ノート


Side 木瀬野

 彼は板挟みだ。

 自分が勝てば大勢に被害が出て、負ければ死ぬまで追い込まれる状況にいるので、どちらからも圧力を受けているらしい。
ネットに流れる情報を集めていくだけでも、驚くべきことがわかってしまう。
 カンベは、彼を陥れるために念密にプロフィールを偽造していた。
彼と、僕は、知り合いというでもないけど付き合いがあった。

けど、だからわかる。
クリックして雑誌掲載の特集記事を読む。

『俺が、生まれつきこうだったのをもとに……』
と、載せられていたのは、
カンベと名乗る、『秋弥くん風』、しかし秋弥君の方が僕にはずっとマシに思えるような男の写真。そして、秋弥くんが好きだと言っていた店のプリンなどが好物と書かれている。

違う。こいつじゃない。
カンベは、もっと暗そうな……
少なくとも、秋弥くんとは似ていない、この記事とかけはなれた、風貌をした男だ。


生まれつき、だって?

彼の人生をそのままなぞるようなことを、勝手に名乗って……
ぼろが出ないようにするためなんだろう。
秋弥くんが言っていた、母親の話に似たことまで、自分のことみたいに語ってあった。

ストーキングして身辺を調べあげた上になりきっているだなんて、気分が悪い。

彼がどこまで 卑劣な相手に目をつけられたのかを知ると同時に強い悲しみが沸いた。

秋弥くんの人生を、過去だけでなくこれからの未来まで奪ってしまうだなんて、いくらなんでもひどすぎると思う。


 世間の印象は、カンベにやたらと好意的だった。
これでは、彼一人が意義を唱えてもきっとかなわない……


僕は携帯を握りしめて、知り合いのところに電話をかけた。

「あのさ、相談があるんだけど」


 きみを、これから傷つけるかもしれない。
きみは救われないかもしれない。
なのに、僕を動かした、この感情は、なんだったのだろう?









スズシロ

 それからの秋弥は、必要なときと元気なとき以外では、ほとんど単語的にしか話さなかった。

悲しそうに、ぼーっとしている。
なにかあると、袖を引っ張ってしがみついてきて安心するまで引っ付いていた。

「どうした」

声をかけてみるけれど、怯えているだけ。

絵の具をかけたままご飯を食べようとしたり、時折正常な判断を失いかけているところがあった。
「あ、夕飯どうする?」

と聞くと、彼は嫌そうにした。いつの間にかもう夕方だ。

「腹減らない?」

聞いてみると少し困った顔をした。あんまり、食べたくないのかもしれない。
 そのあと一応は、食事を用意して、机に向かい合って座らせた。
ごはんと、味噌汁と、つけものと、しょうがやき。いただきます、はしてくれたものの、秋弥はいっこうに食べなかった。
身体中に痛々しい引っ掻き傷があって、目はどこか宇宙の方を見ていて、たまに俺を認識しているのかも不安になる。

「食べないと、さめるぞ」
「なんで好きなときに食べられないんだ」

「秋弥」

「俺は物じゃない」

物じゃないと、そういえば、よく呟いていた気がする。

「知ってるよ、物じゃないことは」

「俺は物じゃないんだ」

秋弥はそれだけを繰り返した。どうしたんだろう、なんて聞くことは許されない。けれど何か、尊厳に関わるような扱いを受けていることは想像がついた。

食べてもらえないことよりも、それが何倍にも苦しく感じられた。

あの写真の男は……楽しそうにしてたから、そういう印象はない。
だとしたら、河辺だ。
何をしたんだ?

何か知らないだろうかと、河辺に電話をかけるがなぜか、繋がらない。

「チッ……」

俺は少し迷って、うまく食べられずに困っている秋弥を自分の腕の中に引き寄せた。
「な、に……?」

「きいて」

携帯の画面を見せながらしゃべる。

「さっき、話してくれていたのに、遮ってごめんな。もう一度、この人について、俺に説明してもらえたら嬉しい」

秋弥は、浮気じゃないよ、と言った。

「うん。わかった。信じる」

「あの、図書館が、出て、水死体で、話で、喫茶店が……えっと、俺、いから、気をつかうし……」

「あー、ええと、
つまり、図書館で会ったの?」

「うん」

少し妬きはしたが、それ以上に、秋弥が今は俺に話してくれているということを大事にした。

「……っ、て、ね。面白い、から、話、してたの」

 そういえば、あの近くは図書館があったなと思い出す。

よくわからないが、昔秋弥は言っていた。
 何にも知らない他人の方が気を遣わずに話せる。とかなんとか。
ネットをする友人がよくにたようなことを言うが生きるにはあまりに繊細な心は自分について知らない方が、話をしやすいんだろう。それなのに。勝手に自分を名乗る人が真逆のことを始めたら、どうだろうか。
「っちゃ、ん、なっちゃん」

