ノート
材料を煮込む間、暇だからと数分だけ部屋へ戻ることにした。
ぼんやりした手が、引き出しに伸びる。
電池が切れたままの育成ゲームに触れる。
「……」
二次限空間と現実の間に存在する、儚い命。
電池を入れれば生まれ変わり生き続ける存在。
「なっちゃん」
心が停止したままだった。
停止したまま、知らない荒しとわざわざ向き合うのも大変だし、とりあえずは収まるまで簡易な鍵としてパスワードを設置しておいた。
この鍵は、昔からあれを読んでくれた人の心にある鍵だ。
『夕飯を煮込んで居ますね?』
突然、知らない声がした。
隣にある母さんの部屋のテレビが急についたのだが、母さんはまだ居ない。
『おっ! これは、たまごやきだー』
ガヤガヤ、芸人の声。
「え……」
『へぇッ まやぞんさん、玉子焼きお好きなんですか?』
『はいー! まやぞんは一日三食くらい玉子焼き食べますよ』
……うるさい。
うるさい。
『まやぞんの一日に密着して――』
『ガヤだったんですが、急にメジャーになりたいなあと思いまして!!』
うるさい。うるさい。うるさい。
『早く学校いきなさいっ!』
『えー、いやだぁ~!』
ドッと笑う会場が映る。
うるさい。うるさい。うるさい。いじられ続ける芸人に嫌気がして、消せばいいのに何かから逃げるようにチャンネルを変えた。
『国民的アニメの『ビッグもも子ちゃんの作者が本日未明――――』
『パンケーキ食べたい』
『――で知られる作家のサルキックさんが――――』
最近作家がよく死ぬ気がする。
×××さんといつか話したこと。
作家の後ろ楯になる何かが芸能人にも居るだろうってこと。
資金があるから、ニュースや政治も操れる。
いちいち驚けなくなってきたけれど、俺がBPOだったらかなり審議されそうになってきたな。テレビを観てて、今さら、結局は好物のカレーをつくってしまっていたことに気がついた。
携帯を持って台所に戻ると、椅子に座って電話をかけた。
なんとなく。
しばらくすることなく、それは繋がった。
『はい』
「……あの」
『秋、どうかしたか?』
「すずしろ、」
『なっちゃんでいいのに』
なっちゃん、なんて、俺、気軽に呼んでたっけ?
ずきっ、と後頭部が、少し痛んだ。
違和感というか、そんなのがある気がした。
「っ、あの」
さっき、ふいに呼んだ名前。
なっちゃん、と呟いた。
だけど、だけど……
いざ話そうとすると、その呼び方がなんだか不思議だった。
「え? ……え? あの、すずしろ、」
『そうだけど?』
彼の方は戸惑う俺に対し、とても真面目に聞き返す。
「な、っちゃ、ん?」
そんな呼びかただった?
「あ、あの……、」
何度もそれについて問いただしたって、不審がられるだけだ。だけど思い出せなかった。
どんな仲だったのだろうか。
『調子はどうだ?』
「うん、い、いいよ……」
なぜだかとても心細くなった気がした。そうだ結局×××のことは、話さなかったな。
×××?
「え――――」
誰。
『あ。そういえばさ、河辺がお前を気にしてたぞ』
「……そうなんだ」
『お前とは同性だから結婚を反対される。
だから、異性である姉を紹介してもらったんだとさ。
姉と付き合えば家族にはなれるから、それで家族ぐるみで、どうにかできるからって。
幸せはそれからでって、ちゃんと自分なりに考えたと。
お前が学校来ないから代わりに伝えてほしいって』
「そう……」
伝えて何か変わると思ったのだろうか?
いつまでこの『檻』に付き合わせる気なんだろう。
好かれることはある意味牢獄みたいだ。
『あいつさ、何があったか知らないけど、どこまでもプライド高いよな』
家族に囲いこまれても良いことなんかない。
バカ姉がわざわざあてつけに来るきっかけを増やした。
それは彼が、自分が舐められるのが嫌だから?
