ラブ・サーガ!
『宝石のような青い大きな瞳が王子様を捉えます。
「王子様……。助けに来てくださったのですね……嬉しい……」
 お姫様がふわりと王子様に微笑みました。
「ええ、姫……。貴方が無事で良かった……。姫、私は貴方に一目惚れをしてしまいました。愛しています。どうか私と結婚してください」
 王子様がそう言ってお姫様を抱きしめると、お姫様は大輪の花の様に美しく笑います。
「はい、王子様。わたくしも貴方様を一目見て恋に落ちてしまったのです。わたくしも……貴方を愛しています」
 お姫様が言い終えると、どちらともなく顔を近づけ、愛のキスを交わしました。
 
 こうしてお姫様を連れて自分の王国へ帰った王子様は、お妃となったお姫様と共に、仲睦まじく暮らしたそうです。
 めでたしめでたし――』

 *** 

 昨日降り続いた雨は庭園の木々を濡らし、朝の陽射しをキラキラと反射させている。
 今日は昨日と打って変わって良い天気。絶好の旅立ち日和だ。
 濡れた緑の匂いと微かな花の香りがする中、白いレンガの道をあたしは歩いていた。道の両側に、白い花の咲く低木が沿って長く続いている。山頂から引いた水を流した水路が、静かな水音を立てる。
 自然が少ないここバートランド国において、この緑豊かな中庭は、王家お抱えの庭師さんが技術と気合とノリと根性で作り上げた、この国自慢の庭園なのだ。
 歩き続けて約数分、木々の切れ目から噴き上がる水が見えた。
同時に丸みを帯びた白い屋根が見える。
 この庭園の一番見晴らしの良い所にある、大きなガゼボの屋根だ。
 少し足を進めると、この庭園のちょうど真ん中にある大きな噴水が姿を現した。水を噴き上げる白い石の台座に、青い花の形をした飾りがたくさんついている。
 噴水の横を通りがかったついでに水面をちらりと見る。
 バートランド人に多いダークブラウンの髪をお団子に結い上げた髪型。髪より少し明るい、これまたバートランド人に多いブラウンの瞳。もう十八歳なのに結局一五五センチを超える事が無かった身長。
 普段通りのあたしが水面に揺らいで映っている。だけど、水面に映る服はいつもの黒い侍女服じゃなくて、綺麗な水色の余所行きのワンピースだ。余所行きって言っても、やっぱり侍女用なんだけど。
 水面から目を離し、あたしは再び歩き出した。
 といっても、今度は歩いて数十秒程度。
 噴水の先にある、目の前のガゼボへ。
 更に歩いて十数秒。
 ガゼボに置いてある白い木のベンチに、捜し歩いた人の姿を見つけてあたしは思いっきりため息をついた。
 その人物に向けて足を進めて数歩。
 ベンチに足を組んで寝っ転がり、顔の前に小さな本を掲げ持っている。眉間を少しひくつかせつつ、その人の頭に向けて、あたしは大声を出した。
「姫さま、探しましたよ!」
「おおおぅ⁉」
 驚いたように(実際驚いているんだろう)雄叫び……もとい大声を出し、跳ね起きるときょろきょろと辺りを見回した。
 やがてあたしに気がついたのか、振り向いてへらっと気の抜けた笑顔を浮かべた。
「んだリタじゃん。ビビったわ~」
「なんだ、じゃないですよ。ご自分のお部屋で待ってるって言ってたのに、もう。捜しましたよ」
「お、支度できたって?」
「はい。エリン様とレイチェル様が首を長くしてお待ちですよ」
「そら、悪い事したなぁ。……っと」
 言いながらベンチから徐に長い脚を下ろすと、すくっと素早く立ち上がった。
 すらりとした立ち姿。今着ている白いAラインのシンプルなドレスが、女性としては高い身長と相まって良く似合ってる。
 それだけに、あ~とかゔ~とか呻きながら伸びをしているオッサンくさい姿に涙が出てくる。
 充分に背中を伸び伸びし終えると、手にした本で肩をとんとん叩き始めた。自然と本へ視線が吸い寄せられる。
「その本、本当にお好きですよね」
 隠すことなく大あくびをしている姫さまに言うと、まるで意地悪な猫の様に、にやぁ~っと笑った。
「超展開すぎてめっちゃ面白い。マジうける。超爆笑」
「はぁ……」