秋弥は、えへへと笑いながら腕のなかに収まっている。

「なっちゃん、なっちゃん」

俺はただ、抱き締めるくらいしか出来なかった。校内にも密かに噂が回ってる。
河辺の家は大きなところらしいとか、それから……
クラスで流行ってた小説の舞台が、この町らしいとか。

秋弥が『それの』作者らしいとか。まるで、確かに、秋弥の家をやたらに……悪意を持って斜めに曲解したような話にも見えなくはない。
本編にはなっちゃん、というキャラクターもたまたまなのか、意図してなのか出ていた。

姿はよく見えなかったが今日も、付いてきていただろう男も居たし。

「……まさか」


俺は物じゃない

彼が何度も繰り返していた、あの言葉の意味は、まさか。







Side 秋弥

夢をみていた。

 小さい頃、手羽先と言われていじめられていたのを思い出した。
ガリガリに痩せていたから、手羽先みたいだなと言われて、近くで鶏の真似をされたりした。

でも、バカ姉の方が倍に酷かったから、俺にはたいしたことがなくて、無視していた。

そしたら、そいつは、
俺の前で鶏のかぶりものをするようになった。
俺はそれも無視していた。
 注目を、浴びたかったのだと思う。
誰かを踏み台にすれば、注目されると勘違いしてるんだと思う。
でも、少なくとも俺は注目しなかった。

 何もかも興味が無かった。どうだって良かったし、生きるのに労力を使いたくなくて、ただ、退屈ななかで過ごしていた。
……どうでもいい。
俺が、なにかに傷つくことは特にはなくて、なにかを想うことも特になかった。
時間が進むのは遅い。
生まれたときから死にたかった。

 そんなとき、友達の中二病ごっこをほほえましくながめていた。
ああいう設定があるだけで、生きるのが楽しいのなら、それはとてもすごいことだ。
俺はそれも楽しめない。
「××××って、なおらない病気なんだろ?」

ある日教室で、笹見が言ってる言葉にドキっとした。昨日やっていた特集番組の話だった。


「格好いい」

笹見たちのグループ、つまり中二軍団は、そういって騒いだ。
ドキっとしたのは、俺が『それ』かもしれないことを常に悩んでいたからだ。

まるで肯定されたみたいだった。
俺も病気なんていわず、『格好いい設定』だと言おう。
偽病気が流行するようになって、俺はだんだん『これは違う』と思った。
まるで、バカにされているだけだ。
自分の居場所さえも、いつのまにか、 『設定』だった。

いじめというのは、いじめるつもりがないなら、いじめでは無いらしい。

クラスの中二病ごっこはやがて『なおらない病気』をかっこよくアレンジして、自分に酔うものへと派手に変化し続けた。
それを少しでも否定しようもんなら爪弾きにあう。

学校に行くのが怖くなった。


少数派は『いじめではない何か』で、こんな風に場の空気に圧力をかけられる。
先生も一緒になってやっていた。


これは、いじめではなくなんなのだろう。


あんな変な中二病なんて、死ねばいいのに。


いつの間にか、自分自身が爪弾きになるかもしれない不安を抱えて登校する日々が続いた。
俺の体調は、精神とともにみるみる悪くなり、馴染めない学校がつらかった。
 救いを求めて病院にも行った。

すると医者は俺を見下ろして鼻で笑った。

「精神がおかしいのでしょう」

学校に行けば中二病集団が支配するクラスで過ごさなきゃならない。

医者は俺を笑うだけの存在。

家にいればバカ姉と会わなきゃならない。


どこにいても笑われ、バカにされて、教室では、中二病に合わせる気疲れで死にかける。

やだなぁ。
こんな毎日、終わらないかな。

「……ん」

目が覚めたら、なっちゃんの腕の中に居た。「おー、起きた、おはよ」
きょろりと辺りを見たらまだ夜だ。

「夜だよ」と言うと、「そうだなー」と、なっちゃんは、呑気そうに笑っている。
目の端に口づけられて、ひゃっ、と怯えていると、泣いてたのか聞かれた。
「涙って、あんまし美味しくねー」

