幼なじみと契約結婚しましたが、いつの間にか溺愛婚になっています。
ともすれば出そうになる涙を、何度も何度もまばたきをして散らす。こんな所で泣いていちゃダメだ。泣いたって、今さらどうにもならないのだから。
目元を押さえ、なんとか涙が流れ出るのは止めたその時、右側から声がかけられた。
「穐本?」
振り向いた方向には、ひとりの男性。スーツ姿で、ビジネスバッグを手に、こちらをじっと見ている。その視線のまっすぐさにたじろいだが、相手の顔を見ているうちに、徐々に頭の中によみがえってくる記憶があった。
「……あ、もしかして、樹山?」
名前を言うと、相手は安心したように笑って、近づいてきた。
「やっぱり穐本か。この新幹線乗ってた?」
「うん、そう……樹山も?」
「ん、昨日から名古屋に出張行ってて。泊まって、今帰ってきたとこ」
樹山は言葉を区切り、またじっと私を見る。穐本は何で、とその目が問いかけていた。
「……私は、ちょっとね。しばらくこっちで暮らそうと思って」
「え、仕事は?」
「先月辞めたの」
短く言うと、樹山の顔に驚きが浮かんだ。
「なんで?」
「なんで、って」
「穐本、東京で建築士になって自分の事務所を持つんだ、って言ってたじゃん」
それは中学と高校の頃、私が掲げていた夢だ。思いがけない人物から聞かされて、戸惑いを隠せなかった。