黒歴史小説 冬の蝉

5-2


「……瀬君、一ノ瀬君! 死なないで! 起きて!」
 由香は泣きながら冷たくなった守を揺さぶった。


「もうダメだ……手遅れだ」
 冬の蝉はそっと由香の肩に触れた。

「触らないでよ! あなたのせいなんでしょ? あなたさえ、いなければ一ノ瀬君はこんな風にはならなかったのよ!」
 由香は興奮しきっている。
 立ち上がって冬の蝉の胸を力一杯叩き続けた。
 彼女もまた、自分の無力さにどうしようもない苛立ちと悲しみを覚えているのだ。

「それは無理よ」
 二人の前に現れたのは灰色のスーツを纏った細身ではあるが長身の美女だった。

「彼、冬の蝉が死ねば、自動的に保護システムである守という存在も消滅するわ」
「あんたは確か……」
「ええ、マザー研究所の江崎よ」
 由香は突然の江崎の登場に一瞬、戸惑ったが二人を激しく責めた。


「あなた達、よくそんな冷静でいられるわね! 一体、あなた達はなんなの? そして一ノ瀬君はこのまま、無残に死んでいくの? どうすることもできないの? あんなに人を簡単に殺す力を持っていても、人を助けることはできないの!」
 由香は無表情で冷静な冬の蝉が許せなかった。
 普段、笑顔を絶やさない彼女からは想像もつかない憎しみに満ちた顔を冬の蝉に投げつけた。
 彼は黙って由香の顔をしばらく見つめた。

「な、何よ!」
 戸惑う由香に冬の蝉は少し、えくぼを見せた。

「フッ、お前のような人間がいるから守は閉鎖的な人間社会で生きてこられた。礼を言おう。ありがとう」
 冬の蝉の笑顔はとても美しかった、眩しいくらいに。由香は思わず、ドキッとした。

「な、なんでこんな時に……」
 冬の蝉は何も答えず、眠る守にそっと手を触れた。

「冬の蝉、あなた……まさか!」
 江崎の顔が急に青ざめる。
「そうだ。兵士は兵士の役目を終えた。ならば、王は王の役目を全うするまで……」
 指先から暖かい光りが守の体を包んでいく。光りを浴びる守はとても気持ちよさそうだ。
 母親から授乳される赤子のようにニッコリと安堵の顔で笑っている。
 守は笑顔のまま、光りに包み込まれていく。
 次第に自分自身も透明な黄金色の無数の粒へと変化を遂げていく。


「い、一ノ瀬君が……一ノ瀬君が消えちゃうよ!」
 由香が冬の蝉を止めようとしたが、江崎が首を横に振った。
「冬の蝉にまかせなさい……大丈夫よ。彼は主の元へ帰るのよ」
「え? どういうこと?」

「つまり、彼は粒子レベルまで変換され、主である冬の蝉にコアが……魂が帰っていくのよ……でも、彼は瀕死の状態……これで無事にコアが補完されたとしてもかなりの危険を冒すことになるわ。母体である冬の蝉自身が傷ついたコアを補完することによって、内部に亀裂が生じて自身が死んでしまうかもしれないのよ。確率は五分と五分……」
「そ、そんな……」
 守は黄金色の粒子に変換され、宙を舞うと主のもとへと帰って行った。
 コアを自身の体内に戻した冬の蝉は案の定、内部に異常が生じ、体中に電撃のような激痛が走る。
 痛みのために身体を激しく床に叩きつけた。
 傷ついた魂を戻したために内部の器官が反発を起こしているのだ。

「くっ……安心しろ……守が死ぬことはない」
 冬の蝉は苦悶の表情でありながらも必死に由香を安心させようと話しかける。
 しばらく、全身を痙攣させると落ち着いたのか、ゆっくりと立ち上がった。

「大丈夫なの?」
 江崎は学者としてあくまでも冷静に彼の容態を調べている。
「ああ、なんとかな」
 冬の蝉は肩を震わせる由香に目を当てた。

「大丈夫だ。必ず、守を生きてお前に会わせてみせる」
「あなたは一体……何者なの?」
「俺は冬の蝉、かつて闇組織マザーの兵器だった男だ」
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