「食べもんじゃない、からな」

「泣いてた?」

じっと見つめられて、どきんと心臓がゆれた。

「少し、夢を、見……た」
あ、喋れてる。このくらいの会話なら、しゃべれるんだ。そんなことを思いながら言う。

「そうか、なんか魘されてて心配した」

なっちゃんが、くしゃくしゃと頭を撫でてきた。
「わ、っ」

「あまりそういう顔をすんな、うっかり襲いそう」


「なっちゃんでも、うっかり襲うことがあるんだね」
わざとらしい驚いた顔をしながら抱きついていた腕をそのままシャツの下にすべらせる。

「どういう意味」

腹筋あたりをさわさわとさすっていたら、困った顔をして聞いてきた。
いや、だって。
なっちゃんはなんだかんだで、中途半端にしか手を出さなそう。
そこがいいのだけど。

腹筋をさわっていたら、そんなに好きなの? と聞かれた。

「うーん?」

よくわからないのでそのまま答えると、結構そのさわりかたクるわ、と言われてなんとなく手を離す。
「お腹さわっただけで反応する?」

下半身を見ると、なっちゃんが恥ずかしそうに答えた。

「いや、お前が触るからだよ」

「いいな、腹筋」

「惚れた?」

なにも答えずに口を塞ぐ。足がもぞっと動いて、なっちゃんがぎゅっと目を閉じた。
なにかに耐えるような顔が良いなと思い、服の下に手をつっこんだ。

「脱がせるのと、着せたままいじめるの、どっちがいい」

ある意味制服コスプレだった。
なっちゃんは、後者を選択した。
『着えろ』 って言葉をなにかで聞いた気がする。

「やぁっ」

と、女の子みたいに弱々しい声をあげるなっちゃん。
服を着たままだから、あまり肌は目立たないものの内部はかなり熱を持っている。
上や下を交互にさわっていると、泣きそうな目をされたので手を離した。
「いや、だった?」

「……やめちゃうんだ」

「泣きそ、だから」

「嫌じゃ、ない。なんか、恥ずかしくて」

「服を着たまま、脱ぎたくなるまでいじめようと思う」

囁くとなっちゃんはかああ、と顔を赤くした。

「絶対言わないから」


「あ、ごはん、食べたい」

「おいっ!」

「じゃあ、そんな逃げないでよ」

「いや……」

「嫌?」

なっちゃんが耳まで赤くして言った。

「俺ばかり……恥ずかしいのは嫌です」

なっちゃんの腕を抱き締める形にもってきて俺はその中にすっぽりと入る。
「なにこれ」

「なっちゃんが、ぎゅー、な、図」

「え、なにこれ」

ぎゅー、って牛かよ。
牛じゃないかと、なっちゃんが騒いでいる。
確かに、ぎゅー!って言ったら牛のことだよな。
「あ。牛、鳴き声、ぎゅー!じゃない?」

俺が言うとなっちゃんは頭に顎をのせながら抱き締めてふははと笑った。
「そんなだっけ」
抱き締められながら、河辺が姉と付き合いだした話をした。

特に何も思わず、物語でも読むみたいに無感情で話した。
なんつーかよくわかんねーのよ、と。

「恋とかは、勝手に、……すれば、いい」

区切ると話しやすい。
でも、はあまり声を出せなかった。

学校とかカウンセリングに行く気は、しない。
教員がよく話せば楽になる、というのは、
ストレスで話すという行為自体が辛い場合のことが、わかってない。

「ただ、真似する、なった」

「何を?」

「ぅ、の、を」

なっちゃんが穏やかな様子で、俺の身体ごとゆらゆらとゆらした。

「俺が、たっ、
例えば、だよ。つけようかなって、
言ったら、河辺に『日記、つけて、るんだー』って、みたいな」
まるで、俺に成り代わってしまいたいみたいで不気味だ。

