ノート
泥棒
河辺side

 あいつの家が仕事と学校に行ったのを見て、また秋弥の家まで来てしまった。
平均的な外出時間も把握しているし、もう習慣になっているもんだから仕方がない。

事実を言えばもっと傷つくからと言わないでいるが、ずっと昔から俺はあいつの家を物色したり悪い噂を流したりしてる。
そう『父親』と仲がいいから。
ごめん、嫌いな訳じゃないが愛していたって秘密はあるのだ。

あいつのノートに目をつけてからまた、新しいノートはないかと探したが今回は見つからなかった。落胆していると、車が停まる音が急に聞こえた。


「嘘だろ大家さん、この時間ならいないからって言ったのに!」


慌てて撤収するため立ち上がる。

窓際にあったカメラは、既にカードを引き抜いて携帯から繋いだノートパソコンで中身を上書きしたし、ぬかりはないが……

ここに俺が居たらさすがに現行犯だ。
慌てて立ち上がると、電話して近くまで来てくれた悪友の巣旗みなみに手伝ってもらって、ベランダ伝いに外に出た。
どうしてもというときは近くにあるタオルなんかでカメラを塞いで暗くして立ち去っているんだが、今回はそこまでじゃない。

「おつかれ」

「おつー」

挨拶を交わし合う。

「全くもう、ベランダが隣だったからって……」

彼女はベランダの仕切りになっていた薄い壁の部分を移動しなおしながら、やってきた河辺を迎え入れた。

「でももうこれからは、私も手伝わない。今度からは完全に出掛けたときしか入れないわよ?」



それから数日後に、巣旗は引っ越してしまった。理由は「噂が広まらないうちに逃げたいじゃない!」とのこと。

「よく言うよ。部屋にあったレースのクロスを欲しがってたから横から渡してやったのに」

口止め料だけもらって逃げやがったか。
まぁいい。あいつもあいつの家族もいない日があるはずだ。






(秋弥)


「サトーさんの言葉は、聞かないで」
電話をかけて、まず言われたのがその言葉だった。俺はなんのことかわからずにぽかんとしていた。

心配されるだろうか、挨拶しなきゃとあれこれ頭を悩ませてた俺にたいして、木瀬野さんはなにかに慌てたように一方的に話し始めていた。

「ごめんね、急に。
クラスに、サトウって子いるんじゃないかな……」
 びっくりはしたが緊迫した空気を出すときに、彼がなんの話題をするか俺は覚えている。

「やくざの話、ですか?」
俺はよく知らない。
社会のルールも、危ないことも、フィクションみたいに、周りよりもあまり触れていないと思う。
「聞かないって何をですか」
木瀬野さんに聞きたいことが沢山あったのに、全部後回しになったと思いつつも、気になりはした。クラスには居た気がしないから、もしかしたら学校の生徒の誰かなのかもしれない。

「サトウさん、きみのお父さんのことが大好きなんだよ」

生まれたときから全く会ったり話したこともない父親の話をされてもピンと来ない。

「ピンと来ませんが、なぜ知ってるんですか」

いろんな不安で頭が混乱していた。胸が痛い。
声を出してないと泣きそうになる。

なんでいきなりそんな話をするんだよ。

おはようを言いたいのに。


「図書館に居たときにね、たまたますれ違った子がいたんだけど

黒っぽい服の男の子と一緒に、楽しそうに話しててね」

 つまりきみのこと嫌いみたいで……お父さんを批難するみたいだ、って腹を立ててる。と、教えてくれた。
信じてもいいのだろうかと迷ったけれど、そういや図書館に二人で行った日も俺とカンベを間違えるやつがいたなと思うと、用心くらいしておこうと思う。
まぁなにか関わって来ないなら害はない、はずだから。それから、結局たいしたことも聞けないまま、登校する時間になってしまって学校にいった。

 学校にいる間は携帯にイヤホンを繋いで音楽を聞いている。
引き出しに隠しながら。
 たまに、近くの席のやつがちらっとこっちを見たりしたけど何も言われなかった。
まぁ、窓の外からは、丸見えなんだろうけど。