 あまりにもあんまりな言い方に言葉が出ない。絵本ぞ、それは。
 しかし姫さまがその本を好きな理由は面白いからだけではない。何度も姫さまから聞いたから、あたしは知っている。
「姫さま、まだアレに興味があるんですか?」
「ふっへっへっ。そりゃお前、めちゃくちゃ興味あるじゃん。たった一目見ただけで、その瞬間からその人に夢中になって、世界でたった一人の事しか考えられなくなって、それでいて混乱状態とも魅了状態とも違うなんてさ。そんなの信じられないっしょ?」
「まぁ、確かにそうですけど。でも、その信じられない事を経験したジェレミー様はなんて言ってたんです?」
「『ときめき! ずっきゅんスパイラル☆』って言ってた」
 なんじゃそりゃ。と喉元まで出かかった言葉をあたしはかろうじて飲み込んだ。
「なんですかそれ……。さすがジェレミー様ですね」
「訳わからんよね? マジで。さすがお兄様だろ」
 ぐきぐきと首を鳴らし、もう一回大あくび。
「ふわぁ~~~。……んじゃ、行くかぁ。見知らぬ色んなもののために」
「はい」
 姫さまに連れだって、あたしも歩き始めた。

 ***

 あたしの名前はリタ・シトリン。
 ここバートランド国で、第二王女様に仕える侍女をしてる。
 あたしの半歩前を歩いているのが、その第二王女様、ベアトリス・ティナ・バートランド・バイオレット様。名前長いよね。
 四百年前、このバートランド国が建国される時に、初代国王様が自分の先祖である(つまり姫さまの先祖でもある)九百年前の英雄、戦士バートランド様にあやかって国名をバートランドと定め、自身の名前の一部に入れて名乗り始めたのがバイオレット家の名前が長い理由の一つ。
 姫さまって、これがまたかなりの美女なんだ。
 顎のラインで切り揃えたさらさらの髪は、そのファミリーネーム通りの綺麗な菫色(バイオレット)
 ぱっちりした二重のツリ目はばっさばさの長い睫毛で縁どられて、目元に微かな陰影を落としている。瞳の色はお母さま譲りらしい、濃いグレー。
 形の良い薄い唇はベビーピンクの線を引いたよう。
 ややほっそりした首に、ドレスの上からでも分かる、盛り上がった腕の筋肉。その辺の女子より広い肩幅。
 ドレスに隠れて分からない、見事に六つに割れた腹筋、膨れ上がったヒラメ筋。
 一七二センチの高身長で脚もすっごい長い。鍛え抜かれて筋肉がばっちりついた体だけど、ガッチリした体格じゃなくて細身なせいか、バキムキってほどでもなくて凄くスタイルが良い。 
 姫さまはよくイメージされる、ふわふわした感じの優しくて可愛らしい『お姫様』とは違うけど、クールでミステリアスで気高い雰囲気を漂わせるとても美しいその容姿は、まさに『お姫様』らしい『お姫様』。
「あ~、肩痛ってぇ~」
「ベンチで寝ながら本なんか読んでるからですよ」
「ふっへっへっ。まぁ、そりゃそうだな」
 ……喋らなければ、なんだけど。
 喋ると柄が悪いというか、野生丸出しというか、チンピラ感が凄いのよね。今の会話も、城下町の仕立て屋のおじいちゃんか近所のミノタウロス猟の元締めのたくましい女将さんの話し方みたい。
 それに姫さまってめっちゃくちゃ変わり者。
 姫さまがさっきベンチに寝っ転がって読んでいた本、『真実の愛の物語』っていう絵本で、ある日気がついたら書庫の管理番の人も知らないうちに、お城の書庫になんか虹色のオーラを吹き出しながら玉虫色に光り輝いて浮いてたっていう、めっちゃ怪しげな絵本。宮廷魔道士さんや宮廷神官さんが分析する前に姫さまがそれを取っちゃったせいでお城中大騒ぎになったっけ。普通はよく分からない怪しい物を取らないよ……。女王陛下の一喝でその騒ぎは収まったんだけど、その後も色々あってお城中の御老人達をヤキモキさせたりしたけど、分析の結果何も問題は無かったし、今は光ってなくてオーラも出てないし浮いてもいない、青い表紙に金字でタイトルだけが書いてあるただの本。あたしも字の勉強のために、恐る恐る何度か読ませてもらったことあるんだけど、発見された経緯に対して中身はただのロマンチックなおとぎ話。
