もどかしいくらいがちょうどいい
「──」
そして、私は言葉を失った。
だって、成瀬くんは。
「なる……せ、く……」
ぽたり、と成瀬くんの白い頬から透明な雫が落ちた。
頬の輪郭をなぞるようにひとつ、ふたつ、と顎の先まで滑り、床に黒い斑点が滲む。
あの成瀬くんが、泣いていた。
声をあげるでもなく、ただ、静かに泣いていた。
想像もしなかった成瀬くんの反応に私はどんな言葉を掛ければいいのか、何も思いつかなくて目線を右往左往させる。
私よりも数十センチ高い大きな彼の身体が、やけに小さく見えて、それはまるで──迷子になった子どものようで。
この世界で、自分が一番悪者になったような気分だった。
「な、成瀬くん……」
無意識のうち、彼に伸ばした指先が、冷え切った頬に触れる。
成瀬くんの涙が私の指に吸い付くように伝う。
項垂れる彼の瞳は瞳と同じ色の黒髪に隠れて、何も見えない。
「ご、ごめん……」
「……言った、よ」
「え?」
押し黙っていた成瀬くんが、掻き消えそうなほどか細い声で、言う。
「むぎ、言ったよ」
はらり、はらり、私の手のひらまで涙が零れ落ちるたび、私は身体の所有権をすべて彼に奪われたのかと思うほど動けなく、なる。
「次も、って……言った」
「そ、れは……」
ただ会話を繋げるために言っただけの、私にとっては意味を持たない言葉。
それが彼にとってどれほどの意味を持っていたのか、馬鹿な私はこんな状況になってようやく理解した。
教室に流れる耳に痛いほどの沈黙の後、彼は吐き捨てるように呟いた。
「……やっぱり、そうなのか」
「え……?」
成瀬くんに伸ばした私の手に忍び寄る、一回りも大きい手のひら。
「俺じゃ、なかったんだろ」
「な、成瀬……くん? いたっ。痛い、よ……?」
私の手首を掴んだ成瀬くんの手に加減なく力がこもった。決して、逃がさないとでも言うように。
悪寒にも似た凄まじく嫌な気配が、私の背中を駆け巡る。
伺い知ることの出来なかった成瀬くんの瞳が前髪の隙間から、じっとこちらを見ている。何者もすべて塗りつぶして、飲み干すほどの黒が、そこにある。
そう、それはまさしく──
「もう、全部手遅れなんだよ」
捕食者の、それだった。
私の口を塞ぐ乱暴なキスは、涙と混じり合って、最悪なハーモニーを奏でていた。
暗転。