もどかしいくらいがちょうどいい
「おはよ、涼森さん」
次の日の朝。
教室にやってきてた夏目くんは、昨日のことなどまるで何もなかったかのようにいつも通りの挨拶をしてきた。
私もまた夏目くんに倣って冷静さを装い、にこりと笑って挨拶を返す。
「おはよう、にゃつめくん」
びっっくりするぐらい噛んだ。舌が痛ぇ。
口を堅く結んだまま硬直する私を夏目くんは一瞥した後、ただ一音発する。
「にゃ?」
「な! な、つ、め、くん!」
間髪入れずに私が大声で訂正を入れる。
すると、夏目くんは少しだけ驚いたように目を見開いたかと思えば、すぐさま顔を背け小刻みに肩を震わせる。
……これ、絶対笑ってるやつだ。絶対そうだ。
恥ずかしさのあまり体温が上昇する。顔に熱が集まっていくのを感じた。
ひとしりき肩を振るわせた夏目くんが振り返る。彼の瞳に、顔を赤くしてもの言いたげに口を噤む私が映っていた。
絶対答えを分かっているくせに、夏目くんは愉しそうに問いかけてくる。
「もしかして……昨日の、意識してる?」
「シテマセンガ!」
夏目くんは、ふ、と薄く笑う。
「にゃーんだ、残念」
それだけ言い置いて、夏目くんは私の前の席に腰を下ろした。私はその広い背中を数秒ほど無言で睨みつけ、すぐさま顔を伏せる。
す。す……す……。
好きィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!
ドッドッドッドッドッドッドッドッド、と心臓が激しく脈打っている。
私は机に拳を何度も叩きつけたいこの衝動をぐっとこらえて、唇を噛み締めた。
完っ全に弄ばれてるけど! 遊ばれてるけど!! それはそれで全然ありだぁあああ!!
王子様フェイスでちょっと意地悪な感じとか少女漫画のイケメンか!? ここはもしかして少女漫画の世界だった!?
ちくしょーーーーーー! 駄目だ、顔が好きすぎて何してても許せる自信がある。どんなクソでかい欠点があっても補って余りあるだけの顔面が欠点を凌駕してくる。
昨日の夜聞いたばかりの親友からのありがたーい忠告が、今や遠くの彼方から囁く程に頭の隅に追いやられていた。
私はほんの少し頭を上げて、ちらりと夏目くんの方を見やる。
横の席の男子と楽しそうに談笑する夏目くんの横顔を眺めていると、収まりかけた熱が再び舞い戻ってくる。
ええい、落ち着け落ち着け私ィ! 冷静になれ!!
一旦冷静に状況を判断……あっ。駄目だぁ、横顔もかっこいい……って、そうじゃなーい!
私はかぶりを振って、心の中でだけ叫ぶ。
完全に自分の世界に飲み込まれていた私の後ろで、獰猛な肉食獣のような眼が二つこちらを見ていることなど露知らず。