 とある王国の王子様が、美しいお姫さまと出会って一目惚れ。でもそのお姫さまは悪い魔法使いにさらわれちゃって、王子様はお姫さまを助ける旅に出るの。それで険しい道程を乗り越えて王子様は悪い魔法使いの下に辿り着き、見事悪い魔法使いをやっつけて、お姫さまを助けて告白してハグしてキスして終了、っていうありきたりな物語。
 読んだら呪われそうな出自の絵本だけど姫さまはやたら気に入ってて、暇さえあればしょっちゅう読んでる。
 それはお城の書庫の本って小難しい本ばっかりっていうのもあるけど、姫さまが好奇心旺盛なのも理由の一つ。
 姫さまは今、『一目惚れ』ってやつに興味津々なのだ。
 まぁね、あたしも恋に恋する十八才の乙女だし。大体人それぞれだろうけど、この年頃ってそういう恋愛事に興味を抱く人もいる時期だと思う。あたしはそう。もしも心ときめく素敵な男性に一目惚れされたらどうしよう! とかね。
 でも姫さまは違う。別に恋に興味がある訳じゃない。一目見ただけで恋に落ちること、ただ単純に『一目惚れ』という心理に興味があるんだ。恋だの愛だのとかは全く考えてない。
 つまり、あたしが『一目惚れ』に抱くのは恋愛への憧れ。対して姫さまが抱くのは未知の体験への好奇心。
 もう、甘さゼロ。全然違う。
 他にも姫さまって大胆不敵というか破天荒というか型破りというか。大雑把な仕草や輩丸出しの話し方もそうだけど、よくその辺に寝っ転がってたりお行儀悪く本を読んでたり(あんまり難しくないやつね)、お姫様としてのお作法のダンスよりも筋トレの方が得意だったり、よく言えばお姫様という枠に収まらない、悪く言えばお姫様らしさ全くなし。お姫様の知り合いがたくさんいる訳じゃないけど、お姉様の女王陛下とか知り合いのお姫様とか貴族のご令嬢は何をするにも、もっと洗練されててしなやかで綺麗に動くもん。
 本当に、姫さまって見た目以外お姫様らしくない。
 
 ***

 中庭からの長い通路を抜けると、広い広~いエントランスホールに出た。
 ちょっとした大きさの民家がまるまる二つ入りそうなほど広い。エントランスホールの半分ほどが二階までの吹き抜けになっていて、高い天井部分には、白く大きな石に掘られた美しい女神のレリーフが張り付けられている。部屋の上部に取り付けられている大きな窓ガラスから明るい陽光が差し込んでいた。
 広いエントランスホールに合わせた、お城の大きな両開きの出入り口の扉の前に長身の男性が二人、立っているのに気がついた。姫さまがそちらに向かって歩いていく。あたしもついて歩いた。
 男性二人はこちらに気がつくと、右手を握り胸の前に当て頭を下げた。バートランド式の騎士様の敬礼だ。
「姫さま」
「よっ」
 二人の傍まで歩み寄りながら姫さまが軽く手を挙げて挨拶をする。その半歩後ろで立ち止まり、あたしも両手でスカートの裾を軽く持ち上げ膝を曲げてお辞儀をした。
 頭を下げていた二人が顔を上げた。
 一人は、穏やかな炎のような赤い髪に優しい光を宿すヘーゼルグリーンの瞳。端整な顔立ちは文字通り『美形』の一言しか出ない。背も高く、均整の取れた引き締まった体もあってもう、完璧なイケメン。
 この方はこの国の侯爵のお一人、ロイド・オブライエン様。訳あって領地はお持ちじゃないんだけど、古くからバイオレット王家に仕える由緒正しい貴族様だ。この国ではかなり偉い立場なんだけど、全然偉そうにしない穏やかで優しい方だ。
 ロイド様は王族をお守りする『近衛騎士団』の団長をしていて、常に女王陛下のおそばで陛下をお守りしてる。
 もう一人は、ロイド様よりも少し背が高い。前髪を後ろに撫で付けた、この辺では珍しい黒い髪。鋭い目つきは右眼が琥珀色で左眼が紅い。いわゆるオッドアイってやつだ。精悍な顔付きにがっしりした体格はまるで孤高の狼のよう。いうなれば、クールですっきりしてるけど雄み溢れるイケメンって感じ。分かりにくい? ごめん。