「れ、が、くるしんで、る……」

「え?」


姉ももしかしたら、俺と河辺のことを……カンベのことを知ってるんだろう。

俺が苦しんでる中で、沢山考えて積み上げてきたものを、


文字を並べるなんて楽して、有名に、自分にも出来る……
俺にも出来るほど簡単、つまり、儲かるくらいに考えて、俺になってしまうつもりなんじゃないだろうか。

 俺は単に、ノートがあればよかったし、自己満足の予定が晒されてしまっている。最初から有名なんか望んでたわけじゃない。

 でも、バカな姉のことだからそれがどれだけ難しいかも知らず、自分にも出来ると、勘違いするだろう。

だっていつも、あいつ俺のものは見下してて、俺が出来るなら自分もできなきゃおかしいなんて言って、歪んでるから。


俺より上だという変な自信を持って自己分析が出来ない姉は、

いつも、俺の真似すればうまくいくと勘違いする。

「重圧、に、なってきて」


俺は、バカ姉じゃない。末っ子として見下され、踏み潰され続けて気を遣ってきた中で、だからこそあいつよりは周りを、自分自身をわかってるつもりだ。
『上』が居るからこそ、立ち位置がわかる、という意味では、姉は家庭教育の犠牲になったのかもしれないけれど。

ちょくちょく帰ってきては、河辺に合わせて今まで見もしなかった「魔法少女ショートケーキちゃん」なんか、朝から見ている姉の変わり様も、俺をげんなりさせている。

 それ以上は、何も話さなかった。
黙って、しょうが焼きをいただきますして、食べながら、家に帰るかどうか迷った。

「ほっぺた、ついてるよ」
指ですくったたれを、なっちゃんがぱくっと舐める。

「普通にとれよ」

恥ずかしくなってしまう。
「秋弥を押し倒したい。つーか、こっちを食いたい」
「はぁっ!? し、静かに食え」

だまってご飯をかきこんだ。美味しい。







Side???


……異常だ。
間違ってもプロになるようなことをさせたくないなら、審査をしなければいいだけの話。
それにいちいち構わなければ済む話だ。

目立たせなければいい。

……こんなに、現実にまで干渉し、付きまとい、あちこちに風評をばら蒔くやり方のどこが、 その程度の理由で収まるだろう?

テレビを付けると明らかに悪口を言うような内容がやっていた。個人にここまでしていいとは思えない。
これでは、人間としての破綻だ。

考えれば考えるほどに、カンベの招いた結果はおかしかった。
おそらくは女優や、他の芸能人にまで手が回っているのだろう。

ため息を飲み込んで、連絡のつかないアドレスが書かれた携帯を見つめた。
「……まったく」
彼は、巻きこまれた。
ただそれだけが始まりだったはずだ。いい大人たちは、あまりにも身勝手な都合で、今日も逃げ回る。
 リモコンを操作して電源を落とす。
それから、描きかけていた物語の続きを描いた。







夜中になって、
ごちそうさまが終わるとなっちゃんと抱き合ったままテレビドラマを見ていた。
「人殺しは許せない!」

めがねをかけた探偵の男がぴしりと指をさす。

「……探偵さん、あなたも、人を殺してますよね?」
きれいな女の人が、凛と立ちながら、対抗して指をさす。
なっちゃんがそのシーンで急に口を塞いできて、口のなかがぬるぬるした。
「んっ、う……ん!」

ばたばたと手で肩を押して反抗をしめしているうちに、女の人は崖に行き、探偵の男はひらりとマントをひるがえしながらはははと笑った。

「かおるさん……どこでそれを?」

「そんなの、目付きでわかりますわよ! 目玉焼きにソースをかけるより明らかですわよ、草巣さん」
他の番組ないの?
という代わりに、ぐいっと裾をひくと、ぽんと頭に手をのせられた。

「ん、つまらなかったか」
俺は何も答えずなっちゃんにしがみつく。
これから、どうなるんだろう……

 携帯の音がして、ポケットから出すとメールが来ていた。
知らないアドレスだ。
開いてみると「木瀬野です」の文字がまっさきにとびこんできた。

いきなり驚かせてごめんなさい、という文章の他には、前に、図書館で木瀬野さんにあったときに近くに居たのは金目当ての雑誌記者さんだとわかったと書いてあった。
 俺が逃げたあとで、盗撮で警察につれていかれたらしい。

