もどかしいくらいがちょうどいい
コーヒーの香ばしい香り。トースターが刻むタイマーのじじじ、という音。
テレビから聞こえてくるのは、朝のニュースを読み上げるアナウンサーの声。
そして、テレビ横に置かれたデジタル時計に表示された2032年4月23日の文字。
どこぞの北欧風のモデルルームみたいに整頓されたおしゃれなリビングで、私はまろ眉のでかい黒猫のぬいぐるみを最後の砦のように抱きしめて、呆けていた。
視線を下に向ければ、ぬいぐるみを抱き締める私の左手に自然と目線が吸い寄せられる。
……ん~~~っと。
あれ……あれれ? おっかしいぞぉ~~?
私の認識だと、確か……左手の薬指に指輪って……けっ……お? え? ンン~?
「──むぎ、」
「ひゃあい!」
不意に横から声を掛けられて私は、肩を大きく跳ねさせた。
シンプルな黒のエプロンに身を包んだ成瀬くんが、くすっと笑って、手に持ったお皿をテーブルに置きながら問いかけてくる。
「コーヒー。砂糖2杯でいいよな?」
「へ!? ……あ、は、はい」
「ん」
そう言って、お皿から離れていく成瀬くんの左手を見て、私は言葉を詰まらせる。
………薬指に指輪してるやん……。
あとシンプルに私がいつもコーヒーに入れる砂糖の回数把握してんな……。
待て。
待て待て、待て、待て待て待て待てぇえええええええええ~~~~!!??
私はさらに黒猫のぬいぐるみを抱き締めて、心ん中でだけ叫ぶ。
驚きのあまり、頭の中から吹き飛んでいた起き抜けのワンシーンが再び脳裏に浮かんできて、ぶわわわわっと体中が熱くなる。
あれってやっぱ朝チュン!? 漫画でよく見るあの、あの朝チュンなの!?
待って。ほんとに待って!
いやいやいや訳分からんって! 急展開にも程が無いか!?
階段落っこちて、成瀬くんと多分事故チューしちゃって、起きたら知らない部屋のベットで、大人バージョンの成瀬くんが横にいて、成瀬くんは原型無いレベルでゲロ甘化してて、その上──けけけけ結婚!?
ああ、もう、夢ならどうか……どうか、醒めてくれーーーーーーーー!!!
頭を抱えた心の中の叫びは、平凡な朝の食卓には似つかない悲痛なものだった。