貴方の残り香〜君の香りを狂おしいほど求め、恋しく苦しい〜
 譲が"今後"と口にしたためか、全員が真梨子に自己紹介をしてくれた。

 和菓子屋の兄弟、海苔屋の四代目、老舗洋食店の跡取り、呉服屋の八代目、ここの割烹の板長など、テレビで見たことのあるお店の名前ばかりが並ぶ。

 譲はこういう世界で生きてきたのね。少し離れた場所で友人達と談笑する譲を見ながら、真梨子はまだ慣れない場所に居心地の悪さも感じていた。

 その時、和菓子屋の次男という男性が真梨子に声をかけてきた。人一倍ニコニコしながら真梨子の隣に座る。

「和菓子屋の方ですよね……?」
「おぉ! そうです。この中では譲と唯一の同い年なんですよ。池田(いけだ)博之(ひろゆき)です。以後お見知りおきを」
「そうなんですか……山中真梨子です。よろしくお願いします」

 旧姓で挨拶するのは久しぶりで、少し違和感を感じる。

「でもまさか譲が真梨子さんと再会してるとは思いませんでしたよ」
「あはは……私は知らないのに、皆さんは私のことをご存知みたいで……不思議な感じです」

 戸惑ったように首に手を触れた真梨子に、博之は両手を合わせた。

「真梨子さん、俺のこと覚えてないですか? 実はあのクラブで顔を合わせてるんですけど」

 突然言われ、頭を回転させるが思い出せない。その様子を見て、博之は笑った。

「そりゃそうか。譲があなたを連れて店を出る時、俺を呼び出して帰るって言ったんです」
「あぁ! あの時の!」
「譲が自分から女の子を誘うなんて珍しかったから、あの後皆で大騒ぎだったんですよ」
「……そうなんですか? 知らなかった……」
「あいつ相当真梨子さんがお気に入りだったみたいで、大学四年の時は真梨子さん一筋。他の誰とも関係持たなかったから、もう付き合うもんだって思ってたら……」

 真梨子は困ったように笑った。

「所詮セフレだって逃げたんです、私」
「まぁそれもわかりますよ。だってあいつ、今まで女性と付き合ったことなかったから、たぶんそういう感覚に疎かったんですよね。女は寄ってくるけど、それだけ。ちゃんと人を好きになったのも、真梨子さんが初めてだったんじゃないかな」

 博之の口から語られる譲の姿は、真梨子にとっては初めて聞くものばかりだった。

「真梨子さんにフラれた後の譲のこと、本人は何か言ってた?」
「えぇ、少し……」
「そっか。それなら言ってもいいかな。真梨子さんにフラれてから、もぬけの殻って感じでさ。もう落ち込んで大変。昔みたいに女の子に誘われるがままホテルに行ったりして、でも生きる気力が湧かないっていうかね。そしたらある日突然『勃たなくなった』だって」
「えっ……?」
「それからは仕事の鬼。おかげでお父さんが喜んじゃってさ。譲に社長職を譲って引退しちゃったんだって」

 その流れは聞いたけど、その前の言葉が気になって仕方がなかった。

「おい、真梨子に何か余計なこと吹き込んでないだろうな?」

 真梨子の隣に譲が腰を下ろし、博之を睨みつける。

「いや、お前が勃たなくなったって話をしただけ」

 真梨子は譲の顔を見上げ、信じられないという顔をしている。譲は頭を掻きながら、真梨子を見つめた。
< 130 / 144 >

この作品をシェア

pagetop