木瀬野さんからのメールにはあちこちで、お金を渡して俺を邪魔するようにされてるかもしれないと書いてあった。
もはやそれは、度を越した脅迫だ。

「なっちゃん……」

何を言えばいいかわからずになっちゃんを見上げる。

「どうした?」

なっちゃんはにっこりと笑って俺を受け入れる。
家も嫌、辛くてもノートも書けないし、
外にはあんな記者がうようよしてるかもしれない。

俺の個人としての居場所は無いんだなと考えていたらどんどん泣けてきた。
「お、れ、いやで、やめてほしっ……て、でも、おどされ、て……びょういんも、怖くて、そと、も、やで、ばらまくって……」
表情がくもっていたのか、なっちゃんが大丈夫か聞いた。

「俺、と、さつ……」

なんて言えばいいかわからなくて、曖昧な言葉を並べる。

「こ、わい」

怖くて、わけがわからなくて、だけどわかったことがある。
俺につきまとうのは河辺だけじゃないのだ。
泣き出した俺のことをなっちゃんは、ずっと慰めてくれていた。
嫌でもこれから、を考えてしまう。

学生も終わるし、俺もなっちゃんも大人になる。『今』は、僅かな間だけ。

日常生活さえまともに送ることが出来そうにはない中で、恐らくあちこちで邪魔されて他の仕事も出来ないだろう。

だったら、何をして生きればいいのだろうか。
何をする大人になれるだろう。
いや、違う。

なっちゃんといると、まだ日常が続いていると錯覚するから、こんなことを思うんだ。


俺には、有名人に脅されて死んでいくか、
自ら死ぬかのどちらかしか残ってない。

なんにも、残ってない。
もしかしたら、最初の頃の俺に、知らない人が『あなたには他にもあるじゃない』と言うかもしれない。


他も出来ないよ。

なにも。
泣いたまま、ずっと部屋の片隅に居た。

暗い静寂のなかで、なっちゃんは俺が泣けるようにと、部屋をあけてくれて、俺は、わぁわぁと声をあげた。

落ち着いてから、なんとなく河辺のやっているらしいサイトにいってみた。


俺は、プロットじゃない、でも、俺は……
それを、確認したかった。


新たに、blog形式の話があがっていた。
「きみが文章を書いてることを知ってるよ?」
という台詞を言う男とのラブストーリーが公開されている。
俺が河辺と出掛けにはいけなかった、姉が出掛けた日には「食事に行ったよ」という内容があった。


でも、そんなことはどうでもよくて、



自分が何だったのかが、揺らいでしまうようなことをやめてほしかった。
俺ができること、しようとすることは、カンベはなんにもできない。

勝っている。
俺はずっと勝っているんだ。
圧力だって、そこまでしなければ俺に勝ち目が無いからなんだ。

こうやって金の、ときには国の税金を無駄遣いをし続けるんだろう。


国民の皆さん、一人一人への圧力にいくらかかるか知ってますか。
なんちゃって。
まあ俺は知らないけど。
携帯の電源を落として、そこに向かって

「この、税金無駄遣い!」

と呟いたら、気持ちがなんとなくすっきりした。また、もやもやしたときに呟く呪文にしようと思ったら、気分が軽くなっていく。


……あぁ、俺。


涙をぬぐって、なっちゃんを探しにいくために立ち上がる。

そのタイミングで河辺からメールが来た。
ゴリラのイラストが、うわーんと涙を流しながら暴れまわる大袈裟なデコメだった。

なんでも、こういうデコメサイトが今乱立しているみたいで、

『面白画像』なんていうサイトが裏で楽しまれているらしかった。
昔から人がやることは変わらないな……
大阪とかに本社があると書いてあるからなのか、どこかセンスが関西チックなサイトを、俺もいくらか回って、よさそうなデコメをゲットして笑ったあと、木瀬野さんに回した。
 河辺へは返信はせずに、部屋のドアを開けてなっちゃんを探しにいったら、ちょうどドアを開けたところだった。
「おかえりー、なっちゃん」