なんだか、どうでもいいようなよくないような……へんな気分だ。

でも、外に出ている間ずっと耳を楽しい曲でふさいでおけば、何を言われてようと気にならないことに俺は気がついたのだ。
もしなにかあっても、これでごまかしながら過ごしていけば、だんだんイヤホンもいらなくなって立ち直れるかもしれない。
わずかな希望が見えている。
俺にはそういうところがあって、もしずっと部屋に居ろと言われてもいつかだんだん飽きてくる。
ずっと悲しみ続けたりしないかもしれない。
少なくとも、仮想の中には誰もいないのだから。
この方法は正解だった。
俺はいろんなことがあってもどうにかこれで放課後まで持ちこたえた。
明日もこうやって、現実から少し目をそらしつつ、慣れていけばいいと安心した。


1週間くらい、それは続いた。

苦しいときもとりあえず音楽を流しておいた。
嫌な気分からもシャットダウンすることができる。
パソコンが苦手だからプレーヤーは持ってないけれど、聴くくらい携帯からも出来るのだ。
 聴いてるとなぜか一度自分のなかにとじ込もって、そこから、また新しく始められるような気がしてくる。

そういえば自閉症かなにかの子どもの音楽療法があった気がする……
数日後の朝、その日は久しぶりにいい天気だった。
 まだHRまで早いからずっと適当にクラシックとかをかけていたら、
ガタイの良さそうな、顔だけは幼い感じの男が、俺の机までやってきた。
「何聴いてるのー?」

お前に関係ないだろ、とボリュームを少しあげて目を閉じて寝たふりをした。
 知らないやつだったから隣のクラスとかだろうか。どうでもいいか。

「なあってば!」

ぶちっ、とイヤホンをコードごと耳から引き抜かれた。音声はすぐオフにしておいたけれど、耳に残る衝撃も、いきなり遮断される世界も不安になるだけでしかない。

「そんなもん聴いてないで俺と話せよ」

前情報がないけど、これが、サトウだろうか。なんの用だろう。

「なんで邪魔すんだよ」

怖いとか不安だとか、見たくない現実が、一気に目の前に押し寄せてくる。
 悩みがあっても考えないようにするのが苦手な俺が、唯一、希望を見いだせた行為が理不尽に中断されるとどうしても腹はたつ。

「お前、カンベだろ。うちのクラスで、流行ってんだけどさ」

「違げーよ。そんな有名人なわけないだろ」

大体なんで、あれがそれほどまでの話題になるんだ。それが一番不可解だ。
あれってのは、俺のノートを羅列した部分。
「俺には、お前と話すことないけど」

仕方なく携帯を仕舞い、素直に言うと、そいつはなんだよ、という焦ったような顔をした。
なんだよ、はこっちだ。
1限も、そのあとの休み時間もずっと適当な曲を聴いていた。
同じ毎日なのに、聴いてる間は苦しいと感じる現実が嘘みたいに、やわらぐ気がする。

ブチッ。

またあの衝撃がきて、耳からイヤホンが引き抜かれ、曲が強制中断させられた。

「また来ましたよー!」

「来るな。永遠に来るな」

携帯が使えない……
いや、使えないという言い方はデマになるか。
だけど、ここじゃ思ったように使えないな。

「なぁなぁお前、父親を裏切ったんだろ? 家族がアルコール依存してるんだろ」

「じゃあうちの親のこと知ってる?」

「知らん」

呆れた。
まさかこいつ、カンベの斜め過ぎる脚色をつけた内容、鵜呑みにしてるんじゃないだろうな。

「はぁ。……んなら、適当なことを言うなよ」

それだけ言うと、急ぎ足で教室から抜け出す。なっちゃんは、HRと1限には居たのに、今はいなかったから探すのもいいと思った。職員室のそばを通りすぎてグラウンドに向かおうとしてたら、気になる声がした。

