貴方の残り香〜君の香りを狂おしいほど求め、恋しく苦しい〜
 静かな沈黙が流れる。それを破ったのは真梨子だった。

「……付き合い始めた頃、デートのたびにあなたはいつもプレゼントを用意してくれたわよね。景色がキレイな場所に連れて行ってくれたり、すごく嬉しかった」

 あの頃は自分がお姫様にでもなったような気分で、きっと浮かれていたの。

「もう……無理なのか?」

 真梨子に頷く。私はこの十年頑張ったの。それを無視し続けたくせに、今更何をいうのかしら。

「私もいけなかった。次は何をしてくれるんだろうと期待して……でも本当はそれじゃだめだったのよ。あなたにされた分、私も返さないといけなかった。でも私はそれをしなかったし、むしろ何もないことを不満に思うようになっていた。そのせいであなたは思い通りにならなくなったことが不満だったのよね。だから私に辛く当たった」

 晃は黙ったまま下を向いている。

「親になんて言えばいいんだ……」
「そんなことは知らないわ。あなたの親でしょ? 自分で考えて」

 私がどれだけ傷を負って、精神的にも参っても、あなたは気付きもしなかったくせに、今度は親? 真梨子は呆れ果ててため息をついた。

「私たち、お互いに求めるものが大き過ぎて、しかもそれが許容範囲を超えてしまった。これではお互い不幸なだけ。一緒にいても幸せにはなれない。私たちはもう目指すものが違うのよ。それぞれ違う道を行くべきだわ」

 真梨子は茶封筒から離婚届を取り出すと、晃の前に差し出す。あとは晃が署名・捺印をするだけで提出出来るようになっている用紙を見て、晃は肩を落とす。

「もう……これ以外の選択肢は、君の中には存在しないんだな……」

 晃は諦めたように離婚届を手元に引き寄せると、真梨子からボールペンと印鑑を受け取る。

「この家に私のものは何もないし、それ以上のものも望まない」

 署名と捺印をしてから、晃はふと証人欄に目をやる。

「この二人は?」
「昔からの友人よ。結婚してから友達もいなくなったし、仕方ないから二人に頼んだの」

 真梨子は晃から離婚届を受け取ると、そのままカバンにしまった。

「私の荷物は、あなたがいない日に取りに来るわ」
「わかった」

 真梨子は荷物を持ち、玄関に向かう。晃は座ったまま動こうとはしなかった。

 十年も一緒にいたのに、寂しさを感じない私は冷酷だろうか。

「今までありがとう。さようなら」

 そう言い残し、真梨子は部屋を後にした。
< 99 / 144 >

この作品をシェア

pagetop