貴方の残り香〜君の香りを狂おしいほど求め、恋しく苦しい〜
 渡り廊下を通り、母屋へと案内される。軋む廊下の音や匂いの全てが、真梨子の五感を刺激した。

 生まれてから一人暮らしを始めるまで、ずっとこの家で育ってきた。居間に入ると、今も黒い革張りのソファが健在だったため、真梨子は思わず吹き出した。

「まだこのソファなのね……」
「真梨子ってば、学校から帰るとすぐにソファに寝転がるのが日課だったものね。だから誰も座れなくてケンカになったりしてね」
「あっ、お兄ちゃんは?」
「今は夜の仕込み中。帰り際にでも顔を出したら?」
「うん、そうする」

 当たり前のように始まった会話は、十年のブランクを感じさせなかった。

 促されるままソファに二人は腰をかけ、その向かいの一人掛けのソファに両親はそれぞれ腰を下ろした。

「今日は突然にも関わらず、お時間を作っていただきありがとうございました」

 譲はそう言いながら手土産を渡す。

「いえいえ……こうして真梨子を連れてきてくれただけでも感謝しています。真梨子は少し頑固なところがあるので、離婚したからと言って、きっとすぐには帰っては来ないだろうと妻と話ていたんですよ。でもまさか……離婚よりも、再婚の早さに驚いてますが……」

 そして父親は少し笑ってから真梨子を見つめると、突然涙を流した。

「すみませんね……もう二度と真梨子に会うことはないと思っていたので……またこうして私たちの元へ戻ってきてくれたことが嬉しいんですよ。何があっても、死ぬまで真梨子が私たちの子どもであることは変わらない。いつまでも大切な娘なんです……」

 その言葉を聞いた真梨子も、堰を切ったように泣き始める。譲がそっと肩を抱いたので、真梨子は彼の胸を顔を埋めて嗚咽を堪える。

「もう……あなたと真梨子は涙脆いところがそっくりなんだから!」

 母親が言うと、皆が笑い出し、場が和み始めた。

「でもまさか副島会長のご子息と真梨子が……そういう関係だとは知らなくて、聞いた時は驚きましたよ」
「私もです。でもきっと昔からこうなる運命だったんだと思うんです」

 それから譲はポケットからハンカチを取り出し、真梨子の涙を笑顔で拭っていく。

「じゃなきゃ、こんなに長いこと真梨子が恋しくて仕方なかった理由が見つからないですから」

 真梨子が嬉しそうに微笑むのを見て、両親は安心したように顔を見合わせた。
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