俺はなっちゃんが部屋に入るなり飛び付いた。

「うわっ、な、なに」

なっちゃんは驚きながら俺を抱き抱える。

「なに、お前……たまに、わんこみたいだよな」

「おれ、いぬ、きらい」

「はいはいっと~」

俺を抱き抱えたまま、なっちゃんは廊下を進んでいく。

なんだか恥ずかしくなってきたが、切り出さないと。

「俺、決めた」

「なにを?」

「う、うまく言えない、けど、決めた」




次の朝家に帰ると、母さんは何も言わず笑顔で迎えてくれた。
姉はまた出掛けていた。俺はそっと袖をまくり、ふたたび傷の治りかけてきた腕を見ながら、小さく息を吐く。

台所にいた母さんにも見えたはずなのに何も言われなかったのは気を遣ったからかもしれない。
 朝からだらだらと椅子に座って携帯をいじりながら、俺はただ不登校の気持ちを味わっていた。
ただ、それだけではなくて……

二階につくと部活用に買ったスケッチブックを机に開いて鉛筆セットを広げた。

いままで時間がかかるとか、あまり沢山の友達ウケはしないとかを理由になかなかやらなかった風景画や静止画に改めて向き合ってみる。

この前いかなかった遊園地だったり、みんなで行った海岸。


俺にしか見えなかった景色を、俺はまだ覚えている。河辺はブラスバンド部で、その絵を見たことはないけれど、他人とまったく同じ色彩感覚になることは、まぁ、なかなかないはずで……

負けん気だけでは、越えられない壁もあるってことを俺は河辺にもカンベにも伝えていこう。

既にお前の負けなんだから、やめてと、次があったら最初から素直に言おう。

俺は死んだと聞かされて育った親のコネなんかじゃない力で、勝てる。
圧力をかけないと勝てないようなやつとなんか、実力で戦ってさえいない不正だ。



「木瀬野さん」

だから。

携帯に、メールを打ち、やりたいことを、伝えた。





俺、まだ描けるものがあるなら、

描きたいです。


だから、






続きを送信してから、改めて机に向き合う。

――これから先のことはわからない。
とりあえず、カンベの知り合いに警戒すればいいのか?


 俺は何もわからないで生きてきた。
テレビや雑誌が、なぜ俺に執着するのか、芸能界がそんなにやばいのかもよくわからない。
 それにどの会社にも『繋がり』は書いていない。だからわからないことしかないのに、誰からも聞かされないし、
図書館にも、本屋にもそんな本は当然ならんでいないわけで……

母さんがなにか言うかというと何も言わない。

そんなに知ってて欲しいなら裏側から何からテレビで流せよ。全国的に知らしめてから責めてくれれば納得できるのに、と思いつつ、死んだはずの父親についてを考える。

 水を張った紙を乾かしながら、憂鬱が戻ってきそうで必死に音楽をかける。
ただ、不安の正体だけを知ることができた。
 生きることと学ぶこと以外の知識をどこからも全く与えられなかったこと自体がおかしかったのだ。
もし、万が一、俺が長生きしてて子どもかなにかが居たときには、自分のことをきちんと隠さず伝えよう。

反面教師としてこれを生かせるように、と考えてから笑った。
何も見ずにいれば、まだ生きられるような気がするから不思議だ。

保険、遺産、履歴書、保証人、他にもいろいろ、親についてはどの道聞かれる状況が生まれる。
そのとき苦労するのは誰か。

大人になる子どもだ。
見ず知らずの会いもしない親のせいで、わけのわからないことを言われて、知りもしないことに巻き込まれる……

普通の会社員だ、とか親が言ったとしたって、それをそのまま信じた子の未来は、どうなるだろう?
裏切った、という気持ちでいっぱいになるのは悲しい。


――知らなかったのに、どうして?

俺はそんな気持ちで、罪を負うような気持ちにはさせたくない。

将来どのみちわかるような事実を誤魔化すのは、やはり、無責任なこと。 水をくみに行きながら遺書には、これも組み込もうと決めた。乾かすあいだ、まだかかりそうで、少し横になることにした。

 ベッドで眠っていると、死んだみたいな気持ちになる。ふわふわして、真っ白な雪原が広がっていて、それは不思議と寒くなくて柔らかな光が降り注いでいる。

(俺、なんでこんなに、なんにも知らないんだろうな……)

落ち着く。
そう思いながら、ゆっくりと呼吸をする。

 なんとなく生きてるだけだった気がする。

学校に行ったって、周りが知ることを、何一つ知らない。俺に誰も教えなかった。

結局それがなくては生きられないのに。
放課後くらいの時間になっちゃんの家を訪ねたが、なっちゃんは居なかった。
「家にきました」

とメールを打つと「すぐ帰るからなかで待ってて」と言われて待つことにした。

外でひっきりなしに走るバイクや車の音が聞こえて昔はここまで聞こえなかったなと、なんだか懐かしいような気分だ。

ポケットにいれてた育成ゲームは電池が切れたまま。俺が変えないとそいつの人生は止まったまま、まだ俺の方がマシだろうか。いや、止めたいときに止まるならその方が幸せだろうか。

