ノート
《《<-》》


 ぼーっと過ごして、気付いたら1ヶ月は経っていたみたいだ。
 デトックスというか、意外と、他のことをすれば苦にならないからカレンダーをめくるまでわからなかった。
 今まで携帯が無いことがあんなに不安だったのに、携帯が壊れて『俺はもう頑張らなくて良いんだ』と思ったら、なんだか急に力が抜けて、ホッとしていたくらいだ。
 ただ、テレビやネットをほとんど見ていないから、今なにが起きているのかわからない。
だれにも、連絡をとっていない。
バカ姉がどうなったのかも知らない。

……けれど、これから河辺が牛耳るようになるとしても、俺はどうやって生きていけば良いのだろう。
 河辺だけでもしつこいのに、直さんが諦めるとも思えない。また来たらどうしよう。
 昔亡くなった誰かだって、俺だって、そうやって閉じ込めて外に出られない方が不幸だと思う。
 あの彼の言うとおり、どうして、今度こそ自由に羽ばたかせてやりたいとか思えないんだ。
 俺が生まれ変わりだったなら、そう言ってやりたい。
閉じ込められてて幸せなわけがない。そんなの人殺しと一緒だ。

 とにかく、連絡するとこなんかないのだが……携帯が無いと仕事も探せないんじゃなかったかとふと頭に過る。携帯難民、とかの言葉もあり履歴書とかにも連絡先が必要なわけだけど……
まあ、そのときに考えるか。


 そんな感じに1ヶ月経った『その日』も朝から昼までベッドに座ったまま、ぼーっと考えていた。
 嫌なことから逃れてしばらく休んで居るうちに記憶が懐かしいものを求めたのだろう。
 ふと、引き出しにいれたままだった育成ゲームのことを思い出した。


 居てもたってもいられずに起き上がり、机に向かう。
「そうだ、結局、あれから、世話止めてたな」
同じく、ずっと抜いて引き出しに入れていたCR2032を出してきて、セットしてみると、液晶の中のそいつは、途端に昔と変わらずコミカルな動きで動き始める。
 なぜだか妙に愛しい。
ずっと前は、あんなに構っていたのに、すっかり忘れていたのか。

 ここ1ヶ月。
なんとなく、機械は触りたくなかった。
携帯が壊れたこととか、いろいろと思い出してしまうから。でも今この玩具を何気なく触れたとき、ふと、テレビも付けられるような気がした。
 スイッチを入れるのは今や勇気が必要なことになっている。
芸能人が笑いながら、中身はかなり酷い内容を言わされているのを見るのは苦痛だったし、母さんが「お化けのノート(笑)」なんてテレビの話題を楽しく話すのも苦痛だったから。
 その後すぐに育成ゲームを持ったまま、そっとテレビのある部屋に歩いて行った。リモコンのボタンを押してみる。平和なバラエティを想像していたが、ちょうど何かの報道が流れていた。

「キセノンこと大人気少年漫画家、木瀬野蘭汰さんが、特定指定暴力団御砂糖組の組長らと飲み会をしていた写真が流出して大きな話題になっています。」

え……
思わず、固まってしまう。今なんて?

 画面に、彼が描いていた人気漫画らしき絵が大きく映る。続いて、いつのものなのか、記者が木瀬野さんにインタビューしている映像に切り替わった。

「暴力団に直々に依頼されて漫画を描いていたということですよね?」

「……そう、です、ね……そういう依頼、みたいなの、僕らにも……来る人は、……来るというか……」

 要領を得ないことをぼそぼそと話している木瀬野さん。顔は映って居ないが、あの雰囲気は確かにあのときに会った人だと思った。なにか……忘れて、いたような。
「あ────」
唐突に、何かの断片がフラッシュバックした。確か、河辺に俺の話をもらって、それで、描いていたとかなんとかって。
「あ……あぁ」
そうだ。そのときの人だ!

 テレビではキャスターたちが真面目な顔で、問題を解説し始めた。
「この件の問題点は、まず反社会的勢力の資金源になって居たということです。
アンケートなどの信憑性にも関わりますよねぇ……」
「恐喝、では無いですけど、気に入らない作家への圧力なども怪しまれています」
「どこでも居ますよね、ドン」
「しーっ! しーっ!田中さん!」
「明るみになる読者アンケートの組織票問題の────」

まさか、彼が……そんな……
頭のなかがごちゃごちゃする。
 でも、少なくとも、あの河辺から仕事をもらっていた、となると、反社会的なものと無関係という方が変だ。
やくざ。893。
 俺を睨んでいたように見えたのは、繋がりがバレたからだったのかもしれない。
「サトウって……なんかで聞いたような」
考えてみるが、すぐに浮かばない。
「えっと……どうしよう」
テレビの前で固まってしまう。
報道は、木瀬野さんが違法ポルノを所持している話に移り始めた。

