ノート
夜、ご飯を食べていると母さんがやけに真面目に俺を呼んだ。
「なに」
「再婚しようと思うの」
「ああ、そう」
どうでもよかった。
俺にはこれからも将来が訪れないんだから。
「相手は?」
「河辺さんって人。素敵な方よ。小説家なんだって!」
母か。
姉の次は、母。
俺はどこまで晒されれば良いんだ?
「青山にすんでて……作品も読ませてもらったんだけど。あなたも読みなさい」
それは。
だって、それは、俺の……
「っ!!」
読むなとも口に出来ないまま、箸を投げ捨てて部屋から飛び出す。
「っ……あ…………ぁ、あ」
もうやめてくれ。
一人にさせてくれ。
どうして。
どうして、一人になれないんだ?
二階に戻って動悸を押さえようと呼吸を繰り返す。姉も母もみんな河辺によって変わっていく。
俺の心も、拠り所もみんな彼に奪われていく。
混乱したまま、ハサミを腕に当てた。
震えた手ではうまく切れなくて、皮がピーラーで剥いたみたいにぺろんとはがれて、より痛々しいことになった。
「皮膚って……表皮の内側って、こんなに白いんだ」
驚きで涙が引っ込む。
読んでいた小説の殺人事件の現場ではあまり詳しく書かれてなかった。
けど、人って、白いんだ。
水死したときは、こんなふうに、皮はぺろんとはがれて手袋みたいになるらしい。
小さい頃、細胞検査技師になりたかった。
ちょうど地震で原発問題があって汚染が危ないからと諦めた。
どき、どき、と鼓動が揺れる。
誰に会っても、何を言われても感じない。
皮の下の皮膚が白いってだけで、涙はひっこんでいて、じわりと滲み出した血なんか気にならなくて。ただ感動していた。
母さんも反対したっけ、なんて思ったけれど俺はやっぱりこういうものが好きなのだった。
細胞や死体と、接したいな。
刑事も良い。
異臭は得意ではないけど、それでも、好きなものだった。
俺は夢中で皮膚に傷をつけた。
赤、白、赤、白……
表皮の層。
危ないものだから、と周りから言われるものにばかり夢中になってしまう。
俺は、悪い子なのかもしれない。
でも……死んだ人間自体は危ないものじゃない。
「俺を、ゆるして」
身体につけた傷から、沢山の血が溢れてくる。
ぺろんと垂れ下がった皮と、薄い桃色。白。赤。
「俺、は、好きなんだ……すき、なんだ……」
危ないことは、あるかもしれない。
だけど、それも含めて。
「ごめんなさい、俺を、ゆるして」
危なくてもいい。
だって、ただ、白を見たってだけで、俺はこんなに浮き立つんだ。
じりじりと、あとから痛みがやってくる。
血がなかなか止まろうとしない。
「なんで……なんで、こんなに、幸せな気持ちになるんだ?」
止まった涙がまた溢れてくる。
身体を引きずるようにして、机から救急ケースを出すと、
ひとつずつの傷にテープを貼った。皮をきった方がいいのかもしれないけれどなんだかもったいなくて、そのままにした。
病んでいるからなのか、皮膚に感動しているのか、その両方が、俺を捕らえて離さない。
ドキドキ、ドキドキ。
涙をぬぐって、改めて考えてみる。こんな気分ははじめてな気がした。
俺はきっと、普通の生き方が出来ないだろう。腕を切っただけでこんなに嬉しいなんて、知ってしまったら……
もっと知りたかった。
けれど家族は平凡や普通を望んでいる。
だから大反対する。
無理だ。
無理だ、どうしても。
こんな幸せを、知らなきゃよかった。
こんな生き方が叶うなら生きたいって、思ってしまうじゃないか。
普通じゃなくて、危なくて構わない。
皮膚を切ったときのような、幸せな気持ちになりたい。
殺したいというわけじゃなかった。
ただ、なぜこんなにも、心が揺れるのか知りたかった。
たとえ危なくても。
辛くても。
好きで、好きで、好きで好きなんだ。
この血のためになら、危ないと言われたところなら、生きられるかもしれない。
夜中に階段を降りて行くと母さんに会った。
沢山テープを貼り付けた腕は見るからにボロボロ。
しっかりした長袖じゃなかったから隠しきれていない。
けれど、それをどうしたの? とか聞かれることはなかった。
「はやく寝なさいよ」と言われただけ。
うなずいてはみたものの浴室に向かう背中を見届けて……
部屋からもってきた薄い上着を羽織って玄関に向かう。
頭のなかはごちゃついていたが、曲はかけられない。
プレーヤーはもってない俺は、最近よく起きるようになった携帯の再起動で苦手な音を防げなくなった。
パニックになるかもしれないと思ったけど、新しく買うためのお金ももったいないし、また再起動や停止したら同じことだ。なにも防ぐ手だてのないなか、外に出る自分を誉めたい。
「なに」
「再婚しようと思うの」
「ああ、そう」
どうでもよかった。
俺にはこれからも将来が訪れないんだから。
「相手は?」
「河辺さんって人。素敵な方よ。小説家なんだって!」
母か。
姉の次は、母。
俺はどこまで晒されれば良いんだ?