 未練をなくすための毎日は、まだ止まったままだったことを改めて意識した。



なっちゃんが帰ってくるまで暇だから鞄を開けて、宿題をすることにした。
 少し前まではCD-ROMに手紙を書いて入れていたのも持っていた。
でも、踏んづけて割って壊してしまった。
紙じゃなきゃ意味がないような気がしてやめたからだ。

そして、最近気がついたことだが、河辺のこと。 彼はゴミの中からでも俺に関するものを探す。これじゃないと何回も書き直して捨てた書き損じの紙を、びりびり破った全部をはり直してまで作品に使用したのかもしれないふしがあった。

だから、あいつに言わなかった俺の遺書の内容さえ知っていて、本文にするのだろうと。

さすがに、異様としか思えない。

大抵は寛容な部類の俺でもここまでくるんだと思うと、気持ちが悪かったし「なぜCDを割ったの?」とメールで唐突に聞かれたこともあった。河辺はこれも見ていたのだろうか。というよりも、ゴミにして出した袋を漁っている疑惑をますます強めている。

俺は、自分が捨てるものにさえ気を遣うことになっていた。
朝、テレビでゴミ屋敷がニュースの話題になっていたけれど、もしかするとあれは孤独が理由というよりも『捨てにいくこと』自体がそういう風に問題になることを危惧するからなんじゃないかと、新たな視点になって考えてしまう。

それこそ、やくざだとか、何か変質者にゴミを漁られる恐怖を示している可能性があるんじゃないか。

なんで、外に一歩出るのも、ゴミひとつ捨てるのも不安でしかたないんだろう……

悶々としながら、いっこうに進まないノートの白紙にペンを突き立てる。
頭のなかは、見ず知らずの誰かがゴミを監視されてることで捨てにいけないよと泣いている絵ばかり浮かんで、他人事なのに、妄想なのに苦しくなった。

捨てても拾って資料にされるとか、売られているとかなら、俺もプライバシーをどうしていいかわからない。

シュレッダーにかけた機密文書を、何日もかけて修復したニュースもあったし……
いや、河辺がそこまで暇かは知らないが。


「ただいまー」

なっちゃんが帰ってきてばたばたと慌ただしくドアを開けたので、なんだかほっとした。

「なっちゃん」

テーブルでノートを広げたまま目もとをぬぐっていると、なにかあった?と聞かれてどうこたえていいのかわからない。
眉を寄せていると、これ食べる?と駄菓子を渡された。

少し辛い鱈の擂り身のやつだ。

「これすき」

「今日さ、学校で食べてるやついて、懐かしいなと思ってコンビニで買った」
はははっと爽やかに笑っているなっちゃんが、きっと彼なりに俺に気を遣ってることはわかった。
「ありがとう」

二つのうちひとつを食べたら、横でなっちゃんがうまいな、と呟いた。
俺はそっとひっつきながら、そうだなと言った。
俺が、気を遣う必要は。少なくとも、離れる必要はある意味なくなってしまい、よくわからないぬるま湯のような距離感に甘えそうになる。

「こうしてるとさー」

目をうっすらと閉じつつ、最後まで駄菓子を食べきって舌で唇に残った塩味を感じながら呟く。

「ずっと」

明日も、明後日もこんな風に。

「生きていられるような、気がするよな」

穏やかだなぁと、そう思った。

「生きてるじゃないか」

なっちゃんは不思議そうに俺を見つめていた。

「そーなんだけどね?」

俺は、けらけらと笑う。
なんつーの? あぁ、楽しかったなーって、感じで。

「走馬灯、みたいなさ、きれい、だな、俺、良かった」

「なに、急に、しんみりして」

なっちゃんが、平静を装い切れてないのがおかしくて、俺は、また、アハハハと笑っていた。

「居てくれて、良かった、なっちゃん、ごめん、おかげで、よかった、俺、沢山、できたんだ、知ることがね、それが、充分なくらい、幸せだった」

「なに、寝ぼけたみたいに」

「俺、幸せ、だったよ」


不思議なことに、不思議なまでに、俺は、落ち着いてきて穏やかになっていた。

「自分に、何もなくて、とても、不幸って、思ってたけどね、それは、違うんだ」


俺は、幸せだった。

「3歳にも満たずに、戦争で死んでしまう子だっている。
俺よりずっと若くに、人生を悩んで、死んだ子も沢山いるんだ。

生きてこられるって、奇跡なんだよ」


俺、およそ20年も生きられたんだ。
すごいことだろ? な?

