私だけはあなたが好きだから大丈夫
書店
家の近くにある商店街は、土曜の昼前にも関わらず、開いている店はほとんどない。典型的な地方のシャッター街だ。この商店街でも例外的に利用者が多かったのがこの本屋だ。この辺りには他に書店もないため、地域の小中学生はここで文具や本を購入していた。

店舗の道路に面した店先には、新聞や雑誌が平積みされている。博士は新聞を覗き込み日付を確認する。

――『よし、日付もあっている!』

博士はこぶしをギュッと握り締め、喜びをかみしめる。思わず大声で叫んでしまうところだった。気持ちを少し落ち着かせて、再び紙面を見た。新聞のテレビ欄では、なんとなく記憶に残っている番組名がちらほら見つかる。

――『私はこの日の夜はテレビを見られなかったな。〈今〉の私には、ちゃんと見せてあげるからね。それに、傷を消した後は何をしようかしら? やりたい事がたくさんあった気がするわ』

体の中からワクワクする思いが湧いてくる。日付も確認できたし、次の予定までは時間もある。博士は久しぶりに訪れたこの本屋を少し見ていく事にした。

博士は店の中に入る。レジの奥には店主とみられる中年の女性が座って雑誌を読んでいた。小さな頃に何度も来ているはずだが、その女性の顔は全く覚えていない。店主はもちろん透明な博士には気付いていない。

博士は店の中に置いてある本を見て回った。店内の雰囲気はなんとなく見覚えがある。レジの近くには様々な週刊誌が並んでいる。表紙には芸能人や政治家のスキャンダル、流行の美容法などに関する見出しが大きく書かれている。人の関心は25年程度ではそれほど変わらないんだな、と博士は思った。ある棚には漫画がたくさん置いてあった。当時好きだった本も並んでいる。新刊が出るたびに、ここに買いに来ていたことを思い出した。隣の棚には〈予言書特集〉と書かれたコーナーがあった。

――『これはよく覚えているわ』

博士が子供の頃には、「近い将来に世界は滅びてしまう」という予言書がブームになっていた。テレビで専門家と呼ばれる大人たちが、どうやって世界が滅びるかについて話しているのを見て、とても不安になったことを覚えている。

子供の頃は、テレビに出ている人は皆すごい人だと思っていたし、彼らの話すことは全て正しいと思っていた。大人になった博士は、世の中にはとてもたくさんの異なる意見やものの見方があることを知っている。かえって、何が本当に正しいのか分からない位だ。

――『今では笑い話だけど、子供の頃はほんとにこわかったな。知らないことが多すぎたのね』

博士は自分がすっかり大人になったことを感じながら、スルスルと棚から棚に移動していく。次の棚は参考書のコーナーだ。そこに並んでいる本を見たときだった。隠していたことが両親や友人にばれてしまった時のように、体が硬直した。

――『私はこの店で本を盗んでいる』

すっかり忘れていたのか、思い出さないようにしていたのか。いままでずっと、思い出したことはなかった。

それは中学生の時だった。受験勉強のために、ここで見つけた数学の参考書が欲しいなと思った。少し高い本だったけれど、当時のお小遣いで買えない金額ではなかった。それに両親に欲しい言えば、何の問題もなく買ってもらえただろう。

当時の記憶がよみがえってくる。左右の天井を見る。監視カメラはない。店主もこちらを見ていない。

「今だ!」

手に取った参考書を素早くバッグに詰め込んだ。もう一度チラリと店主をみる。怪しまれている様子はうかがえない。

――『本当に見られていなかったかしら?』

店内をしばらく歩いて、漫画を1冊買った。会計するときも、店主は特に何も気が付いていない様子だった。店を出た後は、怪しまれないように、けれど急いで自転車に乗って逃げた。

――『私はなぜあんなことをしたんだろう?』

博士の胸が苦しくなる。博士はもう一度、眠そうに雑誌を読んでいる店主を見た。罪悪感から、結局その本は一度も使わずに捨ててしまった。万引きをしたのは、後にも先にもこの一回だけだった。

当時は毎日がとても苦しかったことを今でもよく覚えている。仲の良い友達は一人もいなかったし、学校では人から心を傷つけられる事が多かった。ストレスを発散するためだろうか? 理不尽な目にあった自分は、人に理不尽なことをしても良いと思ったのだろうか?

今の博士にも、自分のしたことが、やってはいけないことだとわかっている。自分がつらい目にあったからと言って、関係のない人を傷つけるようなことをして良いわけがない。博士はできるなら、店主にごめんなさいと謝りたかった。

――『この傷がなければ、私はあんなことはしなかったのかしら?』

店内の壁掛け時計を見ると、12時を指している。博士は少し後ろめたい気持ちで書店を後にした。

――『次は私が住んでいた家に行こう。この日の〈私〉を見つけないといけないし、他に予定もある』

博士にはこの日にやりたいことが、事故を防ぐことの他に、あと2つあった。
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