仕方なく結婚したはずなのに貴方を愛してしまったので離婚しようと思います。


「穂乃果」


 優しく名前を呼ばれる。じぃっと見つめられ磁石のように、引きつけられ唇を重ねた。そっと重ねるだけの穏やかなキス。


「……玲司さん」


 ん? と玲司が首を傾げる。玲司の気持ちが知れて嬉しかった。けれどまだわからないことがある。どうして自分に工場を立て直してくれたことを秘密にしていたのか。穂乃果の大切な場所と言ってくれておきながら、どうして教えてくれなかったのだろう。


「どうして工場のこと私には言ってくれなかったんですか?」
「それは……その、不安だったんだ」


 眉を下げて悲しそうな表情を見せた玲司。いつも自信満々そうに見えていたはずの玲司でも不安になることがあるのだろうか。


「不安? どうしてですか?」
「工場を買い取って、従業員のみんなも呼び戻したのはいいものの、先に穂乃果に話して事業として失敗してしまったら二度も穂乃果を悲しませることになるだろう。それだけは絶対に避けたかったんだ。だから西片さんや従業員のみんなに穂乃果にはまだ内緒にしてくれって頼んだんだ。軌道にのるまでは秘密にしてくれってね。でも、本当に高梨印刷の従業員の人達はみんないい人だよね。こんな一度倒産に追いやった会社の社長を信じて戻ってきてくれて」


 どこまでも自分を大切にしてくれていることがひしひしと伝わってくる。こんなにも優しい人を自分は恨んでいたなんて。なんて最低なんだろう。


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