「青山にすんでて……作品も読ませてもらったんだけど。あなたも読みなさい」
それは。
だって、それは、俺の……
「っ!!」
読むなとも口に出来ないまま、箸を投げ捨てて部屋から飛び出す。
「っ……あ…………ぁ、あ」
もうやめてくれ。
一人にさせてくれ。
どうして。
どうして、一人になれないんだ?
二階に戻って動悸を押さえようと呼吸を繰り返す。姉も母もみんな河辺によって変わっていく。
俺の心も、拠り所もみんな彼に奪われていく。
混乱したまま、ハサミを腕に当てた。
震えた手ではうまく切れなくて、皮がピーラーで剥いたみたいにぺろんとはがれて、より痛々しいことになった。
「皮膚って……表皮の内側って、こんなに白いんだ」
驚きで涙が引っ込む。
読んでいた小説の殺人事件の現場ではあまり詳しく書かれてなかった。
けど、人って、白いんだ。
水死したときは、こんなふうに、皮はぺろんとはがれて手袋みたいになるらしい。
小さい頃、細胞検査技師になりたかった。
ちょうど地震で原発問題があって汚染が危ないからと諦めた。
どき、どき、と鼓動が揺れる。
誰に会っても、何を言われても感じない。
皮の下の皮膚が白いってだけで、涙はひっこんでいて、じわりと滲み出した血なんか気にならなくて。ただ感動していた。
母さんも反対したっけ、なんて思ったけれど俺はやっぱりこういうものが好きなのだった。
細胞や死体と、接したいな。
刑事も良い。
異臭は得意ではないけど、それでも、好きなものだった。
俺は夢中で皮膚に傷をつけた。
赤、白、赤、白……
表皮の層。
危ないものだから、と周りから言われるものにばかり夢中になってしまう。
俺は、悪い子なのかもしれない。
でも……死んだ人間自体は危ないものじゃない。
「俺を、ゆるして」
身体につけた傷から、沢山の血が溢れてくる。
ぺろんと垂れ下がった皮と、薄い桃色。白。赤。
「俺、は、好きなんだ……すき、なんだ……」
危ないことは、あるかもしれない。
だけど、それも含めて。
「ごめんなさい、俺を、ゆるして」
危なくてもいい。
だって、ただ、白を見たってだけで、俺はこんなに浮き立つんだ。
じりじりと、あとから痛みがやってくる。
血がなかなか止まろうとしない。
「なんで……なんで、こんなに、幸せな気持ちになるんだ?」
止まった涙がまた溢れてくる。
身体を引きずるようにして、机から救急ケースを出すと、
ひとつずつの傷にテープを貼った。皮をきった方がいいのかもしれないけれどなんだかもったいなくて、そのままにした。
病んでいるからなのか、皮膚に感動しているのか、その両方が、俺を捕らえて離さない。
ドキドキ、ドキドキ。
涙をぬぐって、改めて考えてみる。こんな気分ははじめてな気がした。
俺はきっと、普通の生き方が出来ないだろう。腕を切っただけでこんなに嬉しいなんて、知ってしまったら……
もっと知りたかった。
けれど家族は平凡や普通を望んでいる。
だから大反対する。
無理だ。
無理だ、どうしても。
こんな幸せを、知らなきゃよかった。
こんな生き方が叶うなら生きたいって、思ってしまうじゃないか。
普通じゃなくて、危なくて構わない。
皮膚を切ったときのような、幸せな気持ちになりたい。
殺したいというわけじゃなかった。
ただ、なぜこんなにも、心が揺れるのか知りたかった。
たとえ危なくても。
辛くても。
好きで、好きで、好きで好きなんだ。
この血のためになら、危ないと言われたところなら、生きられるかもしれない。
夜中に階段を降りて行くと母さんに会った。
沢山テープを貼り付けた腕は見るからにボロボロ。
しっかりした長袖じゃなかったから隠しきれていない。
けれど、それをどうしたの? とか聞かれることはなかった。
「はやく寝なさいよ」と言われただけ。
うなずいてはみたものの浴室に向かう背中を見届けて……
部屋からもってきた薄い上着を羽織って玄関に向かう。
頭のなかはごちゃついていたが、曲はかけられない。
プレーヤーはもってない俺は、最近よく起きるようになった携帯の再起動で苦手な音を防げなくなった。
パニックになるかもしれないと思ったけど、新しく買うためのお金ももったいないし、また再起動や停止したら同じことだ。なにも防ぐ手だてのないなか、外に出る自分を誉めたい。