話題がありすぎる……
 近くで話す分には、何処にでも居そうな人だったのに、更に特殊な趣味があったなんて。人は見かけによらないが、なんだか、見る目は変わりそうだ。

ピコッ、と音がして手元を見る。
「おなか、すいたな」
育成中のキャラクターが空腹を訴える。
時刻は昼を過ぎていた。そうだな……
「俺も何か食べよう」

これからずっと、
これから、
わからないけれど、とりあえず今日は、ゆっくり休もう。




 夕方、帰宅した母さんが、玄関で紙袋を差し出した。
「はい。大事に使いなさいよ」

「おかえり……って、これ」

紙袋は携帯メーカーのもので、どうやら買いに行ってくれたらしい。

「あんた壊したでしょう。連絡出来ないと不便だから。何のために携帯させたと思ってるのよ」

「ありがとう……」




 部屋に戻るとさっそく箱を開ける。
恐る恐る電源を入れると、ちゃんと点いた。たったそれだけなのに、ひどく安心する。
「わ、メールが300件!?」
初めて見た。
最新の方にあった気になるところから開いていると、中に知らないアドレスのものがあった。内容は振り込め詐欺だった。


Hello!

Î am a hacker who haș acceșș to your operatîng șyștem.
Î alșo have full acceșș to your account.

Thîș meanș that î have full acceșș to your devîce: At the tîme of hackîng your account (
You can șay: thîș îș my, but old pașșword!
Or: î can change my pașșword at any tîme!

Of courșe! You wîll be rîght,
but the fact îș that when you change the pașșword, my malîcîouș code every tîme șaved a new one!

Î've been watchîng you for a few monthș now.
The fact îș that you were înfected wîth malware through an adult șîte that you vîșîted.

îf you are not famîlîar wîth thîș, î wîll explaîn.
Trojan Vîruș gîveș me full acceșș and control over a computer or other devîce.
Thîș meanș that î can șee everythîng on your șcreen, turn on the camera and mîcrophone, but you do not know about ît.

Î alșo have acceșș to all your contactș and all your correșpondence.
Why your antîvîruș dîd not detect malware?
Anșwer: My malware ușeș the drîver, î update îtș șîgnatureș every 4 hourș șo that your antîvîruș îș șîlent.

Î made a vîdeo șhowîng how you mașturbate on the left half of the șcreen, and în the rîght half you șee the vîdeo that you watched. Wîth one clîck of the moușe,
Î can șend thîș vîdeo to all your emaîlș and contactș on șocîal networkș. î can alșo poșt acceșș to all your e-maîl correșpondence and meșșengerș that you ușe.

Îf you want to prevent thîș, tranșfer the amount of $950 to my bîtcoîn addreșș (îf you do not know how to do thîș, wrîte to Google: 'Buy BTC').

My bîtcoîn addreșș (BTC Wallet) îș: 1DMXRoTxx7KLW7dY8BvxQ5qEshR4LnnAzs

After receîvîng the payment, î wîll delete the vîdeo and you wîll never hear me agaîn.
Î gîve you 48 hourș to pay.
Î have a notîce readîng thîș letter, and the tîmer wîll work when you șee thîș letter.
Fîlîng a complaînt șomewhere doeș not make șenșe becaușe thîș emaîl cannot be tracked lîke my bîtcoîn addreșș.
Î do not make any mîștakeș.

Îf î fînd that you have șhared thîș meșșage wîth șomeone elșe, the vîdeo wîll be îmmedîately dîștrîbuted.

Beșt regardș!



 メールについての真相はともかく、
携帯が変わるとすぐ電源が切断されることはなくなって、それにまず驚いた。
 やっぱり前の携帯はウイルス感染とかだったのかもしれない。

Wifiからネットに繋いでみる。
きっと前よりもっと河辺が牛耳る世界。
怖い……それでも、せめて、貴重な読者だけでも……そう思って緊張をごまかす為に馴染んだサイトをいくつか検索してから、
 投稿サイトを起動してみた。
前のアプリとは互換性?が違うらしくてログインしなおした後、サイトが表示された。
 そこで、俺は目を疑った。
荒れていない……
フォロワーが増えている。
 そして掲示板のコミュニティが新たに、
「キセノン逮捕」で賑わっている。
覗いてみると、「変態漫画家」「盗作疑惑もあった」「本性表したな」など散々に書かれていた。居なかったのでよく知らないが、河辺もなにやら炎上していたらしい。
所々に例のアカウントの伝言板やコミュニティに釈明を繰り返した痕跡が残されていた。これは……?
 呆然としていたらアカウント内にメールが届く。たぶん、綺羅からだった。


