仕方なく結婚したはずなのに貴方を愛してしまったので離婚しようと思います。

1、止まない雨と突然の出会い


 三畳くらいの狭い応接室に年季の入った二人がけの小さなソファーとソファーの間に小さなローテーブル、いかにも町の小さな工場の応接室にここ、高梨印刷の社長、高梨浩(たかなし ひろし)と浩の娘である高梨穂乃果(たかなし ほのか)は取引先の林田次郎(はやしだ じろう)と向き合って話していた。


「ほ、穂乃果さん。ぼ、僕と結婚を前提に付き合ってほしいんだな」


 ゲヘヘと照れ笑う次郎はべっとりと舐めるような視線で穂乃果を見つめている。


「そんな、次郎さんはとても素敵な方ですから私なんかより素敵な女性がお似合いですよ」


 穂乃果は次郎の気味悪い視線に吐き気を耐えながらも当たり障りのない定型文のような返事を次郎に返した。満面の笑みでこれ以上何も言うな、と念を込めて。


「そ、そんなことないんだな。僕には穂乃果さんみたいな可憐で綺麗な人が似合ってるんだな。返事は待つんだな」


 自分でそんなこと言う? と思いつつも


「今はお付き合いとかは考えていないんです。会社のことで頭がいっぱいなので」とこれまた定型文で返した。


「では林田様、印刷でき次第納品させていただきますね」
「……わかったのだ」


 父がまた何か口を開きそうな林田が言葉を発する前に半ば無理やり林田を返してくれ、印刷所を出たことを確認するとはぁ〜と疲れの深い溜め息が出る。失礼だけど、本当に気落ち悪かった。暑くも寒くもない丁度いい秋の気候なのに額には脂汗がういていて豚(これまた失礼)みたいにハァハァ息が荒かった、舐めるような視線も、とにかく全部が穂乃果には生理的に全てが無理だった。


「ごめんな穂乃果。父さん前から林田様に穂乃果を紹介してくれって言われてて誤魔化し続けてたんだけど、ついに穂乃果本人に言うなんてなぁ。まぁ人を好きになる気持ちは悪いことじゃないけどな」
「そうだったんだ。前からなんか異様に見られているような気はしてたけど、まぁ私が丁寧にお断りすればいいだけの話しだから気にしなくて大丈夫よ、お父さん」
「穂乃果がいつか惚れるいい男が現れるまで父さん長生きしなきゃなぁ」
「なに言ってるのよ。ほら仕事、仕事」


 父が言うように穂乃果には恋人はいない。今、いないとかではなく年齢=恋人がいない歴だ。好きになった人ははるか昔いたような、いなかったような、もう思い出せないほど。

< 2 / 170 >

この作品をシェア

pagetop