『最初はお前を異性だって言って、周りの人に紹介してたんだけど、すぐバレたから、仕方ないことらしい』
そしてバカ姉と二人で嫌がらせを始めた……
呆れるような動機だ。
『ちゃんと聞いてなかったかもしれないから、
改めて語れば、また好きになって貰えるとさ』
「そんな要素、あった?」
『……』
それから昔トレーディングカードがはやったよなとか、他愛のない話をした。
久々に、息抜きが出来た気がした。
『そういやカンベのSNS、見てる?』
「え?見てない」
『お好み焼きを食べたよ、妻と買い物デート』
『妻がくれたケーキ』
『いつもありがとう、アキ』
すずしろ、がそんな言葉たちを読み上げる。
「カンベのだよな、それ」
妻って、まさか、姉か。
『いや、それが、ずいぶん前から。お前と付き合いがあるとこから』
……誰だ、妻。
って、あれ? すずしろに、この話をしてたっけ。
×××も、誰だっけ。
ずき、ずき、とまた頭が痛んだ。
そのSNSを見てみると、なっちゃんという人も出ていたし、他の知り合いも出ていた。
『これは、俺じゃないぞ』
「うん」
遡ると、ますますカオスだった。
――綺羅ちゃんおはようー
――ネネさん、こんにちは。
「綺羅まで出てる」
少し、ぞっとする。
その『綺羅』はキャバ嬢みたいな人だった。
あいつとは違う。
昔、著者名に検索をかけたらすぐ見つかった作品の内容を思い出す。
明らかに他人のトラウマなどをなぞって、付け足したようなものを、美化させて出来る作品。あいつの作風が何によって出来ているか。他人の不幸だ。
陰湿な記録がさも綺麗事になって、ハッピーエンド、になっている。
――一度その事実を知ったら、コメントが気味が悪いものにしか見えなかった。
文字列から離れたくて顔を覆って座り込んだ。
よろけて、思わず手が床についたら何かが当たった。
床に置いたままになったスケッチブックだ。
「……」
開いてみると昔の自分が描いた、雑だけど、なんだか楽しそうな絵がならんでいる。
こんなに、楽しそうなときがあったんだ。
「……」
近くにある鉛筆を手にして、目の前にあるペン立てを描く。無心で。要らない情報全てを拒絶して。
此処にあるのは、自分の世界。俺が、見ている世界だけでいい。
いつのまにか電話を切っていて、そのまま、六、七時間くらい過ぎていた。
それから集中している間がふと途切れる。
肩が凝ったなとか、そんなこと。
なっちゃんと話をして、また、わからないことが出てきていたことが浮かんだ。
まずひとつはあのときのなっちゃんの部屋の『本棚』。
妖精が出てくる話、
料理の本。俺がノートに使っていた仮名そのものが数多く主人公として出る話。本のなかには俺の名前そっくりな、ペンネームまであった。6割、いや8割くらいが気分が悪くなる棚だった。あいつに晒されたことを永遠に世間に刻むような名前は悲しくなる。
一番信じていた彼がこんな棚を作っていることに裏切られた気持ちでいっぱいだった。
俺が傷つくものを、あんなに、ひとまとめで並べてあるなんて……
俺のトラウマをフィクションに混ぜたとはいえ、あんな風に知られていることが残酷でたまらなくて。
それから、木瀬野さんといたとき。
百貨店のそばを通ったらドラマの『ポスター』が沢山はってあった。俺の体験をもとにした、あの小説のポスターや、その作品に影響を受けたっていう違う映画のポスターが並んでいる。 木瀬野さんが渡してくれたハンカチで、俺は腕をぐるぐる巻かれた。
「……木瀬野、さん?」
なんだろう、どこかで、どこかでその名前を聞いた気がする。身体が『思い出したくない』と言っているようだった。
もしかしてブックマークに居た人だろうかと無意識に携帯をいじる。
指が当たって投稿アプリを開いてしまった。
TOPにある運営からのお知らせが更新されていた。
『いくらかの端末で見られない不具合が起きています』
なにか引っ掛かる気がした。
でもそれだけで何か言えるわけじゃなかった。
そんな感じでその日の一日は大半終わった。スケッチブックを開いたり、音楽を聴いたりして、一日の終わりに書いていたブログを書かなかった。
次の日も書かなかった。
どことない罪悪感のようなものがまとわりつくのが、更に心を重くする。
なんだか、怠い……
なんで一日書かないだけで、怠いんだろう。
でも、更新のボタンを押す気力がわかない。
進もうとすると身体が、ぺたりと床に座り込んでしまって、意識はぼんやりしていた。
その日の運営のお知らせは、「Twitter連携が壊れた」
だった。検索が急に出来なくなったらしい。
「もう! 放っておいてくれ!」
誰にともなく口に出す。
声は掠れていた。
まるで、自分が管理されているみたいだ。
朝8時。
窓の外は雨で、朝から布団の上に座り込んだまま画面を見ていた。身体が重い。
母も出掛けたし部屋に誰も居ないのもあって、こんなだらしないことをしてても特に咎められはしなかった。
「雨ですよ」
なっちゃんにメールを連投する。
「つまらない」
「暇です」
「おはようございます」
「昨日いつのまにか切ってた」
こんなことをしてももやもやは収まらず、携帯を放って布団に仰向けになる。
少しして返信が来た。
「どうしたw」
返信しなかった。
外では、子どもが騒いでいる声。雨ではあるが、お散歩だろうか。父親かおじさんか知らないが、男性と二人の声がした。
キャッチボールが出来ないことを嘆いていた。
そういえば冷たいタイプの俺にキャッチボールだの言う意味がわからん奴が居たっけ……
そのときの俺は無視して携帯で空の写真を撮っていた。
謎のハエみたいなのとよく上空で会うし、写真にうつるときがあるので(どうせヘリかなんかだが)それに会うのが日課みたいなもんだった。
謎の飛行物。
「楽しかったね、買い物デート」
「俺、きみみたいなのと付き合えて、ラッキーっていうか」
「あれ。あいつ、太田って、言ってなかったか?」
……名前が、変わっているのか?