「見てる!? 元気かな?
色ちゃんに聞いたらまだ大丈夫って、言ってたから。見たら連絡してね。
 携帯壊したんだってね。
河辺が実は依存して携帯繋げてたから、河辺のもクラッシュしたらしいよ。ウケる」

……いろいろ、言いたい、聞きたくはあるが、綺羅が待っていてくれたことに少し感動した。とりあえずあの電源が切られまくっていた間、実は俺の携帯が河辺のと繋げられていたというのか。よくわかんないけど。

「それで、急に落ちたから、発狂してPCから大暴れしてたから炎上(o≧▽゜)o」

 うわぁ……俺が携帯を強制的に破壊したから、河辺の嘘を立証してしまった。ちょっと見たかったな。フォロワーが増えていたのもそういうことだったのか。

「まぁ、河辺が炎上してもそれだけじゃ、河辺が炎上しました、でおしまいだから、本番はこれからだよ。 ようやくスタートラインに立ったって、ことよね。反社問題もあるし、調査員が増えそうよ」

 ようやく。
今まで聞いて貰えなかった話が、ようやく信憑性を持って伝わり始めた。
 体感としては遅いような気もするが、せっかく切っ掛けが生まれ出したなら活用した方が良い。ストーカーとして河辺を捕まえるくらいなら出来るかもしれない。
 変化はそれだけではなかった。

 アプリを閉じて、300件の溢れるメールを分ける作業を再開していった所、どうやら今までこっそり送って居た原稿が選考を通過していたことを知らせるものがあった。
 正直、河辺に潰されて通らないだろうなと半ば諦め気味に送ったものだったが、さすがに直接的に手出しは出来なかったらしい。

「──俺の足跡、残って、良かった」

歓喜とかよりも、ただ、無事で良かったという、そういう想いだった。河辺が売り払った物ではない、純粋な自分の想いが残る。使い古して売られたノートではない、新品のノートが存在することが出来た。
受賞とかよりもただ、誰かがそれを見届けるために関わってくれたという事実が残ったことが大きかった。

 俺は河辺とは違う。その事実があれば、充分だ。
「このまま残るかはわからない、けれど、河辺じゃなくて、俺が出した結果なんだ」

ぎゅっ、と携帯を抱き締める。

そう、俺は、此処に居る。
 だからこそ、誰かの真似じゃない、自分を描く。誰かが売り飛ばしたものに不安にならなくて済むから。
 俺が目立てば河辺の嘘、も暴かれてしまうだろう。けれど、もう遅いのだ。



 しばらくメールをさばいていると、なっちゃんのメールが50件くらいあった。
「おーい! 返事しろー!」
と書かれた最近の方のメールに返信する。
「ごめん携帯壊れてた💦 新しくなったよ」

すぐに返信が来た。

「おおお!生きてた! 良かった、なんか思い詰めてたみたいだったから……」

少し、考えてから返信、ではなく、電話をかける。もう外はすっかり真夜中だ。
まだ夕飯を食べていないけれど、久々になっちゃんに連絡するのがちょっと嬉しかった。

「あっ、ねぇ、なっちゃんの部屋に、河辺の本ばっかりあったけど、ファンなの?」

もしもし、もそこそこに俺はいきなり切り出した。

「え? あー……もしもし」

「もしもーし。オレオレ」
やっぱりもしもし言うことになった。
「詐欺か」
なっちゃんはちょっと眠たそうだ。
「ねぇ、なっちゃんは河辺の……」

「良かった生きてた」

「ねぇ、って!」
「……え、今、重要? それ」

「うん。なっちゃんが河辺のファンかどうかで命運が分かれる事案があります」

「なんだそれ!?」

なっちゃん、はちょっと恥ずかしそうに何度か言い淀んだがやがて口にした。
「いや……あの本さ、ずっとお前みたいだなと、思ってて……主人公が」

でしょうね。

「現実だと中々……秋弥と、付き合えないからさ、たまにアレで抜」

「うわああああもうわかった!」

……。
勢いで電話を切ってしまった。
勢いで恥ずかしくなってきた。
何を言って居るんだ。
再び、今度は向こうから電話がかかってくる。
「はい」
「お前の事情を聞いてない」

「だから……あれは俺の……ノートなの。河辺がストーカーしてて、ノートをもとにして書いた小説がヒットしたから、実質俺だけど俺じゃない、んだ」

「は? え? 待って、なにそれ」

「──とにかく、また後で話すから……河辺の小説なんかより、俺を見てよ」

「そっか。わかった」

「じゃあ、おやすみ!」
恥ずかしさと変な焦りで、半ばキレ気味に通話を切る。どきどき、心臓がうるさかった。


2021/10/9/18:13
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