もどかしいくらいがちょうどいい

『……どうしてだと思う?』

 彼に問いかけられた言葉が、頭の中で何度も反芻している。

 テンポよく本の背表紙につけられたバーコードをバーコードリーダーで読み込んでいれば、彼に掴まれた手首辺りが嫌でも視界に映って、私はおもむろに手を止めた。

 喉奥に詰まった空気を吐き出すように、私は大きくため息をつく。


 ……もう一回、冷静に状況を整理しよう。

 夏目くんはどうも成瀬くんが私を射殺さんばかりに睨むことが気がかりらしい。
 その上、私が夏目くんを過剰に意識してあたふたしているところを見て楽しそうにしていた。
 加えて、お昼休みの一件だ。成瀬くんに引き留められ完全に逃げ場を失った私を、助けてくれた。

 流石の恋愛初心者の私でも分かる。これだけピースがそろえば役満だ。
 つまり、この3点を組み合わせて導き出される答えは……、

「……もしかして……こ、恋」
「鯉?」
「っ、ひょえ!?」

 後ろから聞こえてきた声に驚いて、私は肩が跳ねる。すぐさま振り返ると、目を瞬かせている司書の萩原さんが立っていた。

「ごめんなさいね、急に話しかけて。驚かせちゃったかしら?」
「いえ! だ、大丈夫です!」
「そう?」

 泡を食ってあたふたする私を横目に、萩原さんは図書室を見回してから私に問いかけてくる。

「……あら? 今日は夏目くんはお休み?」
「あ、はい。体育祭の実行委員の仕事で」
「そうなの。大変ねぇ」

 荻原さんは神妙に頷いた。

 そう、お昼休みのあの一件の後には続きがある。

 あの後、夏目くんに何故か人手の少ない渡り廊下まで手を引かれた。
 誰も周りにいないことを確認した夏目くんが、ゆっくりと振り返った。

『涼森さん』
『はっはい!』

 この状況で思い上がらない女なんているわけない。

 だって、誰もいない渡り廊下に男女よ!? どう考えても告白やん! 告白されるために用意されたような状況やん!

 高鳴る鼓動が抑えきれないまま、夏目くんから次の言葉が紡がれるのを今か今かと待ちわびる。

 俯いたまま表情の読めなかった夏目くんが表を上げる。不安げに揺れる薄茶色の瞳に睫毛の影が降りかかって、どこか美しさすらあった。たぶん絵画としてオークションに出展されたら3億ぐらいで落札される儚げな美しさだ。

『涼森さんに、言いたいことがあって……』

 いや、もう絶対そうやーーーーーーーーーん! 
 それしかないやーーーーーん!! 
 と、心の中だけで私は全力で叫ぶ。

『あのね』
『ひゃい!』

 耳の奥でうるさいくらいに心臓の音が鳴っている。私はごくりと生唾を飲み込んで、夏目くんを凝視する。

 そして、勿体ぶりながら形のいい唇が薄く開いて──


『ごめん!』


 夏目くんは申し訳なさそうに手を合わせて勢いよく頭を下げた。

『………………へ?』
『今日、体育祭の打ち合わせがあって、図書委員の仕事に出られなさそうなんだ』
『……あ、あ~……そっちか……』

 私は思わず脱力して、声を漏らした。
 そういえば、夏目くんは図書委員に選出される時、体育祭の実行委員にも任命されていたことを私は思い出す。

『そっち?』
『い、いやこっちの話!』
『……どっち?』

 まさか、告白されるんじゃないかと思ってた、なんて口が裂けても言えるわけがない。
  
 大袈裟に咳ばらいをして、バレバレだけど誤魔化すことにした。

『こほん! と、とにかく、了解! 今日は私だけで委員の仕事するよ』

 私は、大きく頭を振って了承したのだった。



「急用で献本を引き取りに行くことになってね。人もいないし、そろそろ戸締りしようかと思ったの」

 荻原さんに言われて、私は図書室に人が誰もいないことに気付く。
 視線を移せば、まだ私の横には積み上げられた本がある。これを残して帰るのは、少々忍びない。

「私、これの作業が終わったら閉めときますよ。鍵は職員室に持ってけばいいですか?」
「あら、いいの?」
「はい。任せてください」

 胸をとん、と叩いて私は大きく頷く。

「それじゃあ……図書室の鍵、渡しておくわね」
「はーい」
「あ、でも日が落ちる前に帰ること」
「分かりました」

 図書室の鍵を手渡した荻原さんは図書室を出る直前、私の方を振り返るとにっこりと笑った。

「……恋する乙女は大変ね?」
「は!? ちが、そんなんじゃ、」

 ないです! と、否定する前に荻原さんは、おほほ、と上品に笑って颯爽と帰っていったのだった。

 取り残された私は、手のひらに残されたメッキのはがれた鍵をぎゅうっと握りしめて、何度目か分からないため息をつく。

 ……ようやく、ひとりの時間だ。
 私はそのままカウンターの机に顔を突っ伏した。

「あ゛~~、疲れた……」

 今日一日の出来事が怒涛過ぎて、肩の力が抜けた途端、心身ともに疲れがどっと押し寄せてくる。
 だんだんと、瞼が重くなって、視界が霞んでいく。
 
 抗えない睡魔が思考を飲み込んで、意識が落ちる直前──がらり、と扉が開くような音がした。

< 11 / 48 >

この作品をシェア

pagetop