テレビをつけてるらしい。
 ニュースかなにかの音が流れている。

内容は、彼女のスマホを、彼氏がアプリで監視していたというものだった。条件があれば他人にも携帯を操作できるらしい。

ふーん……
怖いこともあるものだ。と俺はまとめてから外へと走った。
あまり誰もいない廊下は適度にざわめいていて落ち着く。

少しして、見知った背中を見つけた。

「なっちゃん!」

背中にとびつこうとした。
でもゾクリと背筋が粟立ったのがわかる。

クラスに、俺のノートの内容をばらまかれてるんだから。
なっちゃんはあんなに、関連する本を本棚に並べてるんだから。朝会ったやつのことがぐるぐると頭の中に沸き上がる。

あぁ、だめだ。
なんか曲でも聴こう。
いい感じにうるさいやつを……

携帯に繋いだままのイヤホンをポケットから取り出す。つかない。
いつまでもなにも流れない。

おかしいなと、画面を確認したが電源が切れている。
電池切れだろうか?
まだ買ったばかりなのに早くも不良品をつかまされたなんてことは……

いや、電池が長持ちするのが売りな機種でそんなまさか。

電源を入れ直すと、なぜか0パーセントになっていた。
さすがにその減りかたを今までしたことがない。育成ゲームも昨日電池が切れてしまっていたからもってない。

音楽も聴けなくなってしまった。

俺は人同士の対話のみで……

地獄だけを味わいながら、誰かに焼き付いてる記憶を恐れて、一人一人の他人に確認することに怯えながら今日から過ごさなきゃならないんだろうか。

このまま、なおらなかったら……


町中に溢れたポスターや、他人の会話をやり過ごすことも出来ないから、買いにいく気もしないまま逃避さえできないで、生きていくんだろうか。
こんな心理状態でも、あらゆるものを直視したまま歩いていけるだろうか?
 腕を切る回数を減らして最近のを除いたら傷が見違えるくらいにはきれいになっていたのに、また他の発散方法が無くなった気がしてパニックになった。


過去に触れるようなものを、無意識に探していた。

それには『今』が入って来ないからだ。
過去に流行った本の扱いは、今ではまるで、誰かの目につかないように隠された貯蔵食料みたいに眠っている。
それでも、本物が一番だと俺は思っている。

『その前』では、やはり霞んでしまうような気がするから。


 小さい頃に少しだけ触ったピアノのことを思い出した。
それから……

携帯を構えなくなり、俺はそっと目を閉じて机に突っ伏す、のも耐えきれず4限の休み時間は、弁当を片手に教室を抜けた。

廊下を歩く途中で、トイレから帰ったらしいなっちゃんと出会った。

「なっちゃん、おはよう」
一応は、挨拶をする。
なにか言いかけて、携帯が着信で光っていたので慌てて開いたら、母からメールがぎっしり来ていた。

あんたのせい

あんたのせい

あんたのせい

あんたのせいだ

あんたのせいだ

あんたのせいだ

あんたのせいだ

あんたのせいだ

「……」

「どうかした?」

俺は、なんでもないと返す。母も姉もなにかあると俺のせいにしてしまう。こんなに全部うまくいかないなら、生まれてすぐくらいに誰か殺してくれたらよかったのに。

 母はヒステリーになってからは友人がいない。だからジェネレーションギャップでいまいち共感が大変な愚痴を子どもに聞かせる。
全力で聞くのはたまに疲れ、重たくなったりする。同年代の友達を作るか、ストレス発散出来る趣味を作るかしたらいいのに。
姉が家から抜けて、友達や河辺と遊ぶことにこだわるようになったのもそれが理由のひとつでもある気がした。

 母さんの『友達』を押し付けてしまう気なのかもしれない。
俺が居なくなったら誰もいなくなることを知っているから。

そう。
俺は『居なくなる』

バカ姉が余計なことを話さなかったら良かったのにと思ってしまうのは、それもある。
何が解決できるわけでもない相手に余計な負担だけ増やして、重荷にさせてしまっても意味はない。

「なっちゃん」

なっちゃんに抱きついて、俺は言う。

「なっちゃんは……」

何を言いたかっただろう。なにか言いたかった。
俺を裏切らないよねとかあの本棚は、じゃあ何なのか、とか。
河辺の仲間の、『本』の方が俺のノートよりもずっと大事なんだろう。
本当の事を知ればきっと俺を嫌う側に回るはずだとか。