 この方は、カウラ・グエン様。グエン様ってなんと、この国のある大陸より海を隔てた遠くにある東の島国出身なんだ! この辺の人達はみんな名前がファーストネーム・ファミリーネームの順なんだけど、東方の人達って名前がファミリーネーム・ファーストネームの順なんだって。だからグエン様のファーストネームはグエンの方。
 寡黙だけど礼儀正しくてとってもいい人。
 お二人共、とても素敵な騎士様だ。グエン様はまだ見習いだけど。
「なに、お前らどっか行くの?」
「はい。例の、原初の大樹海のモンスター騒ぎが厄介な事になっているらしいので加勢に行って参ります」
 姫さまの問いにロイド様が答えた。
 原初の大樹海っていうのは、バートランド王国の東にある、この大陸の半分ほどの広大な面積を持つ大樹海。
 創造神ゼーア様がこの世界を創った時、一番初めにその大樹海を創ったという伝説からこの名前がついた。大昔から存在する貴重な植物や素材、厄介な高ランクのモンスターがたくさん生息している。
 そうだ、この世界のモンスターについて説明しとこう。
 モンスターは、弱い順からE・D・C・B・A・AAってランク分けされてる。
 それで更にモンスターは大まかに三つの性質に分かれていて、人間を見かけたらまず襲ってくるモンスターを『敵性モンスター』、人間を警戒して様子を見、すぐに襲ってくる事はなく場合によっては人間に協力するモンスターを『中性モンスター』、こっちから攻撃を仕掛けない限り人間に友好的なモンスターを『友好性モンスター』って呼ぶの。
 モンスターって不思議で、見た目や性格じゃどれくらいの強さか分からなかったりする個体がたくさんいる。小さくて友好的でもAランクモンスターだったり、体が大きくてすぐに攻撃してくるのにDランクだったりってケースがいっぱいあるんだ。
「今から?」
 ロイド様の言葉を聞いた姫さまが形の良い眉をひそめた。
 ……あれ? このお二人ってもうすぐめちゃくちゃ大切な予定があるはずなんだけど、そんな遠出していいのかな。でも原初の大樹海のモンスターなら、このお二人くらいの強さじゃないと無理か。
 この国には二つの騎士団がある。
 一つは、ロイド様が隊長をしている、王族をお傍でお守りする少数精鋭の『近衛騎士団』。みんな青い縦襟のロングコートの上から、綺麗に銀色に光るミスリルアーマーを装備してる。
 もう一つはこの国中の治安を守るためたくさんの隊員がいる『青騎士団』。近衛騎士団の人と同じミスリルアーマーを装備して、その上から国の紋章が入った青いサーコートを着てる。
 普段はこういう時は青騎士団が出て治めるんだけど……、あ、そっか。ちょっと前に西の大街道近くの町の辺りでBランクモンスター軍団の大暴走があったんだ。あの町はこの国にとっても要所だから、早く治めるためにきっとたくさんの強い青騎士様が駆り出されたんだろう。
 原初の大樹海はAランクモンスターが平然とうようよ居る。強い騎士様が出払った今、並大抵の強さの騎士様じゃ太刀打ちできないから、陛下も原初の大樹海にこのお二人を遣わして早期収束を図ったんだね。
 なんせロイド様とグエン様は、この国で三番目と一番目に強い人達だから。いや、グエン様はこの大陸……ううん、世界で一番強いかも。
「お前らなら大丈夫だと思うけどさ。ロイドはもうすぐお姉様と結婚の儀があるんだし、グエンはほれ、お兄様ん所行くんだろ?あんま遅くならないようにしろよ」
「心得ております」
 ロイド様が穏やかに微笑む。
 姫さまが言うお姉様というのは、文字通り姫さまのお姉様でこの国を治める女王様、アレクサンドラ・へスター・バートランド・バイオレット様。やっぱり名前が長い! 姫さまに雰囲気がよく似た、長身のかなりの美女だ。
 女王陛下とロイド様は恋仲で、結婚まで一ヶ月を切ったところだ。
 穏やかに微笑むロイド様の隣で、グエン様が頷いた。
「俺はずっと……、ずっとあの方をお守りできる日を待ち望んでいました。一秒たりとも、その日を遅らせるつもりはありません」
 綺麗なオッドアイに剣呑な光が浮かぶ。う~ん、かっこいいけど怖い!
