黒歴史小説 冬の蝉
1-5
「赤穂さん、おはよう!」
「ああ、由香ちゃん。おはよう。昨日はありがとね」
「うん。今度は私の家にも遊びにおいでよ」
二人が満員電車の中でしばらく話をしていると途中の駅で、相場 史樹が同じ車両の中に乗ってきた。
「よう、お二人さん!」
「あっ、相場君。おはよう」
「史樹、あんた、制服のカラー曲がってるよ」
史樹の制服のカラーを夕貴が直していると例のごとく由香の目がギラリと光った。
「夫婦みたいね。あなた達……」
「おいおい、由香ちゃんとやら、また勘違いしないでくれよ」
「そ、そうだよ。由香ちゃん」
品田 由香に自分達が保護システムという訳の分からない人間などと告白するわけにもいかない。しばらくは由香に疑われそうだと、二人は覚悟した。
「う~む、怪しいなぁ」
由香が目をギラつかせていると、また、途中の駅で守が乗車してきた。
「お・は・よ・う、一ノ瀬君!」
由香はわざとらしく、嫌味をこめて言った。
「あ、ああ。昨日はすまなかったな。急に用事ができてな」
守は由香と一歩、距離を置いている。彼女の不機嫌そうな顔に気づいたからである。
だが、彼女はそんなことでは怯まない。由香は守の顔をしっかり、見てやろうと体の向きを変えた。
必然的に彼女の体が守の体に当たる。
当然、満員電車なので揺れもかなりある。二人は密着している。守は由香の胸が自分の腕に当たっているのに気がつき、顔を赤らめた。
「おい、品田。もう少し、離れられないのか?」
「できませんね」
照れている守を見て、これはおもしろいと思い、由香はじっと彼を見つめて、更に自分の体を押し当てた。
それに対して守の反応は更に顔を赤らめる。
「お、お前、わざとだろ?」
「な~にが?」
由香はツーンと澄ましていて気づいていないふりをした。
「ちっ!」
守は顔を赤らめたまま、そっぽを向いた。
それを見た由香は少し可愛そうに思い、守に耳打ちをした。
(昨日、一ノ瀬君が私から逃げた罰だよ。これでチャラね)
「な、なんだと!」
「おい、守。なに女相手にムキになってんだ?」
史樹がニヤニヤ笑いながら守の顔を見つめている。
「ちっ!」
「こりゃ、おやっさんも由香ちゃんには敵わないね」
夕貴がそういうと由香はクスクス笑い始めた。
「なにが可笑しい?」
「いや、なにも」
そう言いながらも由香は笑いが止まらなかった。
*
昼休みのチャイムが鳴ると由香は早々と弁当を取り出した。
「あぁ~、お腹空いたね。早く食べよう」
「あ、由香ちゃん。そのお弁当箱かわいいね」
「ハハハッ、そう? でもこれ、百円だよ」
「え、ウソ? 安いな」
二人は楽しそうに弁当を開いていたが守は弁当を取り出そうともしていない。
「あれ、どうしたの? 一ノ瀬君、食べないの?」
「俺はいい。お前らだけで食べていろ……」
そう言って守は席を立とうとした。しかし、由香の手でがっしりとブロックされていた。
「ダメだよ! ちゃんと食べなきゃ! そんなんだから血の気ない顔してるんだよ。ほら、早く、お弁当出して!」
守は苛立っていた。
その理由は昨日、保護システムである風見から聞いたマザーの不審な動きである。
もしや、既に追手の牙が俺に近づいているのではと警戒していたのだ。
こんな危険な状況でのんびりと弁当などを食っている場合ではない。
むしろ、由香やこの学校の周りの人間に牙が向く危険性もある。
そんなことがあってはならない。犠牲は自分だけでいい。決してこの学校の人間に被害を及ぼしてはいけない。その焦りが彼を苛立てるのだ。
「まあ、おやっさん。座って」
守は観念して大人しく席に座り、弁当を取り出した。すると、夕貴が耳打ちしてきた。
(おやっさん。苛立っても仕方ないでしょう。ここは様子を見ましょう。変に動いたらそれこそ由香ちゃんに気づかれますよ。彼女、思ったより鋭いですよ。もしかしたら、イレギュラーの気があるかもしれませんよ)
(なんだと?)
(彼女、常人以上の勘ですよ。ヘタすりゃ、マザーがスカウトに来るかもしれません)
(つまり、品田はイレギュラーということか?)
(あくまでも推測ですから……)
マザーが派遣する部隊は主に、マザー研究所からであるが、この研究所では独自のルートで人間の精子や卵子もしくは受精卵でサンプルを作る。言わば、試験管ベビーである。
マザーシステムの発動は誰にでもできることではない。
ある程度の素質がなければいけないのだ。
この素質を持って生まれてくる子供は滅多にいない。100万人に一人の割合かもしれない。
そして素質を持っていたとしてもマザーシステムを発動するに至っては過酷な訓練が必要でそれを乗り越えて初めてシステムを確立できるのである。
だが、中にはそれを簡単に使いこなす者もいる。
それらの者を研究所ではマザー直系と称している。つまり、マザーに選ばれた者として、マザーから直接、血を与えてわけてもらっているということなのだ。
これらを微率ではあるが研究所では独自に培養することができる。
それらの実験を試験管ベビーで行っていた。
その実験で失敗したのがFXシリーズと言われており、失敗作という意味が込められたこの名前を背にしょって生きなければいけないのだ。
人工マザーシステムを持った者以外でまれにマザーシステムを持っていたり、その素質を持っていたりする者がいる。
マザーシステムを研究所以外で確立することなど不可能というのがマザーの定説だが、例外もある。
そんなことからマザーではこういった人間達をイレギュラーと呼んでいる。
イレギュラーでも、マザーは、ほっときはしない。スカウトというかたちで研究所へと連行する。イレギュラー達、本人の選択肢は二つしかない。それは組織を受け入れて生きるか、拒んで死ぬかだ。
こうして、半強制的にイレギュラーからマザーの人間へと変貌していくのだ。
それこそ、守が恐れていたことである。
自分が学校の人間との接触を極力避けてきたのはマザーと関わらせないためでもあったのだ。
ましてや、由香みたいな自分とはかけ離れた生活をしてきた人間をマザーの汚された手で潰されたくない。そう決心していた。
守は自分でも気がつかないうちに思っていた。
このまま、静かに人間として生きて、老いて、死んでいく。
言葉だけではどうってことないのように聞こえるが考えてみると素晴らしいことだと認識できた。
人間社会で暮らしてみて初めて感じることができた。
そんなことを普通の人間は考えたこともないだろうと妬んだりすることもある。
だが、彼にはマザーとの熾烈な戦いが待ちうけている。決して逃げられはしない。
マザーは寄生虫のように世界に群がっているのだ。
彼には胸の奥から押し寄せてくる恐怖をも、打ち消すものがある。
それは生である。これこそが彼の全て、唯一、人間であるということを証明できるものであった。
様々な思いを胸に一ノ瀬 守の戦いは始まる。