そもそも、信じるわけがない。

だって誰にもそんな暗い話は、わざわざ話したことがないからだ。
聞いたことないからあいつじゃないなと思うのは何ら不思議じゃない。
いろいろと考えて、言えたのはひとつだけ。

「今日、お昼なににした?」
しばらく飯の話をしたあとで、少しだけ構ってやった。
なっちゃんが敏感な、胸にある二つの首を刺激するようにして抱きつくと白いシャツで擦れたのかあっ、と小さな声がしていたのを無視して身体をすり寄せた。

「やばい」

「何が」

「ハグなのに、んっ……」
「なっちゃん、なに一人で喘いでんの」

揺するフリをしながら小さく曲げた腕の隙間でそこを挟んだら、俺の肩に顔を埋めた。

「こ、の!」

耳まで真っ赤になって耐えている。
俺は、なんだか変な気持ちでそれを眺めている。
もしも、いつか彼が俺を裏切るとして。

このまま俺を愛させて、はまらせておけば、心の葛藤をさせるくらいまでなるのかもしれない。
痛みを刻めるかもしれない。





喜ぶべきシチュエーションだったのにそのときの俺は、驚くくらい何も、感じなくて。
悲しくなった。


今、幸せなんだろうか。

なっちゃんとももっと関われて木瀬野さんも、優しくて。
なのに満たされない。

何か、確かめればいい。けれど確かめてしまったらそれはそれで、俺は終わってしまうと思えて、誰にも、何も、言う気にはならない。

木瀬野さんがひどいはずがないと信じていたって「いつでもネタにできる立場」かもしれないことは変わらなくて……

首輪で繋がれた犬のような気持ちになる。
生殺は、彼が世間に向ける言葉が決めるかのような。

そう、河辺と、変わらない。




 昼休み、ベランダでおにぎりを食べていた俺たち。なっちゃんが、パンを買い足しに行った間に、俺は木瀬野さんからの携帯の履歴を全て消した。一応、連絡先を書いた紙だけは鞄の奥底にいれた。
だけど、もう使わないかもしれない。
 少しして戻ってきたなっちゃんに手を振りながら俺はただ、考えている。
幸せが、わからなくなった。それは出来事のせいじゃなく俺のなかの嬉しいとか悲しいとかがなくなったからわからない。何も感じない。全部、作り物みたいで。俺はおとぎ話の住人なのだろうかと、バカらしいことを考える。

なっちゃんも、触れたら溶けていくのかもしれない。

何が正しく誰が正しくて、俺は誰で俺はなにを思っていて、いったいどうしたらいいのか、何が俺の生き甲斐なのか、俺が生きてる意味は?

というか、俺は、本当にまだ生きてるんだろうか……

もしかしたら冥界かに何かにいるかもしれないじゃないか。
違うとは言い切れない。
「来るな! 来るなー!」
俺は叫んだ。近くにあったスリッパを手にして振り回す。
なっちゃんがどこにいるのかわからない。

