跡継ぎを宿すため、俺様御曹司と政略夫婦になりました~年上旦那様のとろけるほど甘い溺愛~
「ちょっと、あんたさん」

こっそりやりとりをしていると、加藤製陶の従業員の木村さんが唐突に声を上げた。この中では一番長く勤めている人で、住まいも近所のため私もよく見知っている。

酔っぱらって上機嫌になった木村さんが、恐れ多くも〝あんたさん〟と呼びかけた相手は、千秋さんだった。

「ち、千秋さん。この辺りでは、人を〝あんた〟って呼ぶことが多くて、悪気はないんです」

さすがに、東京で千秋さんを〝あんた〟と呼ぶ人はいないだろう。ともすると失礼になりかねない言い回しだ。〝さん〟がついたのだから敬意を表していると私は知っているが、千秋さんはそうじゃない。

「大丈夫だ」と私にうなずいた千秋さんは、木村さんの呼びかけに応じた。その様子を、不安な気持ちで見つめる。

「はい、なんでしたか」

「愛佳ちゃんは、かわいいやろ? ここらの坊主らは、愛佳ちゃんがこっちに来るとみんなそわそわしよったなあ」

「そうそう。都会育ちのべっぴんさんが遊びに来とるってな」

わははと笑い声が上がり、恥ずかしくなる。アルコールの勢いで、適当にでっち上げるのはやめて欲しい。

「愛佳ちゃんは気取ったところがちっともなくて、坊主らのアイドルやったんや」

そんな話を聞かされても反応に困るだけだろうと千秋さんを見ると、どことなく不穏な空気が滲み出ている。しかしそれも一瞬で、彼はニヤリとこちらを見た後に、いかにも好青年という笑みを浮かべて辺りを見回した。

「ええ。こんなにかわいい妻を迎えられて、私は幸せ者です」

「なっ」

なにを言うのかと、衝撃で固まった。

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