桜が咲く頃に、私は
「ほらほら、そこから手を伸ばしても、私は逃げるからね。乗り越えてみなよ、その低い柵をさ」


万が一、足を滑らせて落下死したとしても、今の私には死に対する恐怖はなかった。


一度死んでるし、仮に死んでしまってもまたあの場所に行くだけだ。


まあ……たったこれだけのことで、空の余命を半分奪ってしまったのは申し訳ないと思うけどさ。


「あ、あ、危ない! ねえ、桜井さん! 本当に……ああ! もうっ!」


頭をグシャグシャに掻きむしって、意を決したように柵を乗り越えた広瀬は、私の身体を手を回して。


柵と縁の隙間に私を抱き締めたまま後ろに倒れ込んだのだ。


「ほら、簡単に越えられただろ? 広瀬はやれば出来るんだからさ。足りないのは一歩踏み出す勇気なんだよ」


背中に広瀬を感じて、お腹に回された手をギュッと握り締めてそう呟くと、私の手を握り返してくれた。


「あ、いや……ご、ごめんなさい。必死で。す、すぐに離れるから!」


「いいよ別に。私は、広瀬の彼女なんでしょ」


「あ……うん」


そう言うと広瀬はぎこちなく、お腹に回した手を力を込めて、私を引き寄せるように抱き締めた。


一歩ずつ、世界を変えるんだ。


広瀬も、私も。
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