教室にいた鵜潮が俺たちを見ていた。
相撲部にいるだけあっていいガタイをしている彼が、のんびりした足取りで「けんかはだめだよー」と言いに来る。

喧嘩などしてない。
なっちゃんは、居ないんだから。
俺は、居ないんだから。

俺の手が、なにかに引っ張られてベランダから教室に戻っていく。

身体が廊下に向かっていく。

なにこれ、新手のアトラクション?
なんか身体が勝手に歩くんだけど。
わー、おもしれぇ。

「アッハハハハ、ハハハハ!!」

ゲタゲタと笑いながら、スリッパでそこら中を叩くうちに、教室から出ていく。

ざわり、と何か空気が変わった気がした。
どうでもいいや。

もしかすると、幻覚と関わりを持っているだけかも。

なっちゃんなんていない。
誰もいないかもしれない。
「アハハハハ! アハハハハ!」

何がかわからないが、おかしい。
笑えて仕方なくて、なんでこんなに笑えるんだろうと不思議でしょうがない。

「おい       っ」

誰かが何か言う気がする。けどなにも伝わらない。理解できない。

「アハハハハハハ! ハハハハ!」

ガツン、と腕があたり、廊下の小さな窓の部分のガラスが飛び散った。
肘から血がだらだらと流れていく。

あー、弁償かなぁ!
バイトかなにかしよう。
どこかで冷静に感じつつも、腕が痛みを感じない。

すぐに先生がやってきた。隣のクラスのやさしそーな女の先生。
俺らの間でも密かな人気があったりする人だ。

「なにをしてるんですか。あぁ! 大丈夫!?」

小さな顔が驚きに満ち、まんまるの目が見開かれる。膝丈のスカートから長い足が見えている。
遠くから歩いて来ても目だった。

「秋弥くん、何があったの」

なっちゃんと、俺に、努めて冷静に質問してる先生を見ながら、俺は「いくらですか?」と聞いた。
それから何日経っても、家に請求書は来なかった。知らないうちに来てたのだろうか。

母さんに聞いても、気にしなくていいよというだけ。
俺は、破片が腕に刺さってないか入念に調べられてから返された。

もっと理由を聞けばいいのに。
もっと、俺を責めたらいいのに。
誰か、刺してくれれば、こんな思いをせずにすんだのに。


ストレスでおかしくなったんで、もう無理です、って学校やめてきてもいいくらいだったから、もしかしてチャンスかと思ったのに。

どうして、俺を、生かしも殺しもしないんだ。


「嫌だぁー!
こんな状態で生きたくない! こんな、こんな状態で、なんで生きなきゃならないんだ、なんで、はやく決行すればいいだろ! 俺はなんでまだ生きてるんだ! 死ねよ!死ね! 死ねー!」
ちょうど、つけられていたテレビの向こうで、タレントの女の人が「死ね!」と言っていた。
あれは、俺に向けた言葉だ。
やっぱり死ぬべき。
芸能人にまで言われるくらいだ。

今まであんなことを言われた人はそんなに、いないだろう。

俺は、画面の向こうから直々に指定されたんだ。
自殺者としても、そういない、格が違うと自慢できるかもしれない。

誰も止められやしない。


しばらく洗濯をしていた母さんが、ふとこちらに気がついて俺を見た。

「どうしたの」


 俺はなにも言わずに二階に戻ってから、ノートの破ったページに、手紙を書いた。
母さんへ、バカ姉は飛ばして……なっちゃんへ、それから、木瀬野さんへ。

ピンポン、と音がして下に降りると玄関の前に人が居た。
なっちゃんかなと思ったのに、なぜか鵜潮だった。

俺は何も言わず戸を開けた。
鵜潮は「ちょっと上がらせてね」といい、のしのしと俺の部屋に向かおうとする。
「待てよ、なに、なにしに来たんだ?」


「いや、保育園以来だよな、遊ぶのー」


今は放課後で、時間はまだ16時くらいだったから、遊ぶには余裕があったけれど、そんな約束はしてない。

鵜潮はなぜか、手にスマホを持っていて、それをあちこちに向けて居た。
「ポケモンが居る気がするー」

スマホを向けてる人に、もし盗撮者が居ても、これじゃあばれにくいだろうなという気分になる。

鵜潮は、ひとしきり部屋を荒らしてから、またのしのしと足を踏み鳴らして帰ろうとする。
帰り際に、強い口調になって彼は言った。

「きみって、掃除ひとつ出来ないんだね。部屋の隅にほこりはあるし、机も少し汚いし、靴下が脱いだままだし。

なんでなっちゃんと付き合ってるの」

姑かお前は。
いきなり上がり込んで部屋を見回って言われても、俺は毎日毎日隅々まで片付けられる余裕はねぇよ。

というか。

「なんで、そんな話」

「決まってるだろ、好きだったから。だから後をつけてたら知ったんだ」


「そう、なんだ」


深く聞くのはやめよう。

「告白かなにかしたら?」

「簡単に言うな!」

鵜潮が顔を真っ赤にした。

俺には、あのノートを奪われるよりは、簡単に思えたんだ。
自我がなくなるわけじゃない。
「いままで、どんな想いでっ……! お前みたいなのがタイプだと知ったときも頑張ってきたのに」