 グエン様はもうすぐ姫さまのお兄様、この国の王子であるからして当然名前が長い、ジェレマイア・セシル・バートランド・バイオレット様にお仕えする予定なんだ。
 そうそう、姫さまと中庭でちらっと話題に出したよね、ジェレミー様のこと。ジェレマイア様の愛称が『ジェレミー』なの。
 グエン様は六年前まで傭兵をしていたらしいんだけど、ジェレミー様に出会って色んな意味で惚れこみ、この国に定住して、ジェレミー様の近衛騎士となる為に近衛騎士見習いになったんだ。これは姫さまから聞いた話。あたしが姫さまに出会った時にはすでに、グエン様はこの国で騎士見習いをされていたからね。
「では、姫さま。行って参ります」
「おう。気を付けて」
 姫さまに一礼して、お二人はドアから出て行った。
「……さて、時間がないのはこっちも一緒だ。そろそろ本当にあいつらに怒られそう」
 お二人の姿が見えなくなるまで見送って、姫さまは踵を返した。あたしもそれに続く。
 エントランスホールの中ほどから、美しいワインレッド色のベルベットの絨毯が敷かれた、黒い大きな階段が掛かっている。それを上りきり、大きく張り出した踊り場に出た。
 踊り場の目の前には、細やかな装飾が施された白い石の両開きの扉がある。
 でも私たちの目的はそこじゃない。
 踊り場から続く、左右に繋がる廊下の右へと足を進める。
 廊下を進み始めてほどなく壁に張り出した廊下は天井と左右の壁に覆われ、普通の廊下となった。
 窓から陽の光が差し込む廊下をまっすぐ歩き、いくつかの部屋を通り過ぎる。
 やがて曲がり角に辿り着いた。
 そこは円状のホールになっていて、三階へ続く階段がある。
 階段を上らず、左に角を曲がった一つ目の部屋。
 明るい色の木の扉を姫さまが開けた。
 オフホワイトの壁紙が張られた部屋はちょっとした広さがあり、クローゼットや大きな姿見などが置かれている。
 ここは、姫さまの衣装部屋。普段着てるドレスや、余所行きのドレスなどが仕舞われている。
 中に居た二人の女性が、こちらを見てお辞儀をした。
「「お待ちしておりました、姫さま」」
「おう、待たせたな。ごめんね!」
 姫さまが軽く手を上げ、悪びれもせずに二人に謝る。
 このお二人はあたしの先輩侍女、エリン様とレイチェル様。
 お二人とも姫さまが子供のころから仕えてるベテラン侍女。五年前からあたしの教育係も任されてるんだ。
 明るいオレンジ色の髪をショートカットにした活発そうな方がエリン様で、ダークブラウンのロングヘアーの背が高い(姫さまほどじゃないけどね)お淑やかな方がレイチェル様。
 お二人とも子爵令嬢っていう高貴な身分なんだけど、平民のあたしにも分け隔てなく優しく接してくれる良い方だ。
「姫さま、本日はこちらを」
「ん」
 姫さまがポイポイと着ていたドレスを無造作に脱ぎだし、レイチェル様がそれを拾う。
 なんともワイルドな姫さまを横目で見ながら、あたしはエリン様について歩いた。
 ドレッサーの前でエリン様が止まり、小ぶりの木箱を差し出した。
 姫さまのお化粧道具が入った化粧箱だ。
「はい、これ。もう使う量や手順は覚えたよね?」
「あ~……、はいぃ……」
 あんまり自信が無くて返す声量も小さくなる。
 いやね、あたしが姫さまのお化粧係をすることになってるんだけど……、今までの練習では、上手に出来てるとはとても言えないのよね……。一応たくさん練習をして、お化粧品を使う量とか手順はなんとか覚えたんだけど。
 受け取った木箱をじっと見るあたしの背中をエリン様が叩いた。
「大丈夫大丈夫! 最後の方は大分うまく出来てたよ。自信持って!」
「はぁ……」
 いやぁ~、練習台の姫さまの唇に口紅を塗りすぎて、様子を見に来た陛下が爆笑してたけどね……。
 でも、応援されるとやる気が出るもんだ。それにどんだけ自信が無くてもやらなきゃいけない訳だし。
 うん、大丈夫! 絶対姫さまに綺麗なメイクをして見せる!
