々を告げる。


日中は
病室にお見舞いに来てくれた両親や兄弟、
病棟で仲良くなった方々と話したり

小児病棟の子達の学習に参加したり

治療やリハビリをしたり。


何かしらするか、誰かしらと一緒にいるから、
寂しくなることはないけれど、

夜になると、静まり返る病室に
ふわっと、断片的な幸せな記憶が蘇ってきて

なぜだか、泣きたくなる。

そんな時はノートに挟まれた、男性とのツーショット写真を見ると落ち着くの。

彼のことは、

「大切な人、一生大切にしたい人」

とだけ書かれている。

家族や病院の関係者とは別のページに記録されているその一言は、文字が震えていて。

名前は書かれていないし思い出せない。

だけど、私にとって、本当に大切な人なのだと思う。

でも、1度も会いにきてくれない。


彼に、会ってみたいな…


11月の下旬、面会にきたお母さんに聞いてみた。

「この人に、会えないの?」

一瞬驚いて、口を大きく開けたと思えば、
哀しそうに、でも確かに笑って、

「聞いてみるね」

と言ってくれた。


そして、看護師さんが「今日は初雪だよ」と教えてくれたその日、

知らない男の人が面会にきた。

「はじめまして」

そう挨拶すれば、
顔を歪めて哀しそうにこちらを見て、
唇を噛み締めていた。



どこかで見たことのある顔…?
お互いに何も話さず、沈黙だけが続く。


もしかして、この人が私の
たいせつな、ひと………?


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