君だけに捧ぐアンコール

　加賀宮百合子、ユリコ・カガミヤと言ったほうがピンとくる人もいるだろう。
音楽を知らない人でも一度は聞いたことのある世界的なピアニストの一人だ。若くして亡くなったので、彼女の死を惜しんだファンは少なくない。
　その彼女の遺志を受け継いだ孫が現れたのだから、ファンは喜んでいるのではないだろうか。何故そんなに苦しそうな顔をしているんだろう。

「お前は自分のアパート帰っとけ。」

　加賀宮さんが私にそう言った直後、「加賀宮くんもいっしょに花音ちゃんのアパートに居候したらいいよ。ほとぼりが冷めるまで。」と隆文さんが言い出した。

「ちょ、隆文さん…」

　それってどうなんでしょう。お付き合いを始めた男女が彼女のせまーいアパートで暮らすなんて！ど、同棲ってこと！？

ピンポーン

　インターホンが鳴る。もうマスコミがやってきたのか。
そもそも人気がでて、マスコミにも注目されるならいいことじゃないの？
どうして隠れる必要があるの？
　疑問は次々にわいてきたけれど、加賀宮さんの顔色がどんどん悪くなるので、逃げなきゃと本能がささやいた。

「行きましょう、加賀宮さん！」

「隆文さんのいっちばんダサいＴシャツきて！髪ぼさぼさにしたら大丈夫！裏口から出ましょう！大切なものだけ急いでもってきて！」

「…わかった」

「花音ちゃん！ダサいやつってどれ？気になるんだけど！」

「隆文さんは誰が来たのか確認してください。マスコミだったら絶対開けないで」

「わ、わかった。…ダサいやつって…」

　隆文さんがぶつぶつ言っていたけれど、私たちは本当に少ない荷物だけを持ち、裏口から私のアパートまで走ったのだった。

＊

幸い誰にも尾行されることなく、我が家に辿りつけた。

「何とかなりましたね」

「…助かった。」

　少しほっとしているようだ。いつものくつろいだ表情になった。よかった。

「あの、インスタントコーヒーでいいですか」

「…あぁ」

　どうして騒がれると困るのか、聴かないほうがいいのかな。コーヒーを淹れながら悩む。色々聴きたいことはあるけれど、もう少し落ち着いてから聴くことにしよう。そう思ってコーヒーを彼の前に置いた。微笑むと、彼も少し微笑んだ。

「お風呂、いれますね」

「ありがと。」