珍しくはない。
親の離婚か結婚、本人の希望、犯罪者や被害者どちらかの保護。カンベであり、太田である可能性もあるんだろうか。
「うーん……」
再び携帯を開くと、またメールが入っていた。
「なあ、お前の母さん、元気か?」
なんで、なっちゃんが俺の母さんを気にかけるんだか。
不思議な内容だ。
「元気」
少し不審に思いながらも返信する。もう登校の時間だ、いや、着いてるのか。授業は大丈夫かなんて思いつつも、怒られるのはこちらではない。
「確か、今――歳くらいだよな?」
彼がなんで、母さんの歳なんか気にするんだろう、これはデジャヴというのか。
「母さんに走るのだけはやめてくれよ」
「いや、聞いただけで、そういうわけじゃないんだけど」
なんだかすっきりしない返事が来た。気持ちが、悪い。
気持ちが悪い。
違和感が拭えなかった。
――――さんのときだってそうだ。
誰に会っても、誰と話したって『そう』だ。
「なっちゃん、小説とか読む?」
まったく関係ない風に、極めて冷静に、違う話題を、返す。
「あぁ好きだけど」
そうして、やりとり。
「カンベなんとかとかさ、 マイとかそういう作者知ってるよね、棚に並べてたよね、俺見てたから知ってる」
「なに、どういうこと」
聞きたいのは、こっちだと思った。
母さんを、どうする気なのだろう。
頭を過ぎるのは、今までろくに関わりなかったバカ姉が、あれから急にカンベに呼び出されるようになりあちこち出没しだして、そして彼と付き合いだしたこと。
母さんも少し様子がおかしい気がするときがある。
今までの流れがあったうえで、なっちゃんがわざわざ、母さんの様子を聞き出すなんて、タイミングが出来すぎていて、
単なる気まぐれとは思えなかった。
周りが変わっていく。
なんのために?
バカ姉のときは、無理矢理血縁関係を持とうとしてのことだった。
母もだろうか?
まさか、母には、父が居る。
待てよ、俺とカンベを混同する人が居ることを思い出すと、あのSNSを、俺だと思っている人も居るだろう。
「――まさか、『探り』?」
俺に成り済ますためか、カンベを動かすためか。どちらにしろ、身辺を探ってネタにしようというのはあり得なくない。
考えていたら下の階で、ガコッと鈍い音が聞こえたので、手紙でもポストに入ってるなと、外に向かった。
手紙でなく新聞だった。
そこの一面に、長年作家をしており今はすっかり『母さんと同じくらいの年齢』になっている人が載っていた。
母さんにどことなく似ている。
今度その人の新刊が発売されるらしい。
なんとなく、勘だけれど、また誰かが似たようなことをしているんじゃないかと思った。俺の代わりに何らかの形で母さんを取り込む気じゃないだろうか。カンベがバカ姉に執着して、俺との関係に失敗したように、次は……
返信をやめて携帯のモードを切り替えて、さっき見た作家を検索する。
賞関連のサイトがあってプロフィールの下に、俺の書いたのと似たような内容をモチーフにした本が、新刊として堂々と宣伝されていた。
主に若者のいるアプリやサイトばかり見ていたけれど、年配者からも目をつけられているのか。
「これ、いつ終わるのかな」
覚悟して書き始めたものだ。
今度こそ奪われないように、と誰かに見えるように続けたりした。それなのにそれすらも関係なく奪っていくのか。
戦おうと思ったのに、あの地獄の街から、抜け出すために。
精神的虐待を商売と履き違える人たちから、逃げ出すために。
安心して、外を歩けるように
「ただいまー」
なりたかった。