 気合一発、きりっと小箱を睨みつける。
「あ~これ肩こるわ~。行くぞお前ら~」
 姫さまの声に振り返る。
 お城にいる時は、姫さまはいつも飾りっ気のないシンプルなドレスを着るんだけど、振り返った時には余所行きのドレスに着替え終わっていた。
 綺麗なモスグリーンのジャケットのドレス。随所に金糸の細かい刺繡が施されて、袖と若葉色のスカートの裾からはちらりと白いレースが覗いている。
「「「はい、姫さま」」」
 大股で出ていく姫さまについて、私たち三人も衣装部屋を後にした。

「そういやお前たち、お土産は何がいい?」
 エントランスへ行く途中、姫さまがエリン様とレイチェル様に聞いた。お二人は今回ついては行かず留守番だからだ。
「超絶イケメン男性!」
「美麗で凛々しい女性!」
 間髪を入れず恐ろしい事を言ってのけたエリン様とレイチェル様。その顔は綺麗な微笑みを湛えている。
 声色からは本気なのか冗談なのか、絶妙に分からない。
 ちなみにイケメンを望んでいるのがエリン様、凛々しい女性がレイチェル様。
「なるほど、おまんじゅうね。よしまかせろ」
 さすが姫様、付き合いが長いだけある。華麗にスルーを決めた。
「あっはははは」「うふふふふ」
「んへっへっへっ」
 三人とも、朗らかとも言える笑い声で、すがすがしいくらい綺麗な笑顔を浮かべている。しかし醸しだされる空気は何とも言い難い。
 通りすがる人たちが、ある人は隅で震え、またある人は白目を向いて逃げ出す。
 鳥肌が立つほど恐ろしい時間は、エントランスの扉を開けるまで続いた。
 
「姫さま、お待ちしておりましたぞ」
「支度はすでに終わってます」
 エリン様とレイチェル様が両開きのエントランスの扉を開けると、城門の前に一頭曳きの二台の馬車が待機していた。
 馬車と言っても、曳いているのは『コルトホース』っていう、馬によく似たモンスター。
 馬よりも大型で、体力も脚力も倍くらいある。常に地面から数センチ浮いてるから、悪路も滑らかに走ることができる。
 オーロラの様な毛並みと陽炎の様に揺らめくたてがみが美しい、優美な外見に見合った気高く気難しい性格をしているんだけど、仲良くなれれば生涯の友として認めて懐いてくれる、友好性の気の良いモンスターなんだ。風を操る能力があって、背中に乗ってもその能力のおかげで風圧等を感じないらしい。
 ちなみに二台の馬車はそれぞれ、あたしと姫さまが乗る馬車と姫さまの荷物を積んだ馬車。
 そのコルトホースたちの傍にいた二人の騎士様いる。
 姫さま直属の近衛騎士、ヘイデン・アークライト様とアーサー・アークライト様。バートランド王国有力侯爵家の先々代様と現当主の弟君だ。
 ヘイデン様は、パーマのかかった白髪が目立つけれど、その体格は若い兵士の人にも負けないたくましさ。実際、この国でもこのお歳でありながらかなりお強い。ヘイデン様は姫さまがまだ赤ちゃんの時からお仕えしてて、いわば教育係も兼ねてる。だからかな、じじバカというか、大分姫さまに甘い。実のお孫さんに対してよりも甘いかも。
 そのヘイデン様のお孫さんのお一人のアーサー様。
 明るい茶色の髪はかなりの天然パーマ。大きめのグリーンアイにそばかすの浮いた、整ってるけど素朴な顔には銀縁の丸眼鏡が良く似合う。なんというか、可愛い系? 童顔っていうのかな。あたしよりも二つ年上で成人なんだけど、同い年って言われても違和感ない。背も姫さまより数センチ高いくらいだしね。ぱっと見は細身なんだけど、でもそこは騎士様だけあってしっかり筋肉はついてる。
 敬礼するお二人に姫さまがひらひら手を振った。
「エリン、レイチェル、リタ。荷物がきちんと揃っているか、確認してくれ」
 ヘイデン様が荷馬車の扉を開けた。
 ヘイデン様に言われ、先輩二人と一緒に荷馬車の中を見る。
 荷馬車の中は座席は無く、大小様々な箱が置かれている。
 ……ぱっと見じゃよく分からないなぁ。数えないと。
 しかしさすがは先輩二人。
「大丈夫です」
「全部揃っていますわ」
 ちょっと見ただけですぐに分かったらしく、ヘイデン様に報告した。
 はぁ~、凄い!あたしもいつかこの域に達するんだ……!
