ノート
side 綺羅
ペットのハリネズミである『ひゃくたん』『あいち』『にいみ』にご飯をあげてから、私は意を決してでんわした。
最近、なぜか秋くんが来ないの。
学校、教室。部活にもだ。
どうしたんだろ?
先生も何も言わないし、クラスメイトたちも、今はカンベの話題ばかりしている。
どころか、秋くんをハブいてしまおうとさえしてる噂をちらほら耳にしていた。
本人からなにか、せめて元気な声だけでも聞きたくて、私は決めたのだ。手を洗い消毒してきた指は、まだアルコールのにおいがしてる。
ひゃくたんが、もぞっと動いて、おうちのなかからふあんそうに私を見上げたから私は、だいじょぶだよー、と明るくピースしてみた。
コール音にだんだん飽きてきた頃、ようやく電話が繋がった。
『おかけになった電話は電波のとどかない場所か……』
無機質な応答メッセージが、分厚いかべのようだった。
Side 秋弥
俺を抱き締めたなっちゃんは、なぜかずっと謝っていた。
自分のせいだとか、悪かったとか言っていた。
そうかもしれないし違う気もする。わからない。
ただただ、心の中をなにかがかきむしるような痛みが、俺の中にあって、それに支配されたようにもがいていた。
なにもわからない。
わかる気もしない。
ただ、誰かのせいだ、と報告するだけのそれは、俺にもどうしようもない。
なら、どうにかしてくれとそればかり思えた。
「なっちゃんのせいなら
」
と、俺はなっちゃんの首に両手をあてる。
なっちゃんは、微笑んでいて、享受するようなそれがまた俺を苛立たせて手をはなした。
「死ね……よ……」
ふらりと、立ち上がり、携帯だけ持ったまま、外に飛び出す。
なにしに、行ったっけ。
頭が正常に働いてなくて、もう、いっそ、誰かが、俺を、
「俺ね。
翼が生えて、空に、行くんだ!」
わあああああ!!
俺は叫びながら、プールに飛び込む。
木瀬野さんが、苦笑いしながらその横で見ていた。
水は、ゼリーみたいで、でも水で、沈みもしないのに、固まってもなくて、俺はそこでぷかぷか浮いていた。
「木瀬野さんも、おいでよ」
「僕は、いいよ。濡れたくないから」
木瀬野さんは、俺を見ているだけで充分だと椅子に座っていた。
「つまんねーの」
浮いていたら、空から、棒のついたアイスクリームが降りてきて俺はそれを食べた。
木瀬野さんも食べている。
「美味しいね」
「はい」
部活の顧問の先生が来て俺らを見て微笑んでいた。
「お前ら、元気だな。八阪に住む甥を思い出す」
「え?」
「いや、なんでもない」
「悪い、遅れた」
甥の話を聞いてたらなっちゃんがやってきて同じようにプールに入った。
「どうかしたのか?」
「なんでもないよ!」
なっちゃんは、バナナボートに乗って来て、それに座っていた。
なんだかシュールな絵で少し笑えてしまう。
「なんでそれなんだよ」
俺が笑いをこらえながら言うと、お前も乗れ、と座らされる。
バナナボートに二人で座っていたら、木瀬野さんが吹き出したように笑った。
「いいね、それ」
そう言い、何かをスケッチブックに、くれよんで 描いていくみたいだ。
少しして見せてもらうと、バナナボートと俺たちがプールにいる絵だった。ひとしきり、それについて話して盛り上がった。
いつのまにか、先生はいなかった。
そのあと
「なっちゃんと付き合うことにしたんです」
木瀬野さんに言うと、彼はおめでとう、と言った。
「でも、なんで僕に」
「偏見とかないかなって、なんとなく。信じられる気がしたから」
「うん。そうだね、僕は、そういうのに偏見はないよ」
木瀬のさんと、なっちゃんと、そのあともはしゃいだ。
身体がだんだん日差しであつくなってきて、プールからあがろうとした。
なっちゃんは先にあがって、歩いていって、木瀬野さんもはやくおいでと言っている。
いかなくちゃ。
足元は、ぐしゃ、と少しのかたさを伴いながら崩れつつ足を掴まれた。
前に進めない。
身体が重たい。
「なっちゃん、木瀬野さん」
まって、俺を置いていかないで。
俺は、この中に、沈んだままどこに行くことも無く、ただ死んでしまうのだろう。
まだ遺書の続きを書かなきゃ。
身体が熱くて、溺れていきそうだ。嫌だな。
飛んでいくはずなのに、なんで、俺は……
――ぐにゃり、と世界が曲がる。
水面が揺れて俺を飲み込む。交遊関係が狭いから走馬灯も、あまりないなと笑った。
木瀬野さんが居たのは、むしろ奇跡くらいだ。
SNSなんかも、昔少し試してすぐ嫌になった。
ネットであっただけのやつなんか信用できない俺には、やはりそういうコミュニティも合わなかったのだ。
救いなんか、無理な話だ。
それに実際、個々に関わるのは重いのだと思うし、ネットには、単にファッションで悲しいふりをするやつも多い。
人から聞いた話をアレンジして自分みたいにしてしまうやつもいる。
仲間だと思ってたら、サクラだったり。
繊細なやつほど、慎重なやつほど、それを見抜くのに神経を使って、壁を作って、愛想笑うのがああいう場。
でも、誰も教えない。
長く上手くいくなんて早々ない。