貴方の残り香〜君の香りを狂おしいほど求め、恋しく苦しい〜
『夫婦って、二人で家庭を築いていくんじゃないんですか? あなたの話を聞いてると、あなたの敷いたレールに真梨子さんを乗せているだけ。どこかに立ち寄ることさえ許されない。窓から見える景色すら限定されてしまう。そんな息の詰まるような電車、私なら降りるわ』
『息が詰まるだと……?』
『どうして二人で話し合って、一緒に行き先を決めないんですか? お互いの行きたい場所にどちらも行って、新しい景色に二人で感動する……。新しい思い出が出来て、古い思い出を振り返って笑い合う。それが夫婦なんじゃないんですか?』
『……自由な暮らしだぞ? 何にも縛られず、好きなことが出来る。何が悪いんだ?』
少しの間が空いてから、匠の声も聞こえる。
『悪くはありませんよ。あなたのように、そういう生活を望む人だってたくさんいる。ただ先生はそれを望んでいないということです。お二人は結婚生活を続けるうちに、きっと価値観や望む未来の姿が変わってしまったんです』
『……真梨子はそんなに子どもが欲しかったのか?』
『たぶんそれだけじゃありません。あなたからの愛情も欲していた』
私はあんなに酷いことをしたのに……二人の言葉があまりにも温かい。涙が止まらなくなった真梨子の体を、譲が強く抱きしめた。
この数年間、ずっと求めてきた彼の香りに包まれ、真梨子の体に安心感が広がる。
『前に友人が言ってました。体の関係がなくなると、恋人というより友達のような気持ちになるって。あなたはそれで良かったかもしれない。でも真梨子さんは愛されたかったんです。言葉もない、行為もない、一方通行の愛情。それってただの同居人ですよね』
『先生はすごく面倒見が良くて、厳しいけど信頼出来て……。いつも笑顔で、生徒に愛情を持って接してくれる良い先生でした』
『君は……生徒だったのか?』
『お子さんがいたら、たくさん愛情を注いで、一緒に楽しんだり悲しんだりしてくれるお母さんになるんじゃないかな……』
『真梨子さんの話をちゃんと聞いてください。そして真梨子さんの気持ちを受け止めてあげてください……。お願いします』
譲はそこでスピーカーを切った。