ショウワな僕とレイワな私
─「はい、じゃあ教科書の165ページを開いて……」
講義中の教壇には銀色の懐中時計が置かれていて、講義をする女性の首には一粒のダイヤモンドが煌めいている。黒板に白いチョークを走らせるのは咲桜である。大学を卒業し大学院に進んだ咲桜は物理博士となり院生の時から助手として経験を積み、ようやく助教として大学に勤めることになった。大学も大学院も講義と研究ばかりで時には研究が滞って苦しい時もあったが、それも全て、大学2年の秋のあの経験のおかげで乗り越えてきた。まだ助教なので重要な授業は担当できないが、研究の傍ら自分と同じように夢を持つ学生に授業できることが嬉しかった。
「えっ、先生、懐中時計持ってるんですか!アンティークですね〜」
授業終わりに1人の女子学生が話しかけてきた。
「ありがとう、あなたもアンティークなものとか好きなの?」
「はい!昭和レトロが好きで……。先生、その時計を大切にされてるんですね」
咲桜は女子学生がそう言ったのを聞いて目を丸くした。
「だって、きっとかなり昔のものなのに、まだピカピカでしっかり動いてるじゃないですか」
実は、咲桜は少し錆びかけていた時計を見て、なるべく綺麗な状態で保ちたいと思い大丈夫かと若干心配しながらも防錆スプレーをかけて、ほぼ毎日何かしらの手入れをしていた。おかげで目立った錆はなく、時計の針も止まらず動き続けている。
「……うん、私の一番大切な時計なの」
咲桜は懐かしそうに笑った。清士と出会った秋から10年は経っているが、今も咲桜の記憶の中には鮮明にあの日々が残っている。
「さ、もう私も研究室に戻るから教室閉めますよ。今度の期末テストの準備、忘れずにね」
2月も中間を過ぎもうすぐ春休みということで大学の構内もどことなく浮ついた雰囲気があるが、咲桜にとってはその前のテスト期間とその後の成績評価という大変な仕事が待っている。いそいそと研究室に戻り電源を切っていたスマートフォンを起動すると、1件の不在着信があった。電話の主は清紀である。毎年1回は会っているので近況は時々聞いていたが、今は大学を卒業してから就職した外資系の企業で忙しく働いているらしい。
「咲桜さん、ごめん!講義中だった?」
咲桜はいつしか清紀から「咲桜さん」と呼ばれるようになっていたが、かつて彼女をそう呼んだ清士の落ち着いた声とは対照的に、電話越しにも伝わる元気な声である。
「今ちょうど講義終わったところ。清紀くんも忙しいところごめんね」
「いやいや、僕は全然大丈夫!あ、それで来月なんだけど」
「来月ね、もちろん行くけど、15日より前だったら行けると思う。なんだかんだ会議とかが多くて」
思いのほかスケジュールが詰まっている咲桜だが、清紀は咲桜が来てくれるというだけで嬉しくなった。
「わかった!父さんとおじいちゃんに連絡しとくから、また日時決まったら連絡するね」
「ありがとう、またあの桜の木の前で待ち合わせね」
咲桜は清紀が「もちろん」と言って答えたのを聞いて口元が緩んだ。
清士が遺した手紙には「一度で良いから」と書いてあったが、咲桜は清士が昭和に帰った年の3月から毎年、成田家の3人と一緒に菩提寺に行くようになっていた。これまでの十数年、どんなに忙しくても一度も行かなかったことはない。また今年も秋風が通り過ぎ寒い冬の終わりを告げるように春風が吹きはじめ、暖かさに桜の蕾が膨らむ。
今日もすっきりと晴れた穏やかな一日である。
講義中の教壇には銀色の懐中時計が置かれていて、講義をする女性の首には一粒のダイヤモンドが煌めいている。黒板に白いチョークを走らせるのは咲桜である。大学を卒業し大学院に進んだ咲桜は物理博士となり院生の時から助手として経験を積み、ようやく助教として大学に勤めることになった。大学も大学院も講義と研究ばかりで時には研究が滞って苦しい時もあったが、それも全て、大学2年の秋のあの経験のおかげで乗り越えてきた。まだ助教なので重要な授業は担当できないが、研究の傍ら自分と同じように夢を持つ学生に授業できることが嬉しかった。
「えっ、先生、懐中時計持ってるんですか!アンティークですね〜」
授業終わりに1人の女子学生が話しかけてきた。
「ありがとう、あなたもアンティークなものとか好きなの?」
「はい!昭和レトロが好きで……。先生、その時計を大切にされてるんですね」
咲桜は女子学生がそう言ったのを聞いて目を丸くした。
「だって、きっとかなり昔のものなのに、まだピカピカでしっかり動いてるじゃないですか」
実は、咲桜は少し錆びかけていた時計を見て、なるべく綺麗な状態で保ちたいと思い大丈夫かと若干心配しながらも防錆スプレーをかけて、ほぼ毎日何かしらの手入れをしていた。おかげで目立った錆はなく、時計の針も止まらず動き続けている。
「……うん、私の一番大切な時計なの」
咲桜は懐かしそうに笑った。清士と出会った秋から10年は経っているが、今も咲桜の記憶の中には鮮明にあの日々が残っている。
「さ、もう私も研究室に戻るから教室閉めますよ。今度の期末テストの準備、忘れずにね」
2月も中間を過ぎもうすぐ春休みということで大学の構内もどことなく浮ついた雰囲気があるが、咲桜にとってはその前のテスト期間とその後の成績評価という大変な仕事が待っている。いそいそと研究室に戻り電源を切っていたスマートフォンを起動すると、1件の不在着信があった。電話の主は清紀である。毎年1回は会っているので近況は時々聞いていたが、今は大学を卒業してから就職した外資系の企業で忙しく働いているらしい。
「咲桜さん、ごめん!講義中だった?」
咲桜はいつしか清紀から「咲桜さん」と呼ばれるようになっていたが、かつて彼女をそう呼んだ清士の落ち着いた声とは対照的に、電話越しにも伝わる元気な声である。
「今ちょうど講義終わったところ。清紀くんも忙しいところごめんね」
「いやいや、僕は全然大丈夫!あ、それで来月なんだけど」
「来月ね、もちろん行くけど、15日より前だったら行けると思う。なんだかんだ会議とかが多くて」
思いのほかスケジュールが詰まっている咲桜だが、清紀は咲桜が来てくれるというだけで嬉しくなった。
「わかった!父さんとおじいちゃんに連絡しとくから、また日時決まったら連絡するね」
「ありがとう、またあの桜の木の前で待ち合わせね」
咲桜は清紀が「もちろん」と言って答えたのを聞いて口元が緩んだ。
清士が遺した手紙には「一度で良いから」と書いてあったが、咲桜は清士が昭和に帰った年の3月から毎年、成田家の3人と一緒に菩提寺に行くようになっていた。これまでの十数年、どんなに忙しくても一度も行かなかったことはない。また今年も秋風が通り過ぎ寒い冬の終わりを告げるように春風が吹きはじめ、暖かさに桜の蕾が膨らむ。
今日もすっきりと晴れた穏やかな一日である。