となっちゃんに同意を求めると、なっちゃんは不安そうな目をして俺を見た。

「屋根がある場所で、
食べて、寝られて、たまになっちゃんや、他の誰かが居て。それを幸せって言うんだ、それがないやつだっているんだ」

ノートがなくたって。
今までの分を、その代わりに認めてやらない理由にはならないから。

「それだけの、時間、頑張ったよ」

なっちゃんは、少しだけ驚きつつも、俺を見ていた。

「俺、頑張ったよ。
頑張った」

ずっと、誰にも言わずに心のなかだけに描き続けて……
独りでも、誰も俺について知らないまま、ただ描いていられれば良い。
「頑張って、きた」

俺が、壊れずに頑張ってきた努力の証。

「あぁ……偉いな」

なっちゃんは、そう言って俺を抱き締めた。

「今まで、よく、頑張れた」
涙がぼろぼろと溢れてそのまま泣いて、少しして落ち着いた。

お茶を飲みながら、姉が家庭内ストーカー化した話をした。
引き出しから何から開けていたり、俺が使う洗髪料を知りたがったり、洗濯物から下着が減っていたり……
彼氏が出来ないから、俺に近寄るんだろうと日に日に恐怖が増していた。
「うわあやべーな、それは」

「だろ? しまいには、弟が生き甲斐とか言うから怖すぎ」

と、俺は明るく話した。実際はこんなにスムーズかはわからないけれどそれが今じゃ河辺と付き合ってるから、人とはわからない。

「うわ重い言葉」

なっちゃんが引いたように言う。
止まったら死んでしまう魚みたいに思ってるのか、思い込みが激しくて一度暴れたら傲慢は止まらなかった。

「でも唯一、逃げ出せてた場所がある。その批難所のおかげで、俺は今まで生きてこられた。奇跡だな」
だから。

「その場所にあえたことも、なっちゃんがいたことも、わずかなようで、長い時間でも、貴重な経験だったよ。ありがとう」

 逃げるのが恥だったとしても、役に立つ。

真意を、理解できた。


ほとんど自我の残らなくなった俺でも、地上からもし逃げれば……

たったひとつ、存在が無くなるだけでどれだけ、多くの人が救われるだろう。

周りから見れば恥でも、俺がいなくなることは、役にたってしまう。

なっちゃんが「なんで、まるで死ぬみたいなこと言うんだ?」と言った。

「明日も、明後日も、ずっと、居てくれるんだろ?」
「羽、翼、が生えて、飛べそうなんだよ」

なっちゃんがびっくりした顔をした。

「え?」

「俺、きっと、ふわって、そのうち翼で飛んでっちゃうんじゃないかな」

「飛んでいくときはちゃんと見ていてね」

「秋、弥?」

ふら、とよろけたときに、本棚にぶつかる。

「わ、っ」

ばさばさと、あの本たちが足の上に広げられた。忌々しい本たち。
俺、の、いちぶ。

切り刻まれた精神が、なにか思ったのか思わなかったのか、俺をかきみだしたのか、そうじゃないのか。

声をあげた。
鞄から小さなナイフを取り出した。
なんでもいい、俺を、俺、いたい、痛い。痛い、がなきゃ。

握りしめた手に力がこもっていたのか、ヒリヒリすると思ったら手のひらが真っ先に割けていた。
どこか切ろうと思ったのに。

「大丈夫か!」

なっちゃんが慌てて立ち上がった。絆創膏かなにかとりにいったらしい。俺はぺろりと手をなめた。汗の染みる味と血が混ざった、変な味だった。
鉄の味とかいわれるけどあんまり鉄には思えないな、なんて想いながら。
どうやら、ノートを開く字を書くという行為自体が俺には拷問のようになっていたらしい。
本棚は、最後に拍車をかけただけだ。

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