「あー、だからか。
昔から、お前が俺と似たようなものをもち始めるの。筆箱とか、あ、昼に気に入って買ってた惣菜パンとか。すぐ真似してたよな」

なっちゃんのためなのか…… なんだか歪んでるな。
「あれは、俺のオリジナルだ!」

「あそ。じゃあ、どうして好きなんだ」

「え……」

「そんときの筆箱をなぜ買った? 他にも沢山あったからな。わざわざあれにした理由は?」

鵜潮は黙った。
自分について聞かれるとまるで何も答えられないからだ。
ため息をついて俺は言う。

「あのさ、俺に似せたって俺にはならないから。なっちゃんも、そういうのわかると思う。
俺が、好きってことは、
俺自身が自分で築いていきた過程全てをひっくるめた今があって、だからその性格があるから言うんだよ。

『見た目があって、そういう物を持ってるやつなら誰でも良い』
わけじゃない、と、思う……」

自信がなくなってきた。いろんなものに。
「なんかお前勘違いしてる。

それに、それって、相手も軽んじてるようなもんだよ。俺みたいなのなら誰でもいいだろうみたいなこと思ってるんなら自分が一番周りを見下している。

それを傲慢だと言われても仕方ない」


俺は、何を真面目に話してるんだろう。

「もう気が済んだなら帰れよ」


ぐいぐいと背中を押してドアまでおいやると、一階に行き、外に放り出した。

 俺はすでに木瀬野さんにも、なっちゃんにも、会ってもなにか感じなくなっていた。
誰の何が悪いとかじゃなくて、俺自身が、生きるのが限界になりかけているからだ。
なのに、あんな風な説得をしていいのかな。
夜中までの時間に何をしていいかわからずに、ベッドに身体を投げ出す。
ふと思い直して、腕を見ると、あとが残りにくい深さにしていただけあって、ほぼ綺麗にあとが消えていた。

けれど、どうにかして発散したい気持ちと相まって、跡が無いことは、それが否定されたみたいな気分になった。

つらい、苦しい、きもちわるい。
自分が生きることじゃなくて、周りが俺に関わろうと生きてることがつらいと気がつく。

「絶対にネタにしないから」
と、木瀬野さんが誓ってくれるとは思えない。

「河辺がネタにしたんだから」と、知らない女優とかが言い出すだろう。
違う誰かだってそうだ。一番信用がならない。

特に、作家を名乗るような友人は作らない方が懸命だった。
木瀬野さんが言っていたやくざがなにかは知らないけど、あぶないものなら、みんなまとめて潰れればいい。

なんで俺はこんな目にあってもなお、楽しいこともないのに、死ぬのをしぶっていたんだろう。

 人に聞いたところでは殺せと言うと殺さない性格の悪い人たちらしいから、生きるふりをした方がいいらしい。案外、笑って、もう平気だよという顔をすれば、妬んで殺しに来てもらえるかもしれない。
 なっちゃんにも誰にも会いたくなかったけれど、俺が幸せなふりをすれば……
鵜潮みたいなのがまた来て、首とか絞めに来るかもしれないじゃないか?

寝転がりながら、殺されることをイメージしてみる。

困ることに、俺にはほぼ財産もないし、利用価値もほとんどない。
誰かが欲しがるようなものというなら、臓器くらいしかなかった。

それでもたしか数百万単位だ。

庶民には大金だとしても、そうじゃない人にはたいした額じゃないな……
自分の価値がやけにちっぽけでいやになったぶんにやにやした。

「つまり、札束が、人ってことだろ?」

 ノートの厚さよりは、紙としては厚いかも。人生の厚さとしては、河辺がかなわない。勝ちみたいなもんだ。
札束になって、いろんな人に回っていって……なっちゃんのとこにも戻ったりするのだろうか。ほほえましくて、口許に笑みがこぼれる。
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