君だけに捧ぐアンコール
 その後は何もなかったかのように、晩御飯を一緒に作って、お風呂に入って布団を敷いて。「おやすみ」と言ったけれど、眠れずにいた。
 加賀宮さんも寝ていないようだったので、私は勝手にしゃべり始める。

「私ね、7歳の時に隆文さんと真知子ちゃんに引き取られたんです。それでいつも泣いてたんですけど、ある日、隆文さんの生徒さんが私の為にピアノを弾いてくれて。」

 返事はないけれど、聴いている様子だったので続ける。

「パッヘルベルのカノン。両親がよく聴いていました。花音の曲だよって。その生徒さんが弾いてくれた時、その思い出が一気によみがえってきて。涙が止まらなかった。」

 加賀宮さんがゆっくりと起き上がった。私も一緒に起き上がりながら話を続ける。

「それからずっと音楽が大好きなんです。演奏してみたけど、なかなか彼のようには弾けなくて。でも聴くのはずっと大好き。」

 彼は何も言わない。暗闇の中あまり表情は見えないけれど、こちらを見てくれているのは分かる。

「沢山聞いてきた私が、あなたの音だけキラキラ輝いてみえたんです。初めて貴方の演奏を聴いたとき、魔法使いだと思いました。」

「魔法使い?」

「そう。魔法使い!キッラキラしてるんです。ラフマニノフなのに。重厚なはずなのに、すっごい光ってて、ああこの人自体が光ってるんだって。音が光ってるのなんて初めて。あのコンサートからファンになりました。」

 ベッドを降りて、彼の布団に近づく。あの日、手を握ってくれたように、私も彼の手を握る。

「貴方が好きだと気付いてからもっと、もっと大好きな音になりました。」

「おばあさまの音に似ていても、似ているだけで同じじゃない、貴方だけの音です。私はその貴方だけの演奏に恋をして、あなた自身にも恋をしました。他の誰がどう言ったって、貴方が大好きだし、貴方のピアノが世界一です!」

 鼻息荒く力説したけれど、何もリアクションがない。

「それだけじゃ、だめ?」

 ゆっくりと彼の手が私の頬を包む。月明りに照らされる彼はやはり美しく、でも熱っぽい瞳で私を見つめてくれた。微笑むと、彼もまた優しい笑みを浮かべ、いままでで一番優しいキスをくれた。
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