 決意も新たに、空いているスペースに化粧箱を置いた。
「姫さま、お忘れ物はございませんな?」
 ヘイデン様に尋ねられ、姫さまが胸を張って答えた。
「忘れ物があるかどうか……その時が来ないと分からんが多分ない!」
 おい、多分かい。
 絶対の自信ではないのにその偉そうさはどっから来るのか。
 よっぽどツッコミを入れたかったけど、この国の人達は大体姫さまバカなので、門番の人たちも含めてその場にいたあたし以外の人たちは生暖かい微笑みで姫さまを見守っている。
「堂々と答える事ではないだろう……まったく」
 生暖かい空気を裂いて姫さまにツッコミを入れたのは、あたし……ではなく、背後から聞こえたハスキーな声だった。
 ヘイデン様もアーサー様も門番さん達も、一斉にその場に跪いた。あたしもエリン様達と一緒にヘイデン様のそばに近寄り、その人物に同じように跪く。
 声の人物に敬意を払うかのようにコルトホースたちが嘶いた。
 結い上げた髪は、お母さま譲りの澄んだ青空のような綺麗な空色。くっきり二重のアーモンド形の目の周りに生えた長い睫毛が、これまたお母さま譲りの濃いグレーの瞳に影を落とす。紅いルージュで彩られた薄い唇が弧を描いていた。高い身長が目の覚めるように青い長いマントと黒いマーメイドラインのドレスを引き立たせている。
 姫さまによく似た雰囲気の文句なしの美女が、そこにいた。
「お姉様」
 振り返った姫さまが満面の笑みを浮かべる。
 もう言わなくても分かるよね。
 この、ハスキーボイスのかなりの美女こそ、我らがバートランド国女王のアレクサンドラ・へスター・バートランド・バイオレット陛下である~!
「見送りに来てみれば……。子供ではないんだぞ。本当に忘れ物はないんだろうな?」
 陛下に言われ、一瞬姫さまの目が虚空を泳いだ。
「う~ん…………。…………あってもまぁ、何とかなんよぉ!」
 姫さまが謎の自信と共にサムズアップする。
 テキトーオブテキトーだなぁ。
 陛下が額を押さえて長~く深~くデッカイため息をついた。
「お前たち、悪いがくれぐれもコレをよろしく頼む」
「「はっ!」」
「は、はいっ」
 ヘイデン様とアーサー様が威勢よく答えた。
 姫さまの事を頼まれても、正直あたしは従者としてまだいっぱいいっぱいだったんで、ついどもっちゃった。
 そしたら陛下と目が合った。
 陛下はあたしの心中を見抜いたように、そして『大丈夫だ』とでも言う様に、ゆっくりと頷いてくださった。
 姫さまやジェレミー様もだけど、陛下も不思議な魅力がある。
 それだけで、不安が消し飛んで晴れやかな気分になったもの。
「んじゃお姉様、行ってくるわ。お土産、何が良い?」
「そうだな……美味しいお菓子でも買ってきてくれ」
「あいよぉ~!」
 姫さまが陛下に抱きつく。陛下も優しく抱き返した。
 軽くギュッと抱き合うと陛下と離れ、姫さまはくるりと踵を返してヘイデン様が開けた馬車のステップに足をかけた。
 そこでもう一度、陛下が声をかけた。
「ビー、気を付けて行け。お前たちもな」
「わぁ~ってるって! 行ってきま~す!」
「「行ってらっしゃいませ、姫さま」」
 陛下とエリン様、レイチェル様にひらひらと手を振り、姫さまが馬車に乗り込む。後に続いてあたしも乗り込んだ。
 扉を閉めたヘイデン様が、御者台へと回り込む。後ろの馬車の御者台へアーサー様が乗り込んだ。
 やがて緩やかに馬車は動き出した。
 一路、まだ見ぬ大陸の見知らぬ国